熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2007年3月25日 一宮の旅 17

2008-09-09 14:20:16 | 中部
 さて、次は真清田神社本殿の横にある御神水???





 飲んでいないので味はわかんないですな!!

 そして再び大きな龍!




 隣に稲荷がありましたが、イベント中で写真がとれなかったんで、後は正面の写真などで終わりますわ。




2007年3月25日 一宮の旅 16

2008-09-09 14:20:06 | 中部
 真清田神社本殿。





 週末だったのでもう少し人は多いか、と思ったが、一之宮でもあんまり客は来ないものなんだな。やはり、何かイベント時しか多くないようだ。



 まあ、でも近江国一之宮の建部大社に行ったときよりははるかに人は多いけれど。

 ここはお守りが全て1個1000円という高いところであった。




 この値段は妥当なんだろうか??? さすが、名古屋の近くだけあるわ。

2007年3月25日 一宮の旅 15

2008-09-09 14:19:58 | 中部
 さて、真清田さんの続き。
 主祭神の母神様を祭る服織神社。





 一寸、公式HPより以下を抜粋。
「 人は、食が得られると、次に衣の問題が自然に起こって来ます。当社の摂社・服織神社は、その意味から生まれたものです。
 尾張国は、農業守護の神の外に、機織守護の神も各地に祭られ、衣料にも深い関心が寄せられていた地方です。その機織の神である萬幡豊秋津師比賣命[よろずはたとよあきつりひめのみこと]は、本社の祭神たる天火明命の母神に当ります。つまり、この両神が揃って当社に祭られている意味は、人々に衣食の充足が、生活の第一歩であることを教えたものといえます。例えて言えば「母は機を織り、子は耕す」ことによって生きていく道を教えたものです。
 古来、皇室で、天皇が自ら耕し、皇后が自ら養蚕したことも、この精神を継いたものです。今日、当社の鎮座する一宮市が、尾張地方ではもちろん、全国的に見ても、機織工業及び農業の中心地として栄えているのは、この母子神が力を合わせて示した教えのお蔭といっても過言ではありません。
 なお、この機織の守護神・萬幡豊秋津師比賣命という神名は、「総ての織物を、生地の上からも、柄の上からも、これを立派に、且つ精巧に作り上げることを教えられ、且つ御守護、奨励される神」という意味のものです。」

2007年3月25日 一宮の旅 14

2008-09-09 14:19:49 | 中部
 そんなこんなでついに最終目的地、真清田神社到着。正面からではなく、東側から入らせていただきました。
 そう、ついに尾張国一之宮の有名なほうの真清田神社に到着ですわ・・・・

 でも入った瞬間に鶏を追う一眼レフ爺さんがその感慨を・・・・ぶち壊す。
 仕方がないので、私もその巨大な鶏を激写。普通のものの2倍はあるんではないでしょうか???



 その奥にあった末社も激社! 名前は不明です。公式HPにも名はない。
 無念です・・・・



 そして、後を見ると立派な龍がいる手水舎。もちろん激写!




 龍神信仰か・・・・

 そしてさらに名のわからぬ末社・・・



 神さん、名前もチェックし切れなくてすまない。

 そんで、その隣にはよく大きな神社には見られる細石だ。



 では、続きは次の記事にします。

2007年3月25日 一宮の旅 13

2008-09-09 14:19:39 | 中部
 さて、もう真清田さんも近づいてきたときに一つの社が目に入ったので
 再び寄り道。古守神社と言うそうだ。
 また情報がないので(というか調べるのが面倒なこのごろ・・・)
 写真だけで我慢ください。





 ポイントは末社の方が狛犬が巨大だったということです。
 バランスが悪すぎ・・・

2007年3月25日 一宮の旅 12

2008-09-09 14:19:29 | 中部
 つぎに、真清田神社のそばにある濱神明社へ行きました。
 というか、間違っただけですが・・・・




 こちらにも社殿の正面には仕切り板が・・・・
 風による災害か何かが多かった地域なんでしょうか?
 何かそのようなものを感じないわけでもないですな。




 まあ、このあたりは小さな社が多いものですな。

 そして・・・・




 まあ、これと、神社の名前からこのあたりは川浜だったんでしょうね。もしかしたら、仕切りがついている神社は全てその川に沿うところにあったのかもしれない。水害対策だったんでしょうか? 知っている方がおられたら教えていただきたいものです。

2007年3月25日 一宮の旅 11

2008-09-09 14:19:20 | 中部
 六所神社の後は、最終目的地である真清田神社の方向に進み、その途中にある花岡神社によった。大正年間だから神社としてはまだ新しいところだ。








 そして、神社の脇から道に出て、真清田さんを目指す!

2007年3月25日 一宮の旅 10

2008-09-09 14:19:09 | 中部
 十二所神社のあと無事にオムライス屋さんを発見。そこで休憩をすることに。
 中のご飯は山菜醤油ライスにしてもらい食べた。

 そして、出発後、六所神社へ。まあ、後半戦だ。




 ふむ、ここもやはり、拝殿の前に仕切りがある。
 面白い街だな。



 問題はやはり拝殿のガラスだ・・・・ 風情を損なう。



 こちらが本殿だ。

 あとは、横にあった末社。


2007年3月25日 一宮の旅 9

2008-09-09 14:19:00 | 中部
 食事が取れそうなところは見つからなかったので、十二所神社へ行くことになった。



 ここにも、鳥居と拝殿の間に一枚の壁というか仕切りがある。
 何を意味するのだろうか。



 かがり火を燃やすための籠がなぜか・・・・ゴミ箱になっている・・・
 ひどい話だ。



 こちらは色を反転させたほうが読みやすいのでそうさせていただいた。

2007年3月25日 一宮の旅 6

2008-09-09 14:18:35 | 中部
 このあたりからロバ師匠は疲れ始めていたようだ。

 まあ、昼食のできる場所を探しながら神社をまわる・・・・
 ちなみにこの周辺は何もなさそうだった。 
 とりあえず目的地の日吉神社到着。





 このあたりから多くの神社では、鳥居と拝殿の間に一枚壁のような物語っている構造になってきており、不思議な形態の神社だなあ、と思い始めた。

 あとは、この神社の拝殿の屋根が青だったのも異風?だった。

2007年3月25日 一宮の旅 5

2008-09-09 14:18:24 | 中部
 さて、妙興寺到着。ここもまた私は情報がない・・・・・
 覚えているのはここは臨済宗の寺院という事だけ。




 入ると結構重要文化財の看板などが見られた。



 左の建物が鐘楼。

 さらに門の中を撮影。



 撮影禁止のサインがないために彼は写真を撮り終わるのを待っていたが、修行場のため撮影は控えて欲しいとのことであった。 ということで、さらに奥へ。




 おお、有名な剣豪がここに滞在していたことがあり、しかもここで無刀取りですか??? 少し感激。

 さらに進むと名は知らないが門が。



 そして仏殿に到着。





 どうでしょう???

 さらに、いい角度で写真を。これは総門かな?



 そして、指定文化財の勅使門で終わりです。



2007年3月25日 一宮の旅 3

2008-09-09 14:18:03 | 中部
 さて大神神社の次はその近くにある素盞鳴社である。
 情報ははっきり言ってまったくないのでなんともいえないが
 スサノオノミコトが祭神であることだけは名前からも確かであろう。
 とりあえず写真のみ紹介。





 社が小さいのであるが、この地域はそういうのが普通なのであろうか???
 非常によくこのスタイルの神社があったように思う。