原田泰治は3月2日享年81歳で亡くなりました。長野県出身の画家です。私は四季折々、全国津々浦々のふる里を描き続けた絵画が好きでした。彼の絵は見て心楽しくなる画風です。長野県諏訪市には原田泰治美術館があります。日本の素朴な風景画が展示されています。
「友禅流し」
口語短歌
「友禅は 水が命の 浅野川 美しい柄 川にヒラヒラと」
1986年10月
金沢に旅した方は浅野川などで友禅流しを見たことがあると思います。友禅染は、水が命と言われています。それだけに、美しい柄が川の流れにさえヒラヒラと揺れる光景は、誰もが見とれてしまいます。(原田泰治)
「森林鉄道」
口語短歌
「美しく 秋が深まる 山あいを 縫うように走る おとぎ列車」
1988年10月
山が色づき始める秋は、千代紙を見るような美しさです。森林鉄道の小さな列車が、おとぎ列車に見えるのもこの頃です。かって、山あいを縫うように走っていました。秋が深まるたびに、ガタゴト走った森林鉄道が思い出されます。(原田泰治)
「夕暮れ」
口語短歌
「学校は 黄金色にも 包まれて 空の夕焼け 顔赤く染める」
1984年10月
秋になると、僕らの学校は黄金色でつつまれました。スズメおどしが鳴る向うをガタゴト電車が走ります。僕らは、コスモス咲く校庭が大好きで勉強が終るとすぐ飛び出しました。空の夕焼けが、紅葉した裏山の林と僕らの顔を赤く染めました。(原田泰治)
「きのことり」
口語短歌
「朝早く 初霜おりる 紅葉は 秋の味覚に とりたてきのこ」
1985年10月
山が色づき、初霜がおりると紅葉はまるで千代紙をひろげたような美しさになります。村では腰にビクをつけ、朝早くからきのことりに出かける人々の姿をあっちこっちで見かけます。とりたてのきのこを、熱い味噌汁に「サッ」と入れ、秋の味覚に舌づつみする季節なのです。(原田泰治)
「晩秋の村祭り」
口語短歌
「村祭り 豊作祝う 喜びが 満ちあふれるや 人の顔にも」
1989年10月
取入れが終わり、しばらくすると村祭がやってきます。祭りの朝は花火の音で目がさめ、村の人々は浮かれて落ち着きません。僕らは、日頃から貯めた小遣いを持って、かんしゃく球やおでんを買ったものです。村の人々の顔は豊作の喜びに満ちあふれていました。(原田泰治)
「ふるさと」をテーマに、自然の中で慎ましやかに暮らす人びとや農村風景を愛情込めて描き続けた画家、原田泰治(はらだ たいじ)。
1940(昭和15)年4月29日、長野県諏訪市で生まれた泰治は1歳のとき小児マヒを患い、両足が不自由となる。4歳のとき、まったく農業の経験のない父が泰治を自然の中で育てたいと思い、一家で伊賀良村(現長野県飯田市)に開拓農民として入植し伊賀良村で中学校までの10年間を過ごしたのである。
1963年に武蔵野美術短大を卒業後、伯父の経営するアートスタジオでデザインを学び、1965年頃から少年時代を過ごした伊賀良村の思い出を描き始める。
1982(昭和57)年4月から127週(2年半)にわたり、朝日新聞日曜版に“日本のふるさと”をテーマとした絵と文による「原田泰治の世界」を連載して好評を博した。
参照
https://taiziharada.jp/
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