今日はOさんの還暦を祝う会に京都市内の聖護院御殿荘にいきました。
マラソンのつぼでお会いしましたが、
音楽もお酒も大好きで温かいOさんのお人柄、
たくさんの方が集まられました。
Oさんはの奥様は小学校の先生をされていました。
本当にすてきな先生だったと聞いています。
1994年高学年の大変なクラスを受け持たれる中
脳内出血で倒れられ
1年後帰らぬ人となりました。
ご家族は長いこと過労死裁判を闘ってこられました。
Oさんは仕事、家事、お二人のお子様の世話と大変な中、
はじめの挨拶でも
そのことを坪さんが語っておられましたが、
裁判の記録を読み返すと
今もたくさんの先生方が
同じような状況で仕事をしておられることを思わずにはいられません。
休む暇もなく持ち帰り仕事だらけという状況もですが
やりがいはあっても
背負う心労の大きさや
24時間心が解放されるときがないしんどさがついてまわる。
(これは性格にもよるでしょうが)
仕事をしていく
厳しいしんどいことはいっぱいあるけれど
愚痴も夢も語り合えて
楽しいこともあり笑いあえる、
何より健康で仕事していけることが一番ですが、
そんな職場は今の日本の状況では
そう多くはないのかもしれません。
でも震災後の日本、
本当に何が大事なのか
価値観も変わっていくのかもしれません。
でも何よりは人のつながり・・・ですね。
Oさん、家族や仲間に囲まれての新しいスタート、
私も元気をもらえました。
私は還暦まであと5年と4ヶ月ほど。
もうひとがんばり。