ANOTHER PLANET

与太話とマンガ。ホームページへのリンクはBOOKMARKにあります。

辺境の純愛物語

2006年09月30日 21時14分18秒 | たまには映画

 今Gyaoで配信中の「セクレタリー」、おすすめです。
 宣伝文句を読むと、「調教」がどーのこ-のでウッシッシ♪・・・というジュンイチセンセイの小説のようですが、そんなチャチな映画ではありません。S男君とM子さんの純愛物語です。

 精神病院から退院した自傷癖のある純情な女の子(リー)が、タイピングの訓練を受けて法律事務所の秘書になります。彼女の雇主(Mr.グレイ)が「S」で、彼女のお尻をバシバシひっぱたくのですが、これには「もっと仕事しろ」とせかせる意味合いはありません。
 極端に従順で潜在的に「M」のリーは、Mr.グレイの変則的な「愛の行為」によって「M」を自覚していくにつれ、自傷癖がなくなっていきます。そしてある日母親(家中の刃物を隠している)に「もう隠さなくてもいいわ」と告げるのです。涙を流して喜ぶママは、娘の自傷癖を癒してくれた「プレイ」のことは何も知りません。
 ところが、サディスティックな自分の性癖を恥じているMr.グレイは、突然リーを解雇してしまいます。
 アル中の父親の入院などいろいろあった後で、リーは仮縫いのウエディングドレスを着たまま婚約者のもとから逃げ出し、「愛している」と告げるためにグレイの元へ走って行くのですが、グレイは彼女に「そこで待っていろ」と命じただけで、出て行ってしまいます。
 「いついつまでも、あなたを待ち続けます」というのは、歌の文句の中ではごく気軽に言われている言葉ですが、M嬢がそれを実践すると・・・・。
 三日三晩飲まず食わずは当然で、その上タレ流し状態。イスから立ち上がりもせず、ひたすら彼の言ったとおりに・・・じゃなくて「命じた」通りに待ち続け、衰弱しきっても恍惚の表情を浮かべています。
 それが人々の知るところとなり、うわさのハンストを一目見ようと、グレイの家には野次馬がたくさん集まって来て、もうどんどん勝手に盛り上がってしまいます。
 そんなリーの姿を見て自分が彼女を愛していることに気がついたグレイは、群衆の中へ、ただ黙って彼女を迎えに行きます。オシッコまみれの花嫁を抱え、少しだけ誇らしげに、参列者ならぬ野次馬の群れの前に出て行くS男君。けっこう泣かせるシーンでした。
 新婚旅行が「山の中」で、木に縛り付けてのキンバク・プレーというのも、ユーモラスでよかったです。
 リー役の女優さんは、素朴な女の子の純情と「M」の気配が混ざりあった表情が秀逸。Mr.グレイ役の男優は、サディスティックな性癖と人間性の優しさが同居する孤独な男を見事に演じていました。演出の趣味のよさも、全編に漂うユーモアも、抑えに抑えている感じです。いかにも妖しげなのに後味の明るいトボケたテーマ曲がよく合っていると思いました。

 新妻になったリーの幸せ一杯の笑顔が、ふと「M」の表情に移ろっていくところで映画は終ります。
 オ・ト・ナ、だな~♪


ここに幸あり

2006年09月26日 21時31分44秒 | いろいろ

 たった今、NHKの「歌謡ショー」を見て、感激してしまいました。
 昭和31年の大ヒット曲「ここに幸あり」を歌った大津美子さんです。
 たぶん現在68歳・・・・。ろくじゅうはっさい!で充分な声量、リズム感、そしてさらに、何というか「目一杯」感を感じさせない「軽さ」がありました。

 「ここに幸あり」という歌は、私が子供の頃から超有名ナツメロでしたので、父母がテレビで感激しながら聞いているのをウンザリしながら眺めていました。「グループサウンズを見たいのに~」とか思っていたんでしょうね。
 その頃は、「君を頼りに私は生きる」というのが、カンペキに理解できませんでした。中学生ぐらいでコレが理解できたらヘン・・・というかマズイですよね。
 でも、それなりにそれなりの恋愛経験を経て、コレこの通りのオトナになった今は・・・・、フフフ、気持ち、分かるな~~♪

