LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

SWATCH買った

1993年03月21日 | イタリア日記
3月21日 (日) フレンツェ 晴れ (HOTEL TONY‘S INN)

8時起床。 
10時朝食をとってGRAND HOTELにSWATCHを買いにいく。19日ここに着いたときポスターで展示即売があることを知ったのだ。プライベートコレクターが集まって売っているらしかった。

日本でなかなか手に入らない,それにかなり高いSWATCHが腐るほどあった。自分のを探す人,娘に買ってやる人,買い付けにきて札束を持っている人などそれぞれだ。カードが使えないので駅に両替をしに行きCollector‘s of Swatch Vol3(135000L)とクロノ(95000L)を買った。平本君も買ったようだった。いろいろ迷った挙句もっと欲しかったのだがすでにモスクワとインターラーケンで1つづつかっていたのであきらめた。今ここでキャッシュを使うことは後々の旅に影響するのだ。

午後3時すっかり疲れ果てピザ2枚とサラダドッグを買ってホテルに戻ってきた。

夕方このホテルにチェックインしてきた女性2人も加わって4人でフリーマーケットをぶらぶらして夕食は初のレストラン。スパゲッティボロネーゼは予想以上にめんがしこしこしておいしかった。あとグリルドビーフ、フルーツ、コーヒーで20000Lであった。

贅沢な夕食をしてしまい結局今日は今までで最高にお金を使ってしまった。本当なら今日はサッカー観戦を楽しみにしていた日曜日だったのだがフィレンツェでは2週間に一度しか試合がなく今週はない週であった。来週のローマを期待したい。

フローレンス街ぶら

1993年03月20日 | イタリア日記
3月20日 (土) フィレンツェ 快晴 (HOTEL TONY‘S INN)

8時起床。
ホテル近くのカメラ屋にフィルム1本出した。日本出発前にカメラを買って以来まだ1本も現像してなく移っているのかどうか不安だったからだ。

CAFEでドーナツとカプチーノの朝食を取り両替をしようと銀行を探すが今日は土曜日のため両替所意外空いてなかった。銀行に比べレートが悪いのでいくら替えようか迷っている。

ヴェッキオ橋を渡りピッティ宮殿を見て写真をピックアップ(27550L)して11時ホテルに戻ってきた。

昼からは平本君の買い物に付き合った。街ブらで終わった一日であった。

フローレンス到着

1993年03月19日 | イタリア日記
3月19日 (金) ヴェネチィア 曇り-フィレンツェ 快晴 (HOTEL TONY‘S INN)

7時起床。
カプチーノ,クロワッサンの朝食を取り駅へ。8時20分フィレンツェ(18700L)へ向け出発。もはや見飽きた感のある田舎の町並みを眺めながら、学生をたくさん乗せた列車は走った。

午後1時疲れた体はフィレンツェに下り立った。ホテルの客引きの親父は相手にせずインフォメーションセンターでもらった地図を頼りに宿を探した。1軒目は少し高かったのでパス。2件目が1日TWINで50000リラだったのでここに決めた。トリプルベッドの広いこの部屋は本来100000リラの部屋なのだ。値段交渉はいつも私で平本君は黙って眺めてる。

マーケットがあったので立ち寄り、彼女につけて料理を作ってもらおうとエプロン(16000L)を買った。ドゥオモを眺めウフィツィ美術館で「ビーナス誕生」などを見た。所詮「学」がないのであまり絵の良さはわからなかった。街ぶらをしながらホテルにつく前に今夜のディナーを早くも3回目に寄ったカフェでサンドイッチを買って帰ってきた。

このホテルはカメラマンの親父がオーナーのようでいたるところに自分の取ったポスターが飾られている。

おお、ベニス!

1993年03月18日 | イタリア日記
3月18日 (木) ヴェネツィア 快晴 (HOTEL ADUA)

7時40分起床。駅前からヴァポレット(1日券2000L)に乗ってリド島へ。夏は海水浴客で一杯になるそうだが,今は閑散としていた。小さなCAFEでいつものカプチーノとクロワッサンの朝食を取った。

サン・マルコ広場へ戻りド・カーレ宮殿に入り各部屋に置かれている絵と溜息の橋を通り牢獄内を見て周った。次にサン・ジョルジョ・マジョーレ島に行き教会の塔の上からヴェネツィアを眺めた。サン・マルコから歩いて午後2時ホテルに戻って昼寝をし,5時ムラーノ島へ。

ここでは海に沈む夕日を見ることができた。この島がヴェネツィアングラスで有名だが来たのが遅かったのでほとんどの店は閉まっていた。再度道に迷いながらサン・マルコ広場に行く。今夜は霧が出てなくて昨夜ほど美しくなかった。

朝通ったメインルートのヴァポレット1に乗り,夜のカナルグランデを4,50分堪能した。洪水の街か,はたまた海底からよみがえったようなヴェネツィアの街は言葉に表せないほどロマンチックで素晴らしい。今日午後1時半彼女に電話。声を聞くと心が安らぐ。早く再会したいと思う。

電車はベニスへ・・行かなかった!

