((ルート))
1.丹後由良駅 → 2.如意寺 → 3.由良神社 → 4.由良海岸
→ 5.丹後由良駅~天橋立駅 → 6.智恩寺 → 7.吉野神社
→ 8.ホテル北野屋 → 9.智恩寺 → 10.天橋立
→ 11.智恩寺 → 12.ホテル北野屋
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目的地の由良神社へようやく到着。人の気配すらない・・・
さびしい限りだ。由緒などを記す立て札もなく、社務所も空だ。
如意寺の方から入ったので裏からであったが、写真を撮るために鳥居まで
行き、撮影を始めた。まずは、鳥居からの境内の姿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4d/3b9cde48d2408ff10fcb717d7293aedf.jpg)
寂しさが漂うが、山の雪と雪解けの水でいっそう美しく境内が目に映る。
さらに境内の中に入ると180センチほどの高さの石柱が二本並んでいる。
これはいったい何に使うものであろうか? 疑問である。祭りかね?
その石柱を画面に入れて拝殿を写す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e8/2cba8b59004a60b0c02ad49efcf085d6.jpg)
境内の地面が水溜りでなく雪に覆われていれば、さぞ美しい写真になった
であろう・・・、と思わざるを得ない。
そして、拝殿正面からの姿だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/97/88149fd6002dffa0d7046a79f02eea35.jpg)
拝殿には意外なところに鏡があった。ということはそこは御神体ではない
のか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1f/a27ef7c58f2068bd2b42d4bb45145303.jpg)
横からの本殿の姿は次の写真である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/37/3ea3c6b21d0a0a23ae5ed3e87c0f15b9.jpg)
では、拝殿前の鳥居のところでふんぞり返っているM子大魔神師匠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9a/fd980b1b145eafcf3df01fad3373b214.jpg)
そして、拝殿をバックに拙者の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9f/bf7609c465cecf59c62156b8c2963313.jpg)
ついでに社務所の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/24/d7db36a65ff64121deb4952d4f0109ef.jpg)
最後は摂社になるのかな?境内にある唯一の社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c4/4d4e1a34998f348e49b52b11b6bd5789.jpg)
これが、もしかしたら熊野三社の総玉社?
★由良神社★ 京都府宮津市字由良
祭神 : 伊奘諾命 櫛御気命 誉田別尊
・祭神の伊弉諾命・櫛御気命は出雲の熊野神社(現 熊野大社)から勧請した
もので、古くは上の宮、中の宮、下の宮とあったものを正徳元年(1711)
神殿再建の際、上下の両社を中の宮の境内へ合祀したとされる。とあるが、
出雲熊野大社の祭神は素盞嗚尊(加夫呂伎熊野大神櫛御気野命)のため、
間違いと思われる。
・誉田別尊は、京都の上善寺門前町に鎮圧する花御所八幡宮の分霊を勧請し
たもので明治20年に熊野神社へ合祀、由良神社と改称したとされる。
・もと熊野神社といった。
・熊野三所権現を祭ったとあり、紀伊熊野三社との混同も見え、詳しくは不明。
・隣にある如意寺の下にあり、この如意寺によれば、鎮守として熊野三社権現
を鎮守として勧請とあるため、出雲の熊野大社ではなく、紀伊熊野三社のい
ずれかからの勧請ではなかろうか?
1.丹後由良駅 → 2.如意寺 → 3.由良神社 → 4.由良海岸
→ 5.丹後由良駅~天橋立駅 → 6.智恩寺 → 7.吉野神社
→ 8.ホテル北野屋 → 9.智恩寺 → 10.天橋立
→ 11.智恩寺 → 12.ホテル北野屋
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目的地の由良神社へようやく到着。人の気配すらない・・・
さびしい限りだ。由緒などを記す立て札もなく、社務所も空だ。
如意寺の方から入ったので裏からであったが、写真を撮るために鳥居まで
行き、撮影を始めた。まずは、鳥居からの境内の姿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/4d/3b9cde48d2408ff10fcb717d7293aedf.jpg)
寂しさが漂うが、山の雪と雪解けの水でいっそう美しく境内が目に映る。
さらに境内の中に入ると180センチほどの高さの石柱が二本並んでいる。
これはいったい何に使うものであろうか? 疑問である。祭りかね?
その石柱を画面に入れて拝殿を写す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e8/2cba8b59004a60b0c02ad49efcf085d6.jpg)
境内の地面が水溜りでなく雪に覆われていれば、さぞ美しい写真になった
であろう・・・、と思わざるを得ない。
そして、拝殿正面からの姿だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/97/88149fd6002dffa0d7046a79f02eea35.jpg)
拝殿には意外なところに鏡があった。ということはそこは御神体ではない
のか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1f/a27ef7c58f2068bd2b42d4bb45145303.jpg)
横からの本殿の姿は次の写真である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/37/3ea3c6b21d0a0a23ae5ed3e87c0f15b9.jpg)
では、拝殿前の鳥居のところでふんぞり返っているM子大魔神師匠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9a/fd980b1b145eafcf3df01fad3373b214.jpg)
そして、拝殿をバックに拙者の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9f/bf7609c465cecf59c62156b8c2963313.jpg)
ついでに社務所の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/24/d7db36a65ff64121deb4952d4f0109ef.jpg)
最後は摂社になるのかな?境内にある唯一の社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/c4/4d4e1a34998f348e49b52b11b6bd5789.jpg)
これが、もしかしたら熊野三社の総玉社?
★由良神社★ 京都府宮津市字由良
祭神 : 伊奘諾命 櫛御気命 誉田別尊
・祭神の伊弉諾命・櫛御気命は出雲の熊野神社(現 熊野大社)から勧請した
もので、古くは上の宮、中の宮、下の宮とあったものを正徳元年(1711)
神殿再建の際、上下の両社を中の宮の境内へ合祀したとされる。とあるが、
出雲熊野大社の祭神は素盞嗚尊(加夫呂伎熊野大神櫛御気野命)のため、
間違いと思われる。
・誉田別尊は、京都の上善寺門前町に鎮圧する花御所八幡宮の分霊を勧請し
たもので明治20年に熊野神社へ合祀、由良神社と改称したとされる。
・もと熊野神社といった。
・熊野三所権現を祭ったとあり、紀伊熊野三社との混同も見え、詳しくは不明。
・隣にある如意寺の下にあり、この如意寺によれば、鎮守として熊野三社権現
を鎮守として勧請とあるため、出雲の熊野大社ではなく、紀伊熊野三社のい
ずれかからの勧請ではなかろうか?