続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

B29 のこと

2020-08-16 17:05:36 | 辛い
B29を見たときの驚きは忘れられません。
大きな爆音で、近くの高射砲陣地からの探照灯に
映り出された姿はもう吃驚でした。
高射砲はもの凄い音でしたが、すこしも当りません
B29は悠々と去って行きました。
昭和19年だと思います。東京大空襲の前でしたから。

その後日本の飛行機との空中戦で、日本の飛行機は
煙を噴いて低空で何処かへ墜落したようです。
みんながワーツと言って、私たちは泣きました。
その後上空からキラキラと銀色のパイプのような物が
落ちてきました。B29だと誰かが叫んで、万歳!と
叫びました。母が落ちてくると危ないと言って
防空壕に入りました。近所の人が、茂原あたりに落ちたな
と言っていたそうです。
あのキラキラ光ったB29のパイプのような物が、
忘れられませんでした。
B29が落ちて大騒ぎになった所は大変だったそうです。
丁寧に葬った所も、隠した所もあったそうです。
みんな辛い体験をしました。






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2 コメント

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こんばんは (猫の誠)
2020-08-16 19:48:44
B29の話は祖父から聞きました、御殿場に住んでいたので、東京方面が大火災になっているのに、日本の小さな飛行機がいくら体あたりをしいもちっとも落ちなかったと聞きました。縁とは不思議なもので、今はその空襲にあった東京の工場の跡地に建てたマンションに住んでいます。母は沼津なのですが、東京が焼けているのが赤々と見えたそうです。沼津は駿河湾内なので艦砲射撃もあったそうです。
御殿場は富士山を方向転換の目標にされたので、落とし損ねた爆弾の始末でバラバラ゛爆弾を落とされたのが唯一の被害です。
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怖かったです (続強子の部屋)
2020-08-17 22:44:36
猫の誠さま
母の実家は千葉県市川市でしたが
東京が焼けて空が真っ赤になったそうです。
祖母も叔父たちも私たちが死んだと思ったそうです。
無事生還して、祖母叔父夫婦によくしてもらい
今も元気でいます。
ありがたゐです。
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