1993年03月17日 | イタリア日記
3月17日 (水) ミラノ 晴れ-ヴェネツィア 曇り (HOTEL ADUA)

7時半起床。
平本君とミラノ中央駅に行き切符売り場でヴェネツィア行きのチケット(18700L)を買い「9時10分,プラットフォームNo9」と確かに聞いた。9時前列車が9番フォームに入ってきた。

何の疑いもなく乗り込み発車を待ったが9時10分になっても動き出さないのでなんだか変だな,と思った。乗客も僕達二人だけで,これはまずいと間違ったことに気づいたがドアも開かず窓から飛び降りようかと思案している間に列車は動き出してしまった。車庫に行くのではと怯えながらも,まーいいや,こんなハプニングも,などと笑いながら留まるのを待った。5,6分走ったところで列車は停車した。

車掌に存在を知らせるため20輌分くらいのドアを次々に開けて一番前まで走った。英語は全然理解していないようであったが状況はどうにか把握したらしく、イタリア語でベラベラ喋りかけてきたが,こちらも何を言っているのやらさっぱり分からない。とにかく荷物を下ろし歩いて駅まで歩いて線路上を伝って帰るように言われたのでそうしようとしたが,隣の列車が10分後に駅に入るというのでそれに乗せてもらって戻ることができた。

次の列車は11時40分発。かなり時間があるので一度駅を出てマクドで時間をつぶした。なんともいえないハプニング。「イタリア人は信じられん」などと呟きながら11時過ぎ再度登場。

一度座席に座ったもののその車輌はどうやらどこかの学校の予約が入っていたらしく連結部分に追いやられてしまった。列車はミスるしその上座ることもできないとは泣きっ面に蜂である。窓を開けて田舎の景色を見ていたら検札にきた車掌が6輌、前につけたから座れると教えてくれ、混雑の中荷物を引っ張って移動できないので途中の駅で下りでダッシュした。

とにかく疲れていたのでイスに腰を下ろしてからは寝てしまった。午後3時04分,列車は海の上を走りVENEZIA到着。ホテルの客引きのおじさんに連れて行かれチェックイン。駅から3,4分の結構きれいないいホテルであったのでここにした。

荷物を置いて遅いランチを中華料理店で。チャーハン,餃子,ラーメンを食べた。二本で食べたら怒ってしまいそうな味でもここではおいしかった。久々に醤油にもありつけた。夕方土産物屋がひしめく通りを抜けてサン・マルコ広場へ。霧が海から立ち込めそれはそれは美しいものであった。隣に彼女がいてくれたらと思うと胸がつまった。

ここは素晴らしく美しい街で車が一台も走ってないのがいい。またゴンドラなども旅情を盛り上げるのにもってこいである。観光客も多く土産物屋で売っているカーニバルのときにつけるマスクもとてもヴェネツィアしていた。帰り際BARに寄り得意のカプチーノをすすり宿に戻ってきた。ここは予想していたより何倍も美しいところですっかり気に入ってしまった。

これがジプシーというやつか

1993年03月16日 | イタリア日記
3月16日 (火) ミラノ 快晴 (HOTEL ARTHUR)

9時起床。
昨日行ったカフェに行きクロワッサンとカプチーノ(2200LT)の朝食。ここは仕事へ出かける前のビジネスマンが立ち寄っていてイタリアの中では時間が早く動いている空間である。

美術館めぐりをするという平本君とはリパブリカの駅で別れメトロでドゥオモへ。銀行へ行く途中前からジプシー達が歩いてこっちへ向かってきた。すれ違う5メートルぐらい前で新聞を手にして子供を抱えたまま二人のおばさんが私の袖をつかんで手を出してきた。時間を与えるとポケットから財布をすられるので力づくで押し切った。これがうわさのジプシーか。女,子供なら怖くないな,と思った。

特別することもないのでドゥオモ前の広場で人々を眺めたり,ウィンドーショッピングしたりした。12時半,あまりに暇だったのでインフォメーションセンターに行きどこかでフリーマーケットをやってないか,と聞いたところあったのでメトロ(1100LT)を乗り継いで行ってみた。1時半頃には終わってしまうらしく,着いた時には片付けを始めている店もあったが,とにかく安く活気があった。置いてあるものはほとんど新品ばかりで衣類や革製品が多かった。食品を売っているところでキウィを買い3時ホテルに戻り昼寝。

5時,平本君も帰ってきたので昨夜のピザ屋へ。まだ開店していなかったので大通りに並ぶ店を見て歩いた。食べたかったスパゲッティが今日はなく残念であった。8時半食事が終わった後ドゥオモがきれいにライトアップされていることを期待して歩いて出かける。夜の町は人通りも少なく怯えながら歩いた。肝心のドゥオモは一番上の像だけが光っているだけであった。ハンバーガー2個をかじりながら10時にホテルに無事戻ってきた。

