LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

アムリトサル・ゴールデンテンプル

1998年01月30日 | パキスタン・インド日記
PAKISTAN-INDIA
1月30日 (金) ラホール-アムリトサル (GURU RAM DASS SARAI)

5:45am起床。6時過ぎ眠い目をこすりながら3人で3回目のバードシャヒーモスクへ。まだ夜も明けないうちにモスクについたがまだほとんど人は来てなかった。もしかしてまた時間を間違ったか、とも思ったがかなりの数の警官が警備に出ていたので明らかに昨日とは雰囲気が違った。近くにチャイ屋を探して時間をつぶした。夜も明けて8時前にはモスクに戻り、人々がモスクに入っていくさまを見つめる。

8時10分過ぎから絶え間無く2つの入り口から人が入ってくる。パキ人と同じ列に並ぶのはためらわれたので、いい写真を撮れるようにと場所を探す。中根さんが広場を360度見渡せる建物の2回に上る階段を見つけてきたので、上がってみるとそれはそれはすごい光景であった。

8時30分過ぎお祈りが始まる。豆粒のように見える数万の人々が立ったりひざまずいたり同じ行動をマスゲームのように繰り返す。今日ここには首相等のおえらさんも来ているらしかった。写真を撮りに来ている外人、パキ人ジャーナリストは皆ここの場所でシャッターをきっていた。私も沢山写真を撮って下に降りる。

20分程度でお祈りは終わっ他のだが、朝靄の中も空くと礼拝する人々のコントラストは非常に美しかった。お祈りの最後に皆周りの人たちと抱き合っているのが印象的であった。子供たちもたくさん来ていた。通常女の人はあまり外に出てこないのだが、この日だけは別。化粧をし着飾っていた。みんなラマダンがあけてほっとしてるのだろうか?

9時過ぎオートリクシャーに乗ってYWCAに戻り、昨日の所でパキスタンで初めての合法的?朝食。残ったパキrpでたばこ「K2」を5箱買いパキ土産とした。

YWCAでパッキングを終え、フンザであったイギリス人にもサヨナラし、予定より2日遅れてインドに向かうことにする。YWCAの前から43番のバスに乗りラホール駅の前に。ワガーまで行くバスを幸運にもすぐ探し出す事ができはじめて前の席に乗り込む。前の席は基本的に女性が座る場所である。ワガーでバスを乗り換え国境へ。

12:30pm頃国境到着。以前くつろがせてもらった茶店でパキ製の偽マイルドセブン2個、コーラ飲んで残り金すべて使う。さてここでむかつくインド入国対策として現金をすべて隠す事にした。どこに隠すか散々迷った挙げ句ランドリーの靴下の中に隠し包んだ。ネパールrs等は日記帳にはさんでのぞんだ。まずパキ側。「両替しろ、両替しろ」としつこかったので、こいつはパキ人か?と苦笑。国境を越えあの屈辱のインドイミグレへ。こんなに準備してきたのに、エックス線に引っかかったチェーンを出さされただけで、拍子抜けしてしまった。入国してくる奴にはばれた後が怖いので盗まないのか?

隠し持っていたインドルピーを出しオートリクシャーでアターリーの街に行き3:30pm発のバスでアムリトサルへ。今朝早かったのでバスの中では荷物を背に熟睡。

4:30pm到着。懐かしいポテチ親父もそこにいた。タンガ(馬車オグリキャップ号)に揺られながらゴールデンテンプルへ。人に聞きながら無料宿泊施設にようやく着くと、ラホールYWCAにいた自転車軍団と再会した。どこでやられたのか、体のいたるところ湿疹が出たようになっており、特に腕、首、足が蚤に食われたようになっている。

1月23日以来からだを洗っていないので(水浴びはしていたが)ここも湯は出ないが水シャワーを浴びる事を決心。しかし水を浴びる所は仕切りなど無く外から丸見えなので海パンをはき浴びた。1回目のシャンプーは全く泡立た無いほど汚れてた。寒さと戦い、周りの目を気にしながらどうにかシャワーを浴び終えすがすがしい気分に。

食堂(ここも無料)に行くと閉まっていたので3人で外に食べに行く。近くのレストランで食べたホットガーリックチョーメンは塩こしょうききすぎで辛すぎた。ゴールデンテンプル内はもちろん、この付近も禁煙らしく、歩きながらたばこを吸っていると注意された。テンプルの入り口で電話をかけられる所があったので実家に電話。フィルムが着いたとのこと。ほっとした。まだ現像していないらしい。足を水につけて洗い、夜のライトアップされ水面に浮かんでるように見えるゴールデンテンプルを見に行く。美しかった、がそれだけ。ちょうど御輿のようなものが寺院から運び出されているところで人をそれを見て拝んでいた。

その後食堂へ行きタダ飯にありつこうとする。少し待たされたあとようやく入ることができた。いつでも入れるわけではないのだ。皆、列を作って座りダル、チャパティー、漬物のようなもの、水をいただく。お腹は全く空いていなかったしダルも素晴らしくまずかったのでチャパティー1枚だけ食べてまた外に出てチャイを飲む。

今日はいろいろな出来事があり部屋で日記を一生懸命書いていたのだが、そこに他の日本人がやってきた。俺の隣に腰を下ろしたのはいいが奴の足があまりにも臭かったので気分も機嫌も悪くなり書くのをやめ午前1時寝袋に入った。同室にはデリーのパキスタンであったスペイン人がいた。あれから2週間たつというのにいまだイランビザはどうやって取ればいいのか?と会う日と会う人に聞いている。進歩の無い奴だ。

ここはシーク教徒の聖地。外には布団も与えられていない巡礼者(こじきのようなものも多数)が布1枚巻き付けて眠っている。生活の奥深くまで浸透している宗教。今日はイスラム教、シーク教と2つの宗教の姿を見せてもらった。とても日本人の持つ信仰心とは次元が違うように思えた。