続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

仙石線の想い出

2021-03-12 16:12:57 | 懐かしい

もう20年前の事、次男が石巻に住んでいました。

職場は女川でした。二番目の孫が風邪を引き、肺炎の

疑いがあると言われて、入院しました。上の孫を世話するために

石巻に行きました。とことこのんびり走る電車に乗って、

松島海岸を見ながら次男の家に行きました。

ママが病院に泊るので、私が世話をしましたが、4歳の孫が

可哀想でした。

病院から帰るとき、なかなかママと離れがたい孫を見るのが

辛かったです。

タクシーの運転手さんに赤ちゃんはすぐ治るからね、と

慰められました。有り難かったです。

退院して帰って来るとまた入院、3回もありました。

夫はまたか~と言っていました。仕方ないでしょッ

と出掛けて行きました。

仙石線の石巻駅は駅前に大きなビルがあって、買い物は

便利でした。お魚がとても美味しくて、新鮮でした。

駅の名前をすっかり覚えてしまいました。野蒜、矢本、特に 

蛇田 と言う駅が

印象に残っています。

間もなく息子は内陸に転勤になりました。

それから10年後震災が起きました。今は駅前のビルは

市役所になったそうです。

親切だった運転手さん、美味しい穴子の天ぷらのお店。

のんびりした電車で楽しそうにお喋りしていた高校生達

どうしているでしょう。

今は 蛇田 が市の中心になったそうです。懐かしいな

蛇田。

上の孫は大学院生、赤ちゃんだった孫は大学生、なんと3番目が

生まれました。高校生です。

見事元気なばかり。

有り難く思うと同時に石巻のことは、辛い気持ちで思い出します。

 

薹がたった蕗の薹

むべが芽吹きました

アケビも

水仙は遠慮がちです

庭のあちこちに植え替えられてやっと落ち着き花が綺麗に

咲きました。

 

 

 

 

 

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
石巻 (あほうどり)
2021-03-12 17:34:24
私の職場の同僚が早期退職して石巻に帰って働いていました。
具合のよくないお母さまを奥さまが家で面倒を看ていて当日の14時ころに職場から家に電話をした時には元気だったそうで、その何分か後にお母さま、奥さまもろとも総て流されてしまったそうです。誰も・何も残らず天涯孤独になったそうです。
 本人は『何もする気がない。放っておいて欲しい、生きる気が起きたらこちらから連絡する』と言っていましたが今日まで連絡はありません。
数年前に石巻の家屋跡を訪ねましたが更地のまま門扉に表札だけがのこっていました。合掌
こんばんは (猫の誠)
2021-03-12 18:30:59
10年前の3月9,10日に石巻と仙台に仕事で10日の夕方に東京に帰りました。11日は久しぶりの有給休暇をとって寝ていたら、あの地震です。もし出張が1日ずれていたら、とぞっとします。
こんばんは (続強子の部屋)
2021-03-12 22:07:53
あほうどりさま
お友達は
石巻でお母さま、奥さまを亡くされたのですね。
さぞお辛いでしょうが、立ち直ってくださることを
祈ります。
沢山の悲しいことがありました。
なにも出来ない自分が情けないです。
こんばんは (続強子の部屋)
2021-03-12 22:12:20
猫の誠さま
仙台と石巻にいらっしゃったのですね。
ご無事で良かったです。
仙石線はのんびりしたゆっくり出来る電車でした。
懐かしいような、悲しい想い出の電車です。

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