ミラノ街ブラ

1993年03月15日 | イタリア日記
3月15日 (月) ミラノ 快晴 (HOTEL ARTHUR)

9時起床。
今日月曜は美術館がCLOSEなので別にどこにいく当てもなくぶらつく1日となった。朝10時ホテルを出て、近所に見つけたコーヒーショップでクリームの入ったドーナツとカプチーノの朝食。

ミラノ中央駅周辺をぶらついた後地下鉄でドゥオモへ。月曜は店が大体午後3時ごろから開くのでそれまで郵便局、銀行、ハンバーガーショップなどで時間をつぶした。3時過ぎ店が開きだしたので見てまわる。トレーナーが欲しかったのだが、後々のことを考えるとこれ以上財布を薄くさせるわけには行かないので我慢した。

午後6時一度宿に戻り昨日見つけたピザ屋へ行き、ピザ、ブロッコリ、コロッケ(8800LT)を買った。店で座ると高くつくので持ち帰って部屋で食べた。250円ばかりのピザは大きすぎて食べきれず平本君に半分分けるほどであった。

インテルvsローマ

1993年03月14日 | イタリア日記
3月14日 (日) ミラノ 快晴 (HOTEL ARTHUR)

寝ては起きてを繰り返し7時起床。
8時ホテルを出て歩いてスフォルチェスコ城を見て回り、その後聖マリア・ディレグラーツィェ教会でダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見た。

その後歩いてサンシロスタジアムへ。今日はインテルミラン対ASローマのサッカーの試合があるのだ。チケットが変えるかどうか不安だったのでダフ屋の親父から買おうかとも思ったが結局チケット売り場で手に入れた(33000LT)。

席は2回のインテルミラン側、甲子園ライトスタンドのような状態で前、後半ずっと立っての応援でとにかくうるさく軍隊のようであった。後半に1点入れられて追いつかれ同点で終了した。とにかく観客の渦の一部となれたことに感動した。セリエAの、それも1,2位を占めているミラノで本場のサッカーを見ることができてとてもよかった。

来週はフィレンツェで見るつもりだ。3時開始の4時45分終了。インターミランの偽物Tシャツ2枚を買って地下鉄で戻りスパゲッティ、ハンバーガー2個食べ宿に戻ってきた。

ミラノ到着

1993年03月13日 | イタリア日記
SWISS-ITALIA
3月13日 (土) インターラーケン 快晴-ミラノ 晴れ (HOTEL ARTHUR)

6時半起床。
平本君とインターラーケンから列車に乗りミラノに向かう。パスポートを見せるだけの国境を越えイタリアに入った。山の美しいスイスからごみごみしたイタリアに景色は変わっていき12時40分ミラノ中央駅到着。

ドーム型の大きな駅である。右も左も分からないまま宿探し。HOTEL ARTHERは満室だったが他の日本人の部屋に2つエキストラベッドを入れ2泊することにした。

地下鉄でドゥオモに行き中に入る。原色のステンドグラスが美しい。おいしいジェラートを食べて待ちブラ。国それぞれに違う雰囲気があり面白い。カップルが周りを気にせずにいちゃいちゃしているのもイタリアらしいというところか。

夜は宿から10分ぐらい行ったところでチーズの味しかしないとピザを食べた。宿に戻ってお金の計算をするとスイスフランとギリシャドラクマがたくさん残っていた。

インターラーケンでぼーっと

1993年03月12日 | ヨーロッパ日記1993
3月12日 (金) インターラーケン 快晴 (INTERLAKEN YH)

7時前起床。
日本人で固められた部屋の皆々はそれぞれどこかへ出かけ、私は朝の散歩に出た。YHの前にある湖は水が澄んでいてゴミひとつ落ちてなく遠くにかすんで見える雪山とのコントラストが美しい。また小さな池には山が水面に映し出され絵葉書のようであった。湖のほとりには犬を連れて散歩にきている人が多かった。空には戦闘機が爆音を上げて飛び交っていた。

気温は0度。OST駅からホテル、土産物屋をのぞきながらWEST駅まで歩き、帰りに金もないのにSWATCHを買ってしまった。2時過ぎ彼女に電話。仕事延長のためこっちにこられないとのこと。こっちで会えるのを本当に楽しみにしていたのに、希望をいとも簡単に粉々に砕かれショックだった。

5時までYHは閉まっているので湖のほとりでボーっとして時間をつぶした。6時半待ちに待った暖かい夕食。ハンバーグとチップス、スープ、サラダ、パン一枚。昨日一昨日とひどかっただけにとてもおいしくいただいた。太陽が夕焼けの中、山に沈んでいった。明日はツェルマットに行くつもりであったが今日まで3日間ずっと山々を見ていたこともあり新鮮味に欠けるともったいないので急遽ミラノに行くことにした。ようやくイタリアだ。