熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

フォトはクリックすると大きくなります。

2007年10月9日 熊野の旅第四日目 12

2008-01-22 00:25:22 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 竹原八郎屋敷跡を出、国道169号線を下北山を目指し東に走る。北山川(い
わゆる奥瀞周辺)が和歌山県最大の飛び地のひとつ北山村と熊野市の境界を流
れているのだが、七色ダム周辺で景色が綺麗なので写真を撮ってきた。




 昔はもっと水量があったと思うのだが、水軍か・・・
 血が滾りますな!
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 11

2008-01-22 00:20:00 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 この前日どこかの案内板で竹原八郎屋敷跡と書いているのを見かけてはいた
が、詳しく場所を覚えておらずまさか行けるとは思っていなかった。赤木城址
のあとは上北山にある後南朝の二人の宮の墓などに行く予定であったので、
下北山村に出る道を目指し車を走らせていた・・・ と、ひとつ神社が見えた。
花知神社とあり、寄ってみることにした・・・ら、説明板になんと竹原八郎と
いう名があるではないか・・・ うれしいことだ。元々、彼は十津川の郷士と
いうのだから、もしかしたら今は熊野市になっているが、ここは十津川村であ
ったのか? 実は、戦国時代に我が先祖の本家に当たる産田神社有馬榎本が新宮
別当の座を奪おうとする堀内氏虎と戦っていた折に、ともに戦った仲間のひと
つが竹原氏であったことから、おそらく彼らも熊野水軍の一団を率いていたの
だろう、と推測する。

 さて、では、まずは鳥居から。



 ここで、M子師匠の写真を・・・ 北海道の人だが・・・ もはや大阪の
おばちゃんと化しているように見える。赤い髪と服装のせいか?



 では境内。花知神社の境内が竹原八郎屋敷跡に当たる。
 ちなみに裏手にはすぐに川があるので水軍だねえ、という感じ。





 ちなみに、この神社の祭神は牛頭天王、大塔宮護良親王、そして竹原八郎
である。

 そして、それがしの写真も撮ってもらった・・・ 乳首がたっているのが
気になるところだ・・・




★竹原八郎屋敷跡★ 三重県熊野市神川町字花知

 熊野市指定文化財

・南朝の忠臣竹原八郎入道宗規と甥の戸野兵衛良忠が元弘元年(1331)冬、
 大塔宮護良親王を熊野路にお迎えして、いち早く兵を挙げ伊勢に進出し
 六波羅探題を脅かし、鎌倉幕府倒幕のきっかけとなり活躍した。その竹原
 八郎の屋敷跡。
・東西四十四メートル、巾八メートルの土塁と深さ六メートル、巾八メート
 ルのカラ堀をめぐらし、北は断崖となっていて天然の要塞をなす。
 → 個人的には北山川を縦横無尽に動いていた水軍と思うので断崖からの
  アクセス方法はあったと思う。
・堀は東側のみ。
・現在は花知神社となり、祭神として牛頭天王、大塔宮、竹原八郎の三人を
 祀っている。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 10

2008-01-16 21:11:02 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 丸山千枚田の後は、私が行きたかった赤木城址へと行った。小さいがしっか
りとしたところで三重県もしくは国の指定史跡として登録し保存していただき
たいところだ。と、思っていたら平成元年に国の指定史跡になっていたようだ・・・ ははは!

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★赤木城址★ 三重県熊野市紀和町赤木大字城山

 国指定史跡

・紀伊和歌山藩編纂の「紀伊風土記」によれば天正年間に築城されたという。
・藤堂佐渡守(のちの和泉守高虎)と羽田長門守の両人が北山代官の時に築城。
・犯罪者を城西方の田平子峠で斬首獄門にしたと伝わる。
・熊野市神山の倉谷家文書によれば、天正十六年(1588)大和大納言豊臣秀長の
 北山攻めの後に築城したとあるそうだ。
・藤堂佐渡守は天正十三年紀州攻めの際に北山入りし、文禄四年(1595)四国
 伊予三郡を与えられるまで十一年間北山付近に在したといい、この間、二度
 の北山の陣で一揆方と戦っている。この頃に現在の城郭に整備したとされる。
・中世と近世の築城法を併用した平山城であり、南北約130メートルの尾根を
 中心にして縄張りし、主郭、南の郭、西の郭を地割し主郭の東下方の犬走り
 は北の付曲輪とその下方約50メートルの堀切に通ずる。
・南の郭の下には付曲輪を残し、その西側には自然の谷を空堀にし防禦に備え
 ている。
・石垣は野面乱層積みで反がなく主郭の四隅は算木積と横矢掛の工法を用いて
 いる。
・築城当時の原形を残した城跡は全国でも少なく貴重。

