クイア学会という新しい学会があって、そこで問題が発生しているようです。
伏見憲明さんのブログに、ことの経過が出ています。
セクシュアリティの社会学は、不可避的に「近代を問い直す」ことになります。同性愛者などのマイノリティを、いないものとして処理してきたか、積極的に排除してきたかはともかく近代のシステムの中で差別されてきたのは間違いないので、その根拠を探すことにすると近代というシステムを成立させている土台を見直す必要があるのです。
ここまではよいのですが、その結果、近代に成立したシステムはなんでも悪ということになってしまいがち。そうすると、アナーキーな主張がまかり通ってしまう風潮ができあがります。
伏見さんが今回直面した例については、おそらく名誉毀損の可能性があります。
男性特権への無関心やバイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義など権力志向の言動を繰り返して来た
とありますが、伏見さんの著作リストを見ると、1996年に『クィア・パラダイス』という本を出版されていますが、これはそれまでゲイのようなマイノリティの中では比較的大きな母集団を持つ一群が先頭を切って、裁判をおこしたり、映画や著作を世に出していった時代に、さまざまな性的マイノリティをつなごうとした対談集です。つまりゲイのなかでは最も早くから「男性特権」「同性愛中心主義」を相対化するお仕事をしてきておられるわけです。
さて、もしそれが客観的事実と認定されるとするならば(そこは客観的事実として「男性特権」「同性愛中心主義」を唱えていることを証明してもらえる可能性はありますので、仮定ですが…)、事実をあげて公然と社会的な名声を毀損する可能性があり、名誉毀損の成立要件を満たす可能性が高いと思います。
つまり、民法723条に規定されている名誉毀損にあたるかもしれません。
したがって、本来は損害賠償の請求や謝罪広告の要求などをすることができるかもしれません。(詳しいことは専門の弁護士等に聞いてみないと分かりませんが……)
仮に名誉毀損が成立するとして、発表者だけが責任を負うことになるのか、それとも掲載を許可した学会側にも責任を問えるのかというのもあります。しかし、雑誌記事で名誉毀損があった場合に、雑誌社が訴えられることも多いので、この場合学会側の責任も問えるということになるんじゃないかと思われます。しかも、発表要旨を審査なく機械的に乗せたのではなく、「この件については関係者がちゃんと議論をした上で、批判に一定の根拠があるものに関しては研究者の意向を尊重するという結論に至った」ということです。
伏見氏は「品性」の問題としていますが、ひょっとすると学問を推進する人々に遵法精神がないということになるかもしれない。これではせっかく近代を問い直しても、単なるアナーキーになりかねないですね。
果たしてアカデミズムとはなんなんだろう?ということをこのごろ考えています。アカデミアの住人たちはどうして私の裁判にも一切協力してくれないのか?グローバル化による格差の拡大を問題にしていたりしていても、正当な理由なく人のクビを切ることに何も感じないのかなぜなのか?
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伏見さんが今回直面した例については、おそらく名誉毀損の可能性があります。
男性特権への無関心やバイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義など権力志向の言動を繰り返して来た
とありますが、伏見さんの著作リストを見ると、1996年に『クィア・パラダイス』という本を出版されていますが、これはそれまでゲイのようなマイノリティの中では比較的大きな母集団を持つ一群が先頭を切って、裁判をおこしたり、映画や著作を世に出していった時代に、さまざまな性的マイノリティをつなごうとした対談集です。つまりゲイのなかでは最も早くから「男性特権」「同性愛中心主義」を相対化するお仕事をしてきておられるわけです。
さて、もしそれが客観的事実と認定されるとするならば(そこは客観的事実として「男性特権」「同性愛中心主義」を唱えていることを証明してもらえる可能性はありますので、仮定ですが…)、事実をあげて公然と社会的な名声を毀損する可能性があり、名誉毀損の成立要件を満たす可能性が高いと思います。
つまり、民法723条に規定されている名誉毀損にあたるかもしれません。
したがって、本来は損害賠償の請求や謝罪広告の要求などをすることができるかもしれません。(詳しいことは専門の弁護士等に聞いてみないと分かりませんが……)
仮に名誉毀損が成立するとして、発表者だけが責任を負うことになるのか、それとも掲載を許可した学会側にも責任を問えるのかというのもあります。しかし、雑誌記事で名誉毀損があった場合に、雑誌社が訴えられることも多いので、この場合学会側の責任も問えるということになるんじゃないかと思われます。しかも、発表要旨を審査なく機械的に乗せたのではなく、「この件については関係者がちゃんと議論をした上で、批判に一定の根拠があるものに関しては研究者の意向を尊重するという結論に至った」ということです。
伏見氏は「品性」の問題としていますが、ひょっとすると学問を推進する人々に遵法精神がないということになるかもしれない。これではせっかく近代を問い直しても、単なるアナーキーになりかねないですね。
果たしてアカデミズムとはなんなんだろう?ということをこのごろ考えています。アカデミアの住人たちはどうして私の裁判にも一切協力してくれないのか?グローバル化による格差の拡大を問題にしていたりしていても、正当な理由なく人のクビを切ることに何も感じないのかなぜなのか?
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