(ルート)
叡山電鉄 鞍馬駅 ⇒ 鞍馬寺 ⇒ 貴船神社 ⇒ 叡山電鉄貴船口駅
⇒ 叡山電鉄二軒茶屋駅 ⇒ 上賀茂(賀茂別雷)神社 ⇒ 太田神社
⇒ 地下鉄北山駅
+++++++++++++++++++++++++++++++++
境内進むと国指定重要文化財並んでます。
賀茂別雷神社 拝殿(細殿)(1628年建造)
賀茂別雷神社 土屋(到着殿)(1628年建造)
賀茂別雷神社 楼門(1628年建造)
これはただの摂社、摂社須波神社本殿。一応「附」の建物。
賀茂別雷神社 幣殿(1628年建造)
賀茂別雷神社 忌子殿(1628年頃建造)
賀茂別雷神社 片岡橋(明治初年建造「谷重雄」)
といった感じです。
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。延喜式神名帳では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の社格制度でも、官幣大社の筆頭という、伊勢神宮の次位の神社とされ、明治16年には勅祭社に定められた。
叡山電鉄 鞍馬駅 ⇒ 鞍馬寺 ⇒ 貴船神社 ⇒ 叡山電鉄貴船口駅
⇒ 叡山電鉄二軒茶屋駅 ⇒ 上賀茂(賀茂別雷)神社 ⇒ 太田神社
⇒ 地下鉄北山駅
+++++++++++++++++++++++++++++++++
境内進むと国指定重要文化財並んでます。
賀茂別雷神社 拝殿(細殿)(1628年建造)
賀茂別雷神社 土屋(到着殿)(1628年建造)
賀茂別雷神社 楼門(1628年建造)
これはただの摂社、摂社須波神社本殿。一応「附」の建物。
賀茂別雷神社 幣殿(1628年建造)
賀茂別雷神社 忌子殿(1628年頃建造)
賀茂別雷神社 片岡橋(明治初年建造「谷重雄」)
といった感じです。
賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。延喜式神名帳では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。
明治の社格制度でも、官幣大社の筆頭という、伊勢神宮の次位の神社とされ、明治16年には勅祭社に定められた。