LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

バラナシへ

1998年01月07日 | パキスタン・インド日記
NEPAL-INDIA
1月7日 (水) スノウリ-バラナシ (KUMIKO HOUSE)

寂しい田舎道をバスは何度か止まり、休憩しながら朝7時前ネパール-インド国境の町、スノウリに到着。カトマンズで英語を教えているオーストラリア人女性のサリーとForestry関係者のイギリス人男性と3人で朝食(40rs)。

民家の軒先でやっているようなイミグレで出国、入国の手続きをしてとうとうインドへ。国境で待っているバスに乗り込んだところでいきなりインドを感じる出来事があった。荷物はバスの天井に上げたのだがその荷物代を徴収(20rs)されたのである。見た感じ小遣い稼ぎとしか思えない。後から乗ってきた白人家族も困惑した表情で私に払ったか聞いてきた。その金を集めていたインド人の顔がこれまた悪そうな奴だった。性格は顔に出る。もうここはネパールじゃないことをいきなり教えられた。

8:45amバラナシに向けて出発。このバスがこれまた寒かった。ガラス窓の隙間から風が遠慮なく入りこんできてとにかく寒く昨日買ったショールを頭からかぶっていた。このショールが無かったらと思うとぞっとする。よく止まるバス、うるさいインド音楽、クラクション、これがインドと言うことか。

7pmバラナシ到着。リキシャに日本人4人、韓国人1人で乗り込み宿の近くまでいき、そこから歩いた。町は人でごったがえし、すごく活気に満ち溢れていた。ここがインド人の憧れ、ヒンズーの聖地バラナシだ。ガンガーに出てみると夜遅いのもあるのか、静かなもので聞く所によると夜はとても危険らしい。宿の夕飯の時間はもう終わっていたので近くの食堂で焼き飯(20rs)を食べた。久美子ハウス(80rs)の2階の部屋はゴミだめのようで布団は湿っていて、枕はゴミより汚かった。ここは日本人宿としてとても有名でジャパニでいっぱいであった。うるさいほどに。隣に寝ていた人がすごいいびき、読んでいた漫画のエコエコアザラクの本で時々しばいていびきを止めた。