木村長人(きむらながと)。皆さんとつくる地域の政治。

1964年(昭和39年)千葉生まれ。元江戸川区議(4期)。無所属。

学校給食の課題と幸福追求権(後編)

2011-08-25 00:12:36 | 地方自治
 では、幸福追求権の一つである健康権の視点から、給食課題を問い直してみましょう。

 現在、明確なほころびが見られるようになった食品監視体制下で配色されている学校給食ですが、前半で指摘した通り、今なお、教育委員会は、サンプリング調査はしない、産地表示もしない、産地別排他主義も採用しない、弁当持参も認めないという、4ナイ対応を堅持しています。

 どうでしょう? 問題点は明らかです。

 放射性物質に汚染された食品を取り込むことによる低線量内部被ばくによる健康リスクに関しての、統計学的データは十分に存在せず、現時点で「安全」「危険」と断言することは不可能と言われています。一方で、子どもの低線量被ばくによる甲状腺ガンのリスクはチェルノブイリ事故の事例によって、統計学的裏付けがとられており、そのリスクは大人の2~3倍と言われています。

 「安全」「危険」の判断がつかないと言われているグレーゾーンの低線量被ばく(ここでは給食の問題ですので低線量内部被ばく)に関して、科学を超越した非論理的「安全」哲学を拡散する専門家の姿勢も問題ですが、ここは百歩譲って、思想信条の自由として一時的に譲りましょう。

 しかし、問題は、彼ら専門家の「安全」哲学というパターナリズムの信仰哲学が放射線学に必ずしも詳しくない一般人に広まることで、健康を害され続けているかもしれない(統計学的裏付けが乏しいから「かもしれない」なのです)一般人多数が生じうる可能性がある!ということです。ましてや、リスクの高い子どもたちが抱えるかもしれない健康リスクの可能性は、なおさら深刻だと言えます。

 20~30年後の健康状態がどのようになっているかどうかよく分からないというのに、自ら信じるところの解釈である<低線量内部被ばく「安全」哲学>を提唱する専門家がいる。また、こうした「安全」信仰の唱道者がいればいただけ、結果として、それを採用する教育委員会も増えてきてしまいます。低線量内部被ばく「安全」哲学を採用する教育委員会に司られている自治体の学校に通う子どもたちは、統計学的にも、将来的にもどうなるかよく分からない「安全な!」給食を食べ続けなければなりません。ここで、健康に生きる権利が侵害され始めている可能性があるのです。

 無論、都内は警戒区域のような線量レベルではありませんし、そこまでひどい汚染食材が流通していないことは一定のレベルでの食品監視体制がまだ機能している証拠と理解はしています。現在の低線量内部被ばくによって、今日、明日のうちに子どもたちの健康がどうなるものでもないでしょう。

 しかし、20~30年後の子どもたちの健康に対して誰が確証を与えられるでしょうか。そんなことは、誰にもできません! もしかしたら、何も起こらないのかもしれません。でも、誰にも確定的なことは言えないのです。

 現在、江戸川区の教育委員会がとっている、サンプリング調査はしない、産地表示もしない、産地別排他主義も採用しない、弁当持参も認めないという、4ナイ対応においては、彼らが意識しようがしまいが、子どもたちが健康に生きる権利を奪い始めている可能性があります。そのことを認識すべきです。

 言い換えましょう。現在の教育委員会の対応ですと、区教委は「すべての人が達成可能な最高状態の身体的および精神的な健康を享受する権利」を子どもたちから奪い、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」に抵触している可能性があるのです。

 今のところ、希望児童が弁当を持ち込む自由も認められていないわけですから、子どもたちには健康権を守るための自由選択の余地がありません。こうした状況では、子どもが健康に生きる権利、子どもの健康を守る親の権利がともにないがしろにされている状態下にあると言えます。

 この問題点に反応しないというのでは、江戸川区の子どもたちにとっては、憲法13条にいう「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(幸福追求権)は具体的法権利を保障するものではないという大昔の解釈に逆戻りしたも同然です。

 教育委員会は子どもたちが健康に生きる権利について、緊張感を持って、再確認すべきです。あらためてその姿勢を問うものです。




江戸川区議会議員 木村ながと
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