 仏教ですよね。

 「君を頼りに私は生きる」っていうまさにそこのところに「幸あり」・・・・・か。
 でもこの歌詞でもっと大事なのは、そのすぐ後にある「青い空」ですよね。唐突に「青い空」とだけ言われてるんですけど、「ああ、青い空なんだ・・・」と、訳も分からずしみじみして、青い空(たぶん現実の空より青い)が目の前に広がります。いいな~、いい詩だな~~。



草の根

2006年09月24日 22時42分54秒 | いろいろ

 昨日は台風14号の影響で北東の風が強く、波も高かったため湘南港は出艇禁止。せっかくの休日なのにいきなりすることがなくなってしまいました。
 それならば、より一層の「な~んにもすることがない」気分を味わおうと、コンビニで週刊新潮などを買って、「昼真っから家でじっくり週刊誌を読む」というのを試みましたが、これといってブログのネタになるような記事はありませんでした。平和なのかな・・・・。
 でも 「新潮45」の広告で坂東真砂子のネコ殺しについてのエッセイがあると知って、たまには(10年に一回ぐらい)「新潮45」を買ってみようかと本屋に行きました。結局買わずに立ち読みしたのですが、このネコ殺しの件はどうしても引っ掛かりますので、やっぱりちょっと書いてみる事にします。

 それは、作家の坂東真砂子氏が「自分は飼い猫の生んだ子ネコを殺している」という内容のエッセイをネットに書いたところ、彼女を糾弾する書き込みが殺到したという一件です。
 私はネコを殺す坂東真砂子より、その事で彼女を鬼畜呼ばわりする人のほうが、どう考えても恐いと思います。「ネコは殺すけど人は殺さない」のはかなりマトモな精神で、異常なのはその逆なのではないでしょうか。ネコは殺さないけど人は・・・・・・・・、(「殺す」とまではいかなくても)「吊るし上げる」「社会から抹殺しようとする」などというのは、心優しい行為とは言えません。
 たしかに「殺す」という表現はショッキングなので、即座に「ひどい!」と批判したくなるのは当然です。でも、はたしてそうしていいのかどうか、嫌悪感をちょっとこらえて彼女の主張に耳を傾けて想像力を働かせてみるということを一度はしてみなければいけないと思います。(結局ぜんぜん賛同しないにしてもです。)そういう「立ち止まって考える」段階を全く持たずに、世間的に非常識とされているものを糾弾するのは、ファシズムだと思います。いくつか見たネット上の批判記事は、ぜんぜん「立ち止まって考えて」いないか、もしくは世間的に異質な主張に対する想像力がなさ過ぎるように思えました。
 学校で凶悪犯罪があった時、よく校長先生などが、「子供達に命の大切さを教えたい」というようなコメントを出されますが、こういう「自分で悩んで考えた形跡のまったくない言葉」を話される善人の方々が、このテの草の根ファシズムをささえていらっしゃるのではないか・・・・と、Kobantoは考えています。

 話はそれますけど、コメントといえばよくあるのが、犯罪などについての「あってはならない事です」という表現・・・・、どういう気持ちで言われているのかよく分かりません。現実に起きてしまった出来事について「あってはならない」と言うのは何だか間が抜けてるので、「してはいけない」の間違いなんじゃないかと思うのですが・・・。

皇室ネタ

2006年09月21日 23時48分04秒 | いろいろ

 最近、電車のつり革広告で目に付くのが「皇室ネタ」ですネ。
 その切り口も、「嫁姑」とか「雅子妃と紀子妃とどっちがいいか」とか、かなり庶民的です。戦後61年、日本もだんだん良くなって来ているんですね。「開かれた皇室」という表現はちょっと観念的ですけど、現実のほうがどんどん先行しているようで、昔々バンザイを叫んで命を捧げた人がいたなんて想像もできなくなるのももうすぐのようです。(今は「想像するだけならなんとか」ぐらいですね。)
 サヨクの割には皇太子ファンのKobantoは、「現皇太子が即位した時には多分イギリスの国王は(あの)チャールズだから、気品と神秘性の点ではニッポンの『勝ち』だよナ~。」と今から楽しみにしています。
 でも、次に彼の弟君が即位したら、もうニッポンの「象徴」のことは忘れることにします。考えたくないし、日常生活に支障はないし・・・・。
 そんな調子でだんだんと天皇制が無意味になって行くのが、一番いいんじゃないかな~・・・・。

*今日の写真は辛酸なめ子著「消費セラピー」の表紙からスキャンしました。辛酸嬢は紀宮様のグルービーなのだそうです。私は彼女(辛酸さんの方)の漫画のファンです。