忘れ物になる前に

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新潟の話 T18編成

2015-02-24 18:22:38 | 485系まとめ
長らく更新してませんでしたが…今回は要望もあったということや、模型化も実現したということで、新潟ではかなり注目を集めている編成の1つをまとめていきます。


485系T18編成
転入:2000年7月
編成移動
転入時:T15編成
2001年3月:T18編成
編成
クハ481-1508(6号車)
モハ485-1074(5号車)
モハ484-1074(4号車)
モハ485-1082(3号車)
モハ484-1082(2号車)
クロハ481-1029(1号車)
最終運用:2015年5月30日 団体
新津回送:2015年7月7日 クハ481-1508のみ新津鉄道資料館保存のため、EF81-134牽引により回送
秋田回送:2015年8月10日,11日 残る5両は余剰廃車のため機関車牽引により秋田回送。8/10,EF64-1032牽引、新潟→長岡。8/10-11,EF81-140牽引、長岡→秋田

2000年7月から青森から転入してきた編成で、青森ではA12編成として在籍。青森では「はつかり」として主に運用に入っていましたが、E751系投入に伴い余剰となり保留車へ。同タイミングで新潟車の波動輸送用の客車を置き換える目的で新潟に転属となりました。転属当初はT15編成でしたが、これは晩年のT15,T16,T17編成が当時T21,T22,T23編成として在籍していたためで、この3編成が6連となった際はT編成最後の編成番号に位置するようにT18編成へ改名しています。これは当編成がATS-Pを備えているためのもののようで、オールモノクラスだったT19編成、R編成でATS-Pを持つR26,R27編成、青森から転属したR28編成が編成番号後半に来ているところを見ると意図的に変えているようです。転属当初は編成向きが青森時代もままで逆向きでしたが、転入して1年後に方向転換を実施。編成向きが揃ったことで他の編成と共通運用を組むようになり、2001年に上沼垂色化。2003年に「ムーンライトえちご」予備編成を担当できるよう改造を実施、2008年に国鉄色に戻され現在に至ります。



クハ481-1508(6号車)
ご存知の通り元々北海道での運用を想定した1500番台のうちの1両。1974年に札幌に配置、となっていますが、落成当初は性能チェックを兼ねて青森貸出という形で配置。その後北海道へ渡り「いしかり」として運用された後、1981年に青森へ転属。1988年に秋田に転属し、1993年に再び青森へ。2000年に新潟に転属となりました。外観は運転台後方監視窓の埋め込みなど最小限の改造に留まっており、かなり原形を残したスタイルで活躍していました。
485系1500番台は、JRへの分割民営化に絡んだ新潟への485系配置の際、優先的に新潟へ転属していたのが特徴。分割民営化直前に行われた新潟への転属時、485系1500番台で新潟へ転属しなかったのは、クハ481-1501,1508(青森残留)、1506(秋田残留)の3両のみ。このうち、クハ481-1506は1997年、クハ481-1508は2000年、クハ481-1501はクロハ481-3020となったうえで2006年に新潟へ転属。最終的に全車両が新潟へと転属しています。
(なお、クロハ481-3020(←クハ481-1501)が転属となる前にモハ484/485-1500が全廃となっている他、クハ481-1504,1505が勝田転属、クハ481-1507,クハ481-3506(←クハ481-1506)が廃車になっているので、全車両が新潟で顔を合わせたことはありません)


モハ485-1074(5号車)
1978年に秋田に配置され、1993年に青森、2000年に新潟に転属となっています。青森在籍時代に現在の編成を組成しているため、車両の動きは1993年以降は6両とも同じです。外観は転落防止幌が取り付けられた部分以外は原形を保ちます。5号車と6号車は簡易リクライニングシートを装備していた最後の485系でもあります。


