LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

ポカラ着

1997年12月21日 | ネパール日記
12月21日 (日)カトマンズ-ポカラ (HOTEL JHARNA)

5:30起床。チェックアウトして6:40ポカラ行バス乗り場へ。7時過ぎカトマンズ出発。道はほとんどが山道で乗り心地はあまり良くなかった。何回か泊まりながら2pmポカラ到着。ポカラが近づいてくるとマチャプチャレが美しく見えた。

バスを降りた所にはかなりの客引きが待っていて、そのうちの1台に乗り、宿へ向かったが、結局そこには泊まらず、自分らで探した。何件か当たったもののいい所はそれなりに高かった。同じバスに乗っていた学生も加わり3人でシェア。1泊2ドル。

3人でレイクサイドまで散歩。途中自分だけ引き返した。その時ポカラのバス停から一緒に車に乗った梅田さん、同じ宿に泊まっているという鈴木君と会いモモと言うネパール餃子を食べに行った。これはおいしかった。夕方アニールモモという日本食レストランへ。ここは日本人の溜まり場である。あまりおいしくないカツどんを北斗の拳を読みながら食べた。

ホテル207rs モモ15rs カツどん80rs

スワヤンブナート

1997年12月20日 | ネパール日記
12月20日(土) カトマンズ (HOTEL POON HILL)

寝ていた古野君をおいて屋上に行ったり、朝のカトマンズを散歩したりした。古ぼけた街ではあるが活気があった。古野君を起こしてタメルからスワヤンブナートへ歩いていった。結構距離もあり、スワヤンブナートへの階段もかなりきつかった。

スワヤンブナート自体はたいしたこと無かったが、寺院の向こうに見えるヒマラヤの山々はとても美しかった。その後、ダルバール広場、広場の近くでは柔道をしていて見物客が多かった。

ロイヤルネパール航空、GPOに行って年賀状を小汚いポストに入れた。着くかどうか心配だ。KANTI PATH を北上し、タメルへ戻りイミグレ近くのFIRE&ICEと言う所でクレープを食べた。

夕食はKCSというレストランでFIRE&ICEであったポカラ帰りの日本人2人、計4人でステーキを食べた。トレッキング用の暖かい服を買おうといろいろまわったが結局買わなかった。夜年賀状を書き、朝フロントの兄ちゃんに足しておくよう頼んだ。

切手14rs コーラ10rs ミネラルウォーター18rs

カトマンズへ

1997年12月19日 | ネパール日記
12月19日(金)バンコク(AF)-カトマンズ (HOTEL POON HILL)

朝食はカオサン近くのケンタッキーで。
11時、カオサンからミニバスで空港へ。1時間ほどで着。
一緒のバスに乗っていた古野君とバーガーキングで昼食。以前こうやってベトナムに行く時もピーターとこうやってここでハンバーガー食べたっけ。ほぼ定時にフライト。

一番右の窓側だったので、ネパールが近づくにつれアルプスの山々が遠くに見えてきて感動し何枚も写真を撮った。ネパール、カトマンズは少々寒かった。APで1カ月有効のビザ(US25)を取り入国。受け取った際、バックパックの背中のクッションが取れてなくなっていた。

APから1歩出るとかなりの数の宿の客引きがいて、両替に手間取り、1番最後に出てきた俺たちに群がったが結局タクシー券(100rs)を買ってタメル地区に向かった。なんとなく奴等のいいようにされるのが癪だったのだ。

ホテルもまだ何も決めていなかったので、タクシーの運ちゃんに聞くと、あるホテルに連れていってくれた。結局やどの客引きの車に乗ったことといっしょ。毛布がカラフルであったかそうで、また結構新しくいい部屋だったのでここにした。ここで働いている人たちはとても感じが良く好感が持てた。お茶も出してくれた。

荷物を置いたあと、宿の隣の旅行代理店で21日のポカラのバスチケット(250rs)を買い、タメルを2人でぶらぶらし途中で見かけたHerena‘s Restaurantで豪華な晩御飯を食べた。夜は部屋で年賀状を書いた。

ネパール行決定

1997年12月18日 | タイ日記
12月18日(木) -バンコク (SIAM ORIENTAL HOTEL)
夜中1時過ぎ、懐かしのバンコク・ドンムァン空港着。

慣例にのっとりバーガーキングでオニオンリングを食べながら夜が明けるのを待っていると、同じ状況の人(森さん、東京都在住、京都出身)がいたので朝4時過ぎまで待ってから29番のバス(3B)でホアランポーンまで行って、ボート(6B)でカオサンへ行った。

久々にに行きSIAM ORIENTAL HOTELに行きチェックイン。久々にカオサンに帰ってきた。この街はもうすっかりお馴染みになっていて、全く違和感が無い。この時期は観光客もあまりいない。さすがにバンコクは暑くすぐTシャツ、短パン、サンダルの姿に。

さてとりあえずバンコクに戻って来たものの明日からどこに行くのか全く決めていなかった。航空券の値段を調べに旅行代理店を片っ端からまわった。なんとなく考えていたネパールに行くことにいきなり決定。それも明日出発だ。いつもこんな感じだがこれが旅のスタイルなのでしょうがない。計画性の無さはいつかどこかでひずみが出てくるのだがそれを補って余りあるわくわくしたものを与えてくれる。

チケットは前回買ったところ(カオサンの突き当たり、インド人の所、前回ここで会って仲良くなった平さんのパスポートコピーが店の机の上に会ってびっくりした)ではなくカオサンの一本裏の通りにある代理店で買った。森さんはインドに行くとのこと。1枚200円ほどのTシャツなどを仕入れた。

SIAM ORIENTAL HOTEL 350B
両替T/C US$100-4552B(BANK OF AYUDHYA)
航空券 バンコク-カトマンズ 4650B

アジアツアー

1997年12月17日 | タイ日記
1997年12月17日(水)関空(PR427)-セブ-マニラ(PR730)-

関空は雨。両替、保険などの手続きをした。
飛行機は殆どフィリピン人であと変な日本人もいた。

4ヶ月ぶりの懐かしいマニラ空港で退屈な3時間半を過ごした後バンコクへ向けて出発。前回の旅行を終えてもうこんな旅をすることはもうないと思っていたのに。嬉しい限りである。
(バンコクまでの片道航空券は持っていたが)

いいのだ。男は黙って世界を旅しなくては行けないのである。