せわしない日が続いていましたので、「ハイスクール1968」(四方田犬彦著)をボチボチ読んでいました。読むべくして読んだというか、なんというか・・・・。
著者は私より2学年上でいらっしゃるようです。1968年には私はまだ中学生でした。
それぞれの高校の偏差値はぜんぜん違いますけど、著者は私が高1の時に高3・・・。ということは、封鎖をやって停学になったあの先輩たちと同い年か・・・・と、ちょっとしみじみしてしまいます。
私は封鎖のあった翌年に高校に入学した「乗り遅れ組」なのですが、「封鎖があった!」ということがその高校を選んだ理由でした。でも、政治に興味があったわけでは全然なくて、「バリケード」とか「封鎖」とかいうものに「ハレ」の気配を感じていたんじゃないかと思います。
「スリル」かな?感じていたのは。
ニンゲン、十代の頃にはどうしても「スリル」が必要なんですね。
その頃は、「なんてったって健康が一番大事!」なんていう考えは想像もできなかったと思います。(今では「他に何があるの?」というくらい、健康第一ですけど。)
あの頃の若者の高揚と挫折は程度の差こそあれ、書かれている通りだったな~と思います。
そして、読後ふと思ったことは、「人一倍多感だったらしい著者がなぜ拒食症にならなかったのか」ということでした。
やっぱり「男子だった」からかな?
挫折はしても、「何か」を疑ってみることはなかった・・・・のかな?と思いました。
