ウワサによると、3年後ぐらいには、憲法改変についての国民投票が行われる事になりそうですので、全く無目的に書いてきたこのブログにも「書く目的」ができてしまったような気がしてきました。
そこで、今から国民投票が行われるその日まで、「人気ブログランキング」に参加してみる事にします。
9条と戦争の事を考える記事を書いたら、できるだけ広い範囲の人たちの目に触れてほしいからなのですが、「目に触れればいい」のであって、その結果はまあ、何でもいいです。おそらく、「バァ~カ」と思われるだけでしょうし、もしかしたら私のほうが「憲法は変えたほうがいい」と、考えを変えることになるかもしれません。
今、このANOTHER PLANETへのアクセス数は、一日平均60ip, 100数十vpです。(ipが何でvpが何なのか全然知らないんですけど。)
ネットの世界では本当にささやかなものですが、私にとってはすごい数字です。毎日60人(多分)の人達に自分の考えを伝えることができるなんて、信じられないくらいです。だから、9条についての考えを書くなら、ランキングに参加してもう少し範囲をひろげてみようと思いました。(広がらないかもしれないですけど、まあ、それはそれで。)
でも、これからは記事が9条がらみだけになるというわけではありません。その点については、今までどおりの「思いつくまま」です。(観念的な与太話を中心に、面白くもなさそうな本の書評、わけのわからない挿絵付きの俳句、けっこうノッてるエロばなし、アクセス数を激減させる効果絶大な英詩・・・・か。)
さて・・・、と。
今日の話題は、東京新聞の「大波小波」というコラムです。
私は前にも一度、このコラムの村上龍の本の書評を取り上げたことがあって、その時は「19歳の男子が書いた書評」という「フリ」に、すっかりだまされてしまいました。実際は一人あるいは数人の大人の編集部員の方々が書いていらっしゃるようで、「19歳」というのは、その時の書評の内容に合わせたパロディーだったようです。
今日の題材は「第一回大江健三郎賞」でした。大江氏が一人で受賞作を選ぶ、という趣向の賞なのだそうです。
・・・そして選ばれたのは、新潮社刊の長嶋有『夕子ちゃんの近道』である。
純文学の前衛を指導してきた大江センセイにしては大人しすぎる選考ではないかと思えるが、選評を読むと「文学革新のイデオロギーというようなこととは無関係に、この独特な楽しさを」気に入ったらしい。「懐かしい小説の魅力を、それもすっかり新しい日本人たちをつうじて表現した作品」ということだが、小生にはソツなく書かれた今風のユルい小説としか思えない。
新潮社の本を選んだあたりに、講談社とのバランスを見てしまうのは穿ち過ぎか。さらに選評の最後に、連作各編の書き出しに見られる繰り返しについて、翻訳の際は「作者に手直しをすすめたい」と付け加えている。
このような「手直し」の指導にも大人しく従いそうな、大江にとって脅威となりえない作家を選んだのだろうか、と勘ぐりたくなる。長嶋有よ、プライドがあるなら大江センセイのおせっかいに断固として抵抗してみせてほしい。
良かれと思って、ほとんど全文引用してしまいました。東京新聞の「やぶにらみ」さん筆、です。
上の大江氏の、「すっかり新しい日本人たち」という言葉で、何年か前に氏が朝日新聞に書かれた記事を思い出しました。帰国子女が集まったセミナーだか何だかで、彼らが自由自在に英語で話すのを見て、「彼等は新しいタイプの日本人だ」と思い、「未来に期待したい」というような内容でした。ちょっと信じられない気持ちだったのを覚えています。なにしろ、どう読んでもそれ以上の内容がなかったので。(文章をきちんと憶えていないのに、こんな事を言うのは気が引けるのですが、まあ、零細ブログですから。)
とにかくこのコラムは、批判しにくい人を批判しているところがいいなと思いました。
私は、なんてったってソレが一番大切だと思っています。
その対象が、右でも左でも、悪徳政治家でも、真摯な芸術家でも、
そして志を同じくする人たちでも。