モハ484-1074(4号車)
車両の動きはモハ485-1074と同じです。新潟では自由席車として活躍していましたが、青森時代とは方向が変わっているため、青森時代は指定席車として活躍していました。仕切りドアが自動ドアになっていることがその名残となります。乗務員室窓は小窓へと改造。青森時代に改造されたようで、2号車のモハ484-1082や後に転属となるK1,K2編成のモハ484も同様に改造されています。4号車は主に自由席の車両となりますが、T編成では珍しく座席の交換が行われており、3000番台タイプの座席へ交換されていました。


モハ485-1082(3号車)
1979年に秋田に配置。1993年に青森、2000年に新潟に転属となっている、という流れは他の車両と同じです。秋田在籍時の晩年からT18編成へと繋がる編成に組成されていたようですが、秋田在籍時晩年は上野発着の夜行急行「津軽」として活躍。この際の編成には、晩年新潟でT18,K1,K2編成となる車両が使われており、首都圏に乗り入れていたことから青森在籍時代も含めこの3編成にはATS-Pが設置。新潟在籍時まで密接に関わる3編成の縁はこの頃からあったようです。


モハ484-1082(2号車)
前述のモハ484/485-1074とは逆で新潟では指定席車、青森では自由席車として活躍した車両。モハ484/485-1082は新潟では2号車と3号車に連結されることから指定席車として使用されるため、新潟転入後座席を3000番台タイプの座席に交換しています。デッキなどの部分は青森時代のままであるため、客室とデッキの仕切りドアが(新潟在籍時の)2号車と3号車は手動ドア、4号車と5号車は自動ドアになっている点が、当時の名残でした。



クロハ481-1029(1号車)
種車:クハ481-1035
種車クハ481-1035は1978年に秋田に配置され、1993年に青森に転属。同時にクロハ481-1029となり、2000年に新潟へ転属となります。急行「津軽」として活躍していた頃はサロ481を組み込んだ9両編成であったためクハ481-1035として活躍していましたが、青森転属の際に他の編成と合わせるためにクロハ481-1029へ改造されたようです。
JR時代に追加改造されたクロハ481グループ最終改造車の1両。新潟と青森では編成の向きが異なっていたことから新潟に転入し方向転換が行われているため、本来偶数の先頭車となる1号車ですが奇数の先頭車となっています。クロハ481,クハ481共にですが、T18編成は各地の2008年の国鉄色再塗装時以降JRマークを省いて塗装されており、編成を見定める1つのポイントになります。なお、青森時代と新潟転入直後の国鉄色時代はJRマークが入っていました。



編成番号は左がクロハ481、右がクハ481です。標準となるのはクハ481のようなタイプですが、統一はされていないようです。


クーラーは特急編成の一員であることから更新改造が行われており、クロハ481のグリーン車部分である2つのみがAU112、他はAU13EN(モハ485,クハ481,クロハ481残り3つ)、AU71B(モハ484)を搭載しています。


「ムーンライトえちご」予備編成投入に際し関東圏に乗り入れることから転落防止幌を設置。こちらは黒で塗装されているためあまり目立つことなく編成に溶け込んでいます。


クハ481-1508のみ車体番号がペイント化されています。時期的には上沼垂色化の際にペイント化されたようなので、青森時代と新潟転入直後はオリジナルのステンレスタイプだったようです。


クハ481-1500は北海道時代に着雪防止のためテールライトを改造しているためやや形状が異なるのが特徴。このテールライトは着脱可能なので外すことも可能ですが、外さずに運用に入っています。


クロハ481-1029のタイフォン部分はなぜか取って付き。他のクロハ481,クハ481には1両を除き全く普及していなかったことから試作要素が強かったものとみられます。


「ムーンライトえちご」運用に入ったことから、全車指定である旨を示したステッカーを各車両に貼り付け。現在は「ムーンライトえちご」の設定が消滅しているもののステッカーは存置されており、かなり劣化したものは撤去される、といったことになっているようです。


乗降ステップ。晩年は外さなければいけない「いなほ」運用が置き換えられたため、「くびき野」「北越」運用を行き来しやすいようにステップを装着したままになっていますが、基本的には外したまま運用に入っていました。


