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赤穂浪士の墓が大阪にあったんだな~その2

2020-05-26 12:34:51 | まち歩き
昨日、法務局に用事があり大阪市天王寺区六万体町の法務局に!

隣にある赤穂浪士の墓のある吉祥寺に久しぶりに訪問しました。





谷町筋大通りに面した吉祥寺。
赤穂義士が討ち入りに時に着た火事場装束のだんだら袖の模様が塀に描かれており、否が応でも義士に関係ある寺院だと分かる。
赤穂浪士の寺所であることが一目瞭然ですね!








以前の同記事にも記載しましたが
吉祥寺は万松山と号し、1630年(寛永7年))創建の曹洞宗の寺院である。創建当時の住職縦鎌師が
赤穂藩主浅野主匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)と親しい間柄で、この寺は大坂における浅野家の菩提寺であった。長矩候は参勤交代の折には必ずこの寺院に立寄ったという。
 義士討ち入りの翌年2月、大石内蔵助をはじめとする46士は切腹したが、大石内蔵助の命により討ち入り後隊列を離れた足軽の寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼したもので、浅野本家広島藩の意向もあり、江戸や赤穂よりも先がけ、1739年(元文4年)建立された。
 しかし、1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で堂宇をはじめ長矩候揮毫の扁額や義士の遺品など全て灰燼に帰し、残るのは墓石のみであった。
 この寺の山門は元は中之島常安橋北詰にあった赤穂藩蔵屋敷門を移築したものであったが、戦災で焼失したため、現代的にして再建したとのこと。





墓の中央の五輪塔は浅野内匠頭長矩候の墓。
その右隣に大石内蔵助の墓、左側が大石主税の墓がある。更にその周囲を44士の戎名と行年を刻んだ玉垣が取り囲んでいます。



これが本堂です。

そして47士の石彫像がずらりと圧巻の情景が~すごい!!




またまた久しぶりに300年前の歴史的事件に触れることができて本当に感慨深いな~。













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