熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2007年5月20日 1 諸羽神社

2007-12-24 04:46:25 | 近畿(京都)
((ルート))

1.諸羽神社 → 2.天智天皇陵 → 3.日向大神宮

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 この日は、京都の山科に住んでいる熊野三党末裔仲間のS木師匠と会う予定
であったので待ち合わせ、その後、彼がよく行く諸羽神社へと行った。

 これは一の鳥居になるのかな?



 そして参道をしばらく歩くと拝殿が見えてくる。



 ところで、こういうものがあった・・・



 ご存知の方おられる??? 年代のことから、次の逸話の人とも思うがど
う?
「高徳掃部(主計)

実名不詳。大番組に属す。下野で生まれる。
 あるとき三男、右衛門三郎が原田七左衛門(同じ秀康家臣)の子の刀を望んだところ、断ったため右衛門三郎は「たとえ千金を延べて作った刀だとしても、侍が望まれて断ることはあってはならない」と七左衛門の子を叱りつけたので、渋々与えた。しかしその与え方が悪かったのか右衛門三郎が怒って討ち果たしてしまった。帰宅してこの事を伝えたところ、掃部は「でかし候」と誉めた。しかし掃部は右衛門三郎を召し連れて原田七左衛門の屋敷へ赴き、「私には子供が沢山おりますが、お手前には子供が一人しかおらず不幸なことでありました。忰を連れてきたので如何様にもなされるように」と言ったところ、七左衛門は「それならば我が子にいたそう」と答えた。掃部は「このようなうつけの忰は何の役にも立ちませんが、よい子に育ててくださるように」と原田七左衛門の養子にしたということである。(「叢記」)」

 まあ、それはおいておいて、拝殿の写真。



 さらに本殿。S木師匠はオレの写真は止めてくれ~~と言ってたが、後姿な
のでOKだろう・・・



 そして、斜め後ろにある岩坐と琵琶石。



 岩坐は、御神石なのかな? 琵琶石は盲目の人康親王がこのあたりに住んで
おり、いつもこの石に座り琵琶を弾いていた、と言う話に由来するもの。

 ところで、この本殿前でM子師匠がS木師匠に霊気の伝授をしようとして
怪しげな動きをしているときに神官ではないが住み込み世話人のおっちゃん
が来て、「怪しげな宗教の人は困ります。帰ってもらえますか、今から宮参り
に来る家族がいるのに・・・・・(ブツブツブツ)」と近づいてきたのだ。
 本殿に座り込んで私は笑っておったのだが、M子師匠は「霊気(云々)」と
彼に話すわけだ。すると、急におっちゃんの態度が変わり話に食いついてきた。
どうも、霊的な力には無縁の人のようだが、興味があるらしく、結構講習会と
かいってるような感じだった。まあ、しばらく食いついてきて話をしたあと、
われわれは参道の脇の公園へ移動したのだ・・・ そこでは面白い
ストーリーが・・・


 ところで

 諸羽神社情報

・天孫降臨神話の中で瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命と天太玉命を祀る
 ことから両羽大明神というようになったらしい。
・貞観四年(862)清和天皇の勅で社殿が建てられたのを起こりとする。
・後に正殿に応神天皇、脇殿に伊奘諾尊、素盞嗚尊および若宮八幡を合祀し、
 名を諸羽神社に変更。
・山科十八郷第四番目の社のため「四の宮」と呼ばれてきた。

 とのこと。

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