窓下のステッカーとゴミ箱。窓下ステッカーは他の編成と同じものを貼り付け。ゴミ箱は青森時代のものが備わっています。ただなぜかT18編成、ゴミ箱のふたが全て撤去されています。


(食事中の方すみません…)
485系のトイレは基本的のJR時代にはリニューアルを受けていますが、T18編成も例外なく受けています。ただし他の新潟車とは異なり青森時代にリニューアルを受けているため、他のT編成とは異なった内装になっています。現在はT編成がT18編成のみとなってしまったため比較できないのが残念なところです。


デッキの仕切りドアは黄色いもので、青森時代の名残です。青森車は1000番台編成も3000番台編成に準じたリニューアルを行った模様で、仕切りドア交換もその一環と思われます。黄色のドアなのは、青森の3000番台が黄色基調のものであるからと思われます。


…が、1か所だけ仕切りドアが新潟仕様の青色のものになっているところも。


クロハ481のグリーン車部分の仕切りドア。この場所に限らず、T18編成の自動ドアは全てこの形状です。あくまで仕切りドアが自動なのは指定席車のみ、しかも青森時代で指定席車だった車両のみであるため、方向転換が行われたT18編成では自動ドアとなっているのは1,4,5号車ととびとびになっています。


2,3,6号車の仕切りドアは数少ない原形タイプ。リニューアルを施工した車両のみが生き残っている現状において原形ドアがこのような形で生き残っているのは貴重といえます。


1~4号車の車内には後付けのようなクーラーを設置。特急運用で指定席車にあたる部分のみに取り付けられていることからサービス改善のためでしょうか。他のT編成・K編成には見られません。


クロハ481の連結器カバーは時期によってかなり変わっており、黒、緑、白を装備しています。上沼垂色時代~国鉄色復帰初期(2009年頃)までが白、黒は2009年頃~2012年1月、緑は2012年1月~2013年8月、そして再び白に変わり現在に至っていることから、白カバーに縁がありそうです。なお、転属当初は青森時代のものを装備(新潟車115系と同タイプのもの)しており、クハ481は転属当初を除き一貫して黒カバーです。



運用に関しては、転属当初は波動運用、編成向きが揃った時点から「いなほ」「北越」といった特急運用に原則入っています。一時的ながらT22編成と連結し10両編成となり「いなほ」を担当したこともあったりと、面白い運用にも入っています。「みのり」「くびき野」には当初から代走指定編成となっており、専属編成のあった頃は原則T18編成が代走を担当していました。「くびき野」専属編成消滅後は積極的に「くびき野」運用に入っていますが、「北越」運用にもちょくちょく顔を出したりとなかなか動きが読めない運用の入り方をしています。「ムーンライトえちご」でも予備編成として機能していたことから「フェアーウェイ」などの運用も担当。「能登」でも予備編成として機能…といいたいところですが、運用実績を見ると代走というよりT18編成も所定編成に含まれていた、と見てもいいと思います。
TDL臨や多客臨としても活躍しており、青森や関東、関西への乗り入れを行ったほか、他支社に貸し出され各地の臨時列車や代走に使用されたことも。仙台支社に貸し出し臨時「あいづ」運転や「あいづライナー」代走、盛岡支社に貸し出し「つがる」代走などといったものが例になりますが、状態の良さからか各地での活躍もみられ、それが今の人気につながっているのかもしれません。


今でこそ人気もあり注目される存在ではありますが、青森所属時代はE751系投入により真っ先に運用から外され保留車扱い。新潟へ転入しても最初は編成の向きが違ったために他の編成と同じ運用を組めなかったという過去もあります。それでもひたむきに今まで走り続けたことが、今の人気と活躍ぶりに繋がっているんだと思っています。彼を見るときに、日の目を浴びなかった過去があったということを思い出してみると、また違った見方が出来るのではないでしょうか。
新潟地区では最後まで残った1000番台・1500番台編成。団体列車として新潟の各地を駆け抜け、その先頭を飾った1両、クハ481-1508は新津鉄道資料館に保存。残る5両は機関車牽引により秋田へ回送され、役目を終えました。