「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

「東海道五十三次④神奈川宿」~口語短歌と写真で綴る「世界文化紀行」

「東海道五十三次④神奈川宿」~口語短歌と写真で綴る「世界文化紀行」

学生時代は東海道に憧れトラックに載せてもらい国道1号線を東京から大阪まで旅行したものです。そこで「口語短歌で綴る東海道五十三次」と題して歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」を手本として現代の写真も掲載しながら旅紀行したいとおもいます。


歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)
江戸時代の浮世絵師で本名は安藤重右衛門といいます。
天保3年 (1832年)公用で東海道を上り、絵を描いたとされますが、現在では疑問視されています。翌年から「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声は決定的なものとなりました。以降、種々の「東海道」シリーズを発表しましたが、各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けており、ともに秀作です。

東海道五十三次④「神奈川宿」
口語短歌
「高台の 茶屋が並ぶ 神奈川宿 呼び子が誘う のどかな景色」



神奈川宿(かながわしゅく)は、東海道五十三次の宿場である。武蔵国橘樹郡、今の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあった。付近には神奈川湊があった。神奈川宿は神奈川湊の傍に併設された町であり、相模国や武蔵国多摩郡方面への物資の経由地として栄えた。なお幕末には開港場に指定されたが、実際には対岸の横浜村(現在の中区関内地区)が開港となり、開国以降次第に商業の中心は外国人居留地が作られたこの横浜村に移っていった。
台の景とは高台からの景色の意味です。東京湾を見晴らせる高台に茶屋が並んでいました。街道沿いに並ぶ茶屋の前には呼び子が旅人を店に誘います。巡礼の親子は静かに歩を進めます。構図は品川宿のものと似ていますが、神奈川宿の方が江戸から離れてのどかな雰囲気が見て取れます。道には茶屋が並んでいます。
参照URL
https://creativepark.canon/meiga/artmap/tokaido53.html


現在「横浜市神奈川区ってどんなところ」

写真1「神奈川区の歴史と由来」

1927年の区制施行に伴い、神奈川区・鶴見区・中区・保土ケ谷区・磯子区の4区が横浜市で初めて制定されました。神奈川区の歴史は古く、江戸時代以前にさかのぼります。1601年(慶長6年)、武蔵国橘樹郡に神奈川宿が置かれる。神奈川宿の「神奈川」という名前の由来には諸説ありますが、こんな記載がありました。
その昔、区内を流れていた小さな流れを「上無川(かみなしがわ)」といっていました。それは、いつも水が涸れてほんの少ししか流れていない。水源地もどこかわからないので、「上(かみ)がない川」と呼ばれていました。それがいつしか「み」「い」の二字を略して「かな川」をいうようになったという話です。
また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫(やまとひめ)にいただいた宝剣が金色燦然としてこの川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かながわ)の風光を賞し、「<金>は西の方角をつかさどるというが、西方は上(かみ)にあたるし,皇城(こうじょう=都、天子のすむところ)にもあたる。これは神を大いに示す地である。」として<大いに示す>を「奈」の字にして、金川→神大示川→神奈川とすべきだといったので、その時から金川を神奈川としたという話です。ほかにも、古文書の中に「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」と記されているものがあります。



写真2「臨海部の横浜港エリア~京浜工業地帯」

臨海部の横浜港エリアには「京浜工業地帯」が広がっていることも特徴です。横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、浅野財閥の創始者で、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。 大正から昭和初期にかけて、今の神奈川区千若町・新浦島町・守屋町、鶴見区生麦・末広町・安善町、川崎市川崎区白石町・浅野町など、横浜・川崎地区に人工島を造成され、同時に運河が掘られた(これらを隔てていた運河は後に埋め立てられ、現在では陸続き)その後も土地の不足により、神奈川区出田町・恵比須町・宝町、鶴見区大黒町・末広町が埋め立てられる。埋め立てを行っている間にも様々な企業が集積し、工業地帯として発展を続けていった。
写真3「浦島太郎伝説と神奈川区」

日本昔話の「浦島太郎」は、日本全国に150か所以上もゆかりの地があるとされています。横浜市神奈川区もその1つで、古くから「浦島太郎伝説」が伝わり、物語を思わせる場所が数多く残っているため、その歴史に触れることができます。京急線「京急東神奈川駅」から約5分の「運慶寺(別名:浦島寺)」では、浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる記念物が安置されています。
参照URL
https://www.sumaitoseikatsu.yokohama/archives/6808
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「写真と短歌で綴る「世界文化紀行」」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事