きま の ウクレレ二千百一夜

ウクレレは諦めない根気が大事!
きっと夢は叶う。

遠い記憶 

2011-03-18 00:00:05 | 昭和な話

自分が本当にまだ小さかった時。

何故かそこだけ記憶が有るのが、4畳半か6畳の狭い部屋、周りは障子で、、天井近くに大きなラジオが棚の上に有ります。
天井には傘は有りますが、裸の電球です。

ちゃぶ台は,,丸くてそこで家族が集まって晩ご飯、、ラジオが掛かっています。ラジオドラマです。
そうこうしている内に、お布団敷いて寝ます,,夜は多分8時頃です。

夏は蚊帳を吊りました。
そこは居間でも有り、遊ぶ部屋でもあり、、、兄が鉄道模型の線路を広げて走らせているのを見た記憶も有ります。

兄と姉、、両親の5人家族でした。
冷蔵庫が何時だったか家に来たのか知りませんが、上のドアには氷の大きいのを入れます。下のドアには何か冷やしていましたが、何を冷やしていたのでしょう。

洗濯機も電気のものを買ったと喜んでいた記憶が有ります。横に洗濯物を挟んで水気を絞るローラーがあります,,洗濯物がぺちゃんこになりました。

夏の暑い時は団扇、、冬の暖房は火鉢、、台風の時は停電と雨漏りで一晩中家が揺れて、眠れなかった事も有りました。翌朝に塀が全部離れたところへ飛んで行って無くなっていた事も有りました。

姉は、現在静岡で元気に暮らしています。
浜岡原発から10キロは離れていない所です。
海も近いので、今回の地震では2階に避難していた様です。

兄は若くして亡くなり、父も母も今は居ません。
何時か大きな地震が来ると、よく話していた事を思い出しました。

ネットで買った充電式ランタンは16時間の充電で30時間点灯すると言う事です。

   

小さな懐中電灯と電池を姉が送ってくれました。
その夜に静岡も大きな地震が有りました。

  

今の懐中電灯って,,電球がLEDでもの凄く明るいので驚きました。
ランタンもLEDです。
懐中電灯は単4電池3本、ランタンは充電式です。

○ 寝言の様な話を書いてしまいました。
こんな時は夢を諦めず希望をもつのが良いと思います。
暗い気持ちに成らないで。



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10 コメント

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昭和の時代 (もんもん♪)
2011-03-17 22:09:38
きまさんの子供の頃の、
家の様子、目に浮かびます。
もちろん体験してないけれど、
親の子供の頃の写真などで。

昔は電気製品なんて
あまり無かったんですよね。

電気が洗濯や掃除をしてくれる
便利な生活に慣れ、
たった3時間の停電でも、
心ぼそくなる。

停電は何度も経験してます。
台風なとでです。

でも、今思うと、3時間の停電は
初体験なんですよね。
ガスは使えても、給湯のスイッチが電気だから、お湯が使えない事が分かり、
ガス台でお湯沸かして、
顔を洗いました。

Meg先生は7日間も断水しているとの事。

近隣の皆さんと助け合っているとの事で、
本当に、遠くの親戚より近くの他人。ですね。

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もんもんさん。 (きま)
2011-03-17 22:19:01
先程から、大きめな地震が続きますね。
何かぐらぐら驚きます。

しかし、遠くの親戚よりなんて,,割と古いことわざご存知で。
姉からメールが来ました。長くなるけど書いておくね。
>>あの頃父の仕事部屋は玄関入って横の4畳半で襖一枚東隣が、3畳間でラジオのあり丸いちゃぶ台が置いてあり可愛い茶の間でした。
冬は夜は小さな暖かいガスストーブが有りました。
その東隣が6畳間で、そこで隆司は誕生しました。
その夜兄と私は父の部屋で息をこらして、いつ新しい兄弟が産まれるのか期待に心躍らせ待ってました。

