たそがれ日記

したたかに、しなやかに。

福島の小名浜に行ってきました。

2012-06-25 22:17:37 | 日記

もう何十年も前、福島の小名浜の太平洋を見渡す場所に、大きな工場が建ち
2年ほど殿が単身赴任し、ゆずりはは、月1、車で夜中の6号線を突っ走り、
往復をしていました。

その思い出の地が、東北大震災の余波を受け、大変な被害を受けていたので、
ここで思い立ちその節お世話いなった方を見舞いにと出掛けました。

浜通り地区の被害は口に出せないほど、見渡す限り荒地となり、やたら広い
駐車場が多くみられ、草ぼうぼうの土地が残っていました。、復興は進んで、
いるとはいえ、昔の面影は、全く無くなり、完全な今、浦島状態でした。

東北地方は、テレビ、新聞でも詳しく報道されていますが、福島は原発の事が
先立ち、地元の事は余り知らされていないので、これほどまで被害を受けていた
とは想像以上でした。

以前の赴任先の工場は、何億もの本社からの援助で、いち早く復興して
いました。紅白の煙突からの立ち上る幾筋もの煙は力ずよいものを感じ
嬉しくなりました。
が・・メイン通りのショッピングセンター街には小さいスーパーが一つあるだけ
映画館、レストラン、他めぼしいものが見当たらないのです。その上人が歩い
ていないのです。
避難なさっているのかも。

たまにに見つけた通りかかりの人に聞くと、「どこに行きたいの」「何しに行くの」
「何もないよ」・・の言葉が寂しく返ってくるだけ。

水は、どの位まで来たの?と聞いても口を濁すだけ・・どれだけ心の中が凍って
しまったのか、推し量るのみでした。バスが見えなくなった位だった・・と
タクシーの運転手が一言教えてくれました。もうしゃべりかける言葉もなかったです。

オープンしたばかりと言うアクアマリンフクシマの水族館、と物産観光センター
いわき・ラ・ラ・ミュウに行き、本日最後の遊覧船で、港内めぐりをしただけで
ホテルに戻り、翌日は行く所もなし、午前中に

早々帰京しました。

立ち直った、工場の裏手には、大きな外国船が停泊しており、沖には色とりどりの
外国船が行ききしており、将来の立ち直りに明るい光が見えているようでした。

今日新聞に「福島の魚介類、復活の一歩」と書かれていました。1年3カ月ぶりに
地元で販売にこぎ着けたらしく、ささやかながら貢献出来たかな~と自負しました。
放射線基準値も限界以下だと証明されたようです。
でも、地元の方々の反応は、様々。




新しくオープンした2号埠頭のアクアマリン福島の水族館
1号埠頭のいわき・ら・ら・ミユウ内のセリ気分で、

海の幸を堪能出来たのが、せめてもの活気ある場所でした。

復興はまだまだ・・


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゆずりは様 (やまゆり)
2012-06-29 14:45:45
ご主人福島に単身赴任しいらしたのですね。
懐かしい場所が変わり果ててさみしい思いをなさったことでしょう。
まだまだ復興の最中でやっと漁にでられるようになったとききました。早く風評被害がとれて美味しい福島産のもの頂きたいですね。
それからさんまの味醂干美味しくいただきました。ありがとうございました。
返信する
小名浜 (バード)
2012-06-30 21:51:03
今回は、電車でいったのですか?
震災がなかったら、今の季節は、緑滴る美しい海辺の町だったでしょうね。
復興の第一歩は、訪れることだそうですから、ゆずりはさんは、一歩さきをいかれていますね。
いつかみんなで一緒に行きたいですね。
返信する
やまゆり様 (ゆずりは)
2012-07-02 21:11:59
日本一大きないわき市は、冬は雪無し夏は涼しく、
別荘地の抽選には沢山の人が申し込まれ、厳しいものだったそうです。
勿論ゆずりは宅も申し込みましたが、見事外れてしまいました。
東京からの車往復は、今も語り草にしている程、楽しい思い出が一杯です。
東京築地に運ぶトラックから、魚がバラバラ・・と
降ってくるのを、拾ってご近所に配りまわったり。
リンゴが箱ごと落ちてくるのです。運転手も慣れたもので、拾う事はしません。丸ごとかぶりながらの、運転でした。
お米が美味しくてたった2年間に10キロ近くも太ってしまいました。帰京後は、痩せるのに、苦労しました。
それだけに、変わり果てた地への寂しさは、たまらないものがあります。
返信する
バード様 (ゆずりは)
2012-07-02 21:21:42
上野駅で、常磐線の乗り場が解らなくて、まごつきました。特急で2時間少しで着くのです。

昔の面影ゼロ・・何もありませんでした。訪ねて行こうにも、めぼしいもの皆無、バスは途中までしか行かないし、タクシーの高い事。1万円が何枚も飛びましたよ。人がいない・・と言う事は、皆住まいを変えたのでしょう。寂しかったです。

いつの日か、復興したら・・皆で行きましょうね。
写真も写す所が無くて・・
返信する

コメントを投稿