木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

低線量被ばくにおいては予防原則の適用を(9月30日一般質問 その1)

2011-10-01 01:53:41 | 地方自治
 こんばんは、木村ながとです。

 昨日、江戸川区議会第三会定例会の二日目の一般質問があり、六番目の登壇者として私も質問をいたしました。自分が質疑をしている最中は、次の意見の組み立てをしながら考えたりし、なかなか執行部(行政)側の答弁をきちんとメモしきれないものです。そんなのは、私だけかな?

 今日の最初のポイントであった予防原則の適用については、あまり正面からの区長答弁もなく、かといって否定的な答弁であったわけでもありません。まず冒頭、私の一般質問の予防原則部分の質問文を貼り付け、そのあとにい区長答弁要旨を記します。

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(以下、一般質問)

 低線量の被ばくをめぐる人体への影響については、専門家の間でさまざまな見解が示されています。専門家の見解が分かれているということは、とりもなおさず、統計学的な裏付けが乏しいということです。過去に十分な事例があり、統計学的にも他に解釈のしようがないというほどの優位性が確立されていれば、専門家の見解が食い違うことはまずありません。

 現在、放射線の安全な取扱いや基準作りを目指す学術組織である国際放射線防護委員会(ICRP)は、この低線量被ばくの発がんリスクについては、閾値なし直線仮説というものを採用しています。この仮説の内容は分かりやすいものです。がんの原因には喫煙、生活習慣などさまざまあります。放射線量が100ミリシーベルト以下と少なくなればなるほど、その人のがんの原因を科学的に特定することが難しくなります。それゆえ、科学的に証明できない低線量被ばくでの発がんリスクについては、とりあえず線量に応じて増減するとみなす、という立場、これが閾値なし直線仮説です。江戸川区で招聘した中川恵一氏が「哲学」の領域と説明していた部分の理屈です。

 この低線量被ばくとリスクの関係という「哲学」領域では、直線的かつ確率的にリスクが増減するということですから、ここには閾値という考え方も存在しなければ、当然、放射線に対する許容限度値も安全基準なる値も存在しません。基準値が出ないのがおかしいのではなく、基準値は存在しないのであり、それを望むのはないものねだりということになります。
区長は、第二回定例会において同僚議員に対する答弁の中で「測定すればそれでいいというものではないということは、皆さんよく御存じだろうと思うんです」とおっしゃっていました。しかし、私はむしろ逆だと思います。低線量被ばくリスクについては科学的に証明されていません。放射線研究の専門機関ではない行政が、測定値について妙に「安全」「危険」という評価を採用することこそ危険だと思います。数値を評価することに意味があるのではなく、住民要望にこたえ、数値を測定し、それを迅速に公表することにこそ意味があるのだと思います。

 中川氏は低線量被ばくとがんリスクのグレーな関係部分を「哲学」と表現していますが、同氏がこのように表現しているということの意味を正しく理解しなければなりません。繰り返しますが、中川氏はこの部分を「科学」とは言っていません。「哲学」と呼んでいます。低線量被ばくとリスクの関係に統計学的裏付けが乏しいことについては、放射線の専門家である中川氏も一番よく知っているお一人です。それゆえ、このグレーな領域を「科学」ではなく、「哲学」と表現しているのです。ここを正しく応用するなら、中川氏が「安全だ」「安心して生活できるレベル」だと言っている現在の低線量被ばくリスクは、科学ではなく、哲学だということです。「安全だ」というのは中川氏の理念、解釈であり、科学者の口から語られた科学ではなく、科学者の口から語られた哲学の部分だということです。

 江戸川区は、中川氏の主張する、現在の低線量被ばくは安全という解釈を強く採用してきました。しかし、すでに述べたとおり、現在の低線量被ばくを危険と評価する逆の専門家も少なくありません。現況の放射線レベルについて、大人には影響は少なくても、子どもへの影響は気にすべきという見解もあります。中川氏は放射線の専門家であり、そのアカデミックな場における主張を素人の私がとやかく言う立場にはありません。しかし、専門機関ではない行政が、安全宣言派だけの一方の見解ばかりを採用するということは適切なことなのでしょうか。疑問が残ります。

 では、専門家によっても百家争鳴の様相で主張が異なり、科学的にも証明されていない低線量被ばくのリスクについては、どのように考え、対応したらよいのでしょうか。答えは、統計学的にも安全か危険かの判断を下すのに時間や労力がかかる事例においては、安全・危険の判断をいったん中止し、むしろ将来の健康被害が広がらないように予防原則に則って、リスクを疑わせる要因の除去に向けて対応していくという姿勢が求められているということです。これが、いま国においても自治体においてもとるべき対応だと言えます。この主張は、東大の児玉龍彦氏や中部大の武田邦彦氏らが唱えています。

 この予防原則が求められる事例は決して少なくないと思われます。特に、ある事業者と公害問題との関連性などが疑われる事例においては、この予防原則の適応が期待されます。例えば、水俣病、イタイイタイ病などでは、実際に大きな健康被害が観察され始めていても、その原因と健康被害に対する因果関係の科学的な証明に長い年月を要するため、原因と疑われる汚染物質の拡散防止措置が講じられぬまま、被害者だけが増加し続けるという事例です。こうした場合、原因と健康被害について科学的に証明された時にはもはや取り返しのつかない健康被害の拡大が生じているということになります。健康被害を最小限にくいとどめようとするなら、安全・危険の判断にこだわるのではなく、むしろ原因を疑われる要因の排除対策を推進しておくということになります。これが予防原則です。

 放射線による十年後、二十年後の健康状況は分かりません。将来に起こるかもしれない健康被害を防ぎ、現実の社会的対応を考慮に入れるなら、安全・危険の判断に腐心するよりも、予防原則に基づいて行動すべきと考えます。この予防原則による対応について、区長はどのようにお考えでしょうか。ご所見をお伺いします。

(以上)
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(以下、区長答弁抄録)

 低線量被ばくの健康リスクについては、木村議員の話のとおりグレーな領域で、専門家によっても見解が異なる。中川氏や福士氏もそのように説明していたと思う。確かに、ご指摘のように、基準値や安全値というのはないのかもしれない。しかし、それでも行政としては何らかの指標を示さないといけない部分がある。悩ましい。基準は住民合意で決めよ、と言われることもあるが、その住民合意はどのように形成するのか。簡単な話ではない。区としては最大公約数と思われる数値を採用するしかないと思う。

 予防原則という考え方も、確かにその通りだと思う。しかし、どこかに基準値を決め、予防するしかない。

(以上)
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 区長からの答弁はだいたいこういった趣旨であったかと思います。この予防原則については、私の取り上げ方も具体的施策の話ではなかったので、ちょっと取り留めのないやりとりになってしまいました。全面対決のやり取りではありませんでしたので、私も再質問ではくどくど取り上げませんでした。むしろ次の議論に焦点を絞りましたので(それは明日、アップします)。

 ただ一点、私の今回の一般質問すべてがこの予防原則の視座からの質問であり、その視点から行政の対応改善を求めているのだということを強調しておきました。