((道程))
1.矢倉神社 → 2.瀞渓谷 → 3.入鹿八幡宮 → 4.丸山千枚田
→ 5.赤木城 → 6.竹原八郎屋敷跡 → 7.上北山・八坂神社
→ 8.瀧川寺 → 9.水分神社 → 10.北山宮
→ 11.金剛寺
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丸山千枚田の後は、私が行きたかった赤木城址へと行った。小さいがしっか
りとしたところで三重県もしくは国の指定史跡として登録し保存していただき
たいところだ。と、思っていたら平成元年に国の指定史跡になっていたようだ・・・ ははは!
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★赤木城址★ 三重県熊野市紀和町赤木大字城山
国指定史跡
・紀伊和歌山藩編纂の「紀伊風土記」によれば天正年間に築城されたという。
・藤堂佐渡守(のちの和泉守高虎)と羽田長門守の両人が北山代官の時に築城。
・犯罪者を城西方の田平子峠で斬首獄門にしたと伝わる。
・熊野市神山の倉谷家文書によれば、天正十六年(1588)大和大納言豊臣秀長の
北山攻めの後に築城したとあるそうだ。
・藤堂佐渡守は天正十三年紀州攻めの際に北山入りし、文禄四年(1595)四国
伊予三郡を与えられるまで十一年間北山付近に在したといい、この間、二度
の北山の陣で一揆方と戦っている。この頃に現在の城郭に整備したとされる。
・中世と近世の築城法を併用した平山城であり、南北約130メートルの尾根を
中心にして縄張りし、主郭、南の郭、西の郭を地割し主郭の東下方の犬走り
は北の付曲輪とその下方約50メートルの堀切に通ずる。
・南の郭の下には付曲輪を残し、その西側には自然の谷を空堀にし防禦に備え
ている。
・石垣は野面乱層積みで反がなく主郭の四隅は算木積と横矢掛の工法を用いて
いる。
・築城当時の原形を残した城跡は全国でも少なく貴重。
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ということで、登城開始。少し登った草むらに説明板があった。
鍛冶屋敷跡だということだ。
そして登ると・・・東郭とそこに入る門跡がある。
東郭からはすぐに主郭が見ゆる。その眺め。
主郭に入るためには、虎口という入り口を通らねばいけない。これは、攻め
られたときに通りにくいように作られている。
こちらが主郭の跡。そんなに大きくはない。城というよりは大きな屋敷を
想像する広さ。
そして、主郭から見る美しき棚田の眺め。
さらに主郭から見る西郭。写真ではその右側が谷となっている。自然の要
害だ。
次は主郭から見る東郭の姿。
主郭に立つM子師匠。
虎口に立つそれがし。
そして、東郭からもう一度振り返って城址を後にする。
最後は城址の見取り図。