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 ということで、登城開始。少し登った草むらに説明板があった。
 鍛冶屋敷跡だということだ。



 そして登ると・・・東郭とそこに入る門跡がある。



 東郭からはすぐに主郭が見ゆる。その眺め。



 主郭に入るためには、虎口という入り口を通らねばいけない。これは、攻め
られたときに通りにくいように作られている。



 こちらが主郭の跡。そんなに大きくはない。城というよりは大きな屋敷を
想像する広さ。



 そして、主郭から見る美しき棚田の眺め。



 さらに主郭から見る西郭。写真ではその右側が谷となっている。自然の要
害だ。



 次は主郭から見る東郭の姿。



 主郭に立つM子師匠。



 虎口に立つそれがし。



 そして、東郭からもう一度振り返って城址を後にする。



 最後は城址の見取り図。

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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 9

2008-01-14 21:22:17 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 次は、景観が有名な丸山千枚田。こちら紀和町にあります。
 写真のみ。



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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 8

2008-01-12 21:03:25 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 次は三重県紀和町内にある入鹿八幡宮。
 まあ、最初は蘇我入鹿関係かと思ったのだが、やはり遠すぎて関係のないも
のだった・・・



 


★入鹿八幡宮★ 
・800余年前に創建で、600余年前に中興だそうだ。
・祭神は応神天皇を主祭神とし、父仲哀天皇、母神功皇后の三柱を祀っている。
・入鹿某が大分県宇佐より八幡神を勧請し岡原山に祀った所に始まる。
・いずれの源氏かは不明であるが山本義家の名などが見られ、源氏の一統山本氏
 が氏神八幡神を勧請し祀ったと考えられる。
・現在、応神天皇以下十柱を祭神としている。これは明治三十九年の一村一社
 令により、丸山・丸山神社、板屋・矢倉神社、矢ノ川・矢倉神社、大河内・
 大河内神社、小川口・楠森神社、木津呂・天石神社、島津・池森神社、
 湯の口・杉野神社、玉置・牛頭神社を合祀した結果である。
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 6

2008-01-09 19:56:38 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 休憩時間中の瀞峡での自分たちの記念写真。




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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 5

2008-01-09 19:47:24 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 短いこの休憩地点での時間を生かし、瀞峡の写真に没頭した。
 ご堪能下され。







 そして、出発の時間だ・・・

 川の魚はそのときに撮影・・・

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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 4

2008-01-09 19:23:09 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 瀞峡も奥に入ってくるとさらに絶景になってくる。
 うちの先祖も竹原さんらと熊野水軍率いてこの辺にも来ていたのだろうね。
 じゃ、写真続きだ。





 そして、三県の境界にあるという中継休憩所が見えてきた・・・
 建物があるのは三重県側になるはず。




 吊り橋も見え隠れし、生活は不便そうなところだが美しく、夏の避暑のため
に別荘としてほしいものだ。また雪景色はどうだろう・・・もちろん、激寒で
あることは間違いないが。

 ちょっと中州からの写真を軽く3枚。





 (続く)
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 3

2008-01-09 19:16:04 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 ついに迎えの船がやってきたのでついに瀞峡初体験と相成り申す。

 まずは北山川の風景。



 途中中継地点がありそこが、三重県紀和町、和歌山県熊野川町飛び地、そし
て、奈良県十津川村の境界地点になるのだが、そこまでは紀和町と熊野川町の
境界を川が流れていることになる。

 そして、ついに瀞峡突入! 写真だけになりますが、お楽しみくだされ。








 (続く)
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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 2

2008-01-07 02:19:08 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 瀞渓谷の遊覧船の時間までしばらく空いていたが、まったく何もないとこな
ので、ぼうっと船乗り場付近で写真を撮りながら待っていた。

 板屋川と北山川の合流地点の小川口(紀和町)なので三重県なのかね・・・

 ということで合間に撮った写真。



 駐車場の脇。板屋川?



 川面。晴れていたらさぞ美しいのだろうに。



 龍雲。タツノオトシゴのようだが・・・



 波紋。




 彼岸花とクロアゲハ。



 クロアゲハとアゲハチョウの夢の競演!

 最後は再び板屋川?

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2007年10月9日 熊野の旅第四日目 1

2008-01-05 01:45:56 | 近畿(三重)
((道程))
 1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田

→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社

→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮 

→ 11.金剛寺

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 この日は最終日で奈良に帰る予定。まずは、瀞渓谷船の旅を目指しホテルを
チェックアウト。道中の矢倉神社なるところへと寄ってきた。一応三重県の
紀和町になる。由緒など詳しいことは不明。





 そして北上した。
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