次の朝初めて会わせてもらった小さな赤ちゃんは本当に赤い顔でびっくり本当に赤ちゃんだ!でした)‥その部屋の北側に押し入れが有り上に布団が収納してあり、夜は東に頭を向けて部屋一杯に布団を敷きます。

布団の上げ下ろしは、兄私隆司でやりましたが、私は押し入れに上り布団を投げ?降ろし兄が敷きました。

その上を隆司が喜んで転げて居ました。
大笑いして遊んでると叱られる時もありましたが、楽しい思い出です

だそうです、、長いけど読めるかな。
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長いです (しの)
2011-03-17 22:45:28
物心ついたころには、TVがありました。

本日も夕食は停電中でした。なぜか、
必死で食べます。地方では給油所が
パニクっております

あしたも、チャリだ。
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しのさん。 (きま)
2011-03-17 22:49:35
ガソリンは今は買えません。
多分、並んだら2時間は掛かるけど,その前の売り切れに成る様です。
第一、道路の左側に狭い所でも並んじゃって危険です。

テレビはこの話の2~3年後です、、、白黒ですが。
自転車が売れている様ですよ、、それもカゴ付きの買い物出来るやつね。
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感動しました! (もんもん♪)
2011-03-17 23:51:53
きまさんのブログには 時々お姉さまが登場しますね!

仲の良い兄弟なんですね!

末っ子だったのですね((笑)
さぞかし、可愛がられたのでしょうね!

私が生まれた時は すでに今とあまり変わらない感じでしたね。

こうも停電がつづいて、
今までの当たり前の生活を見直す
良い機会かもしれません。

小学校でも「地球温暖化」については学んでいるけど、どこまで理解しているのかな?
今回の経験は
「地球は生きているという事。限りある資源を大事にする」という意味で勉強にはなったと思います。

地震のあと、メールや電話は全く使えなかったけど、ツイッターだけはリアルタイムで見れたので、最近はツイッターを良く見ています。

勇気づけられる言葉が沢山ツイートされていましたが、その中で一番印象に残っている事。

「日本は1945年以来の大規模な被災だが、あの時と違うのは、日本は負けていないという事と、今度は世界中が味方であるという事」

隣近所での助け合い、国境を越えての助け合い。やはり人は支えあって生きていかねば!ですね。

書いてる事が支離滅裂((笑)
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もんもんさん 2 (きま)
2011-03-17 23:59:22
小さな頃はよくテレビのチャンネルで喧嘩したりしましたが、今は仲良くしております。
姉も自分の影響でカマカ等買って,,静岡でウクレレを仲間と習ったりしています。
最近は町内でギターも習っているとか、、。

今の便利で何でも沢山ある暮らしは幸せでもあり、、またその幸せが感じ難くなっています。

昔はちょっとした事でも大喜びしたり感動が有った気がします。
少し、昔の感覚に戻した方がいいのかも知れません。

電気使うものが多いので、発電所が直らないと困りますが、節電はこれからずっと必要な事ですね。
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準備 (wada)
2011-03-18 12:26:55
暗い気になっている暇はないですよね。あらゆる場合に備えてできる準備をしなくては。買占めは愚かなことですが準備は重要。懐中電灯、
水、移動手段、連絡、非常時の家族のの集合場所、連絡方法などなど・・・・それとそろそろ疎開のことも頭の片隅に置いておいた報がいいのかも知れません。家族、親戚とも東京で田舎がないので何処に行けばいいのか・・・・・・。
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Wadaさん。 (きま)
2011-03-18 12:37:21
日常の食べ物、、お米が10キロ、、パンは昨日買えたので、一週間分、、お水は元から買ってある。
電池は取りあえず,,懐中電灯とランタン、、。

牛乳は2本、、缶詰とラーメンも有るよ。

親戚は居るけど,,静岡では疎開先に成らないし、、普段付合っていない所へ急には受け入れては貰えませんので、移動は考えてないよ。
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温故知新? (がく)
2011-03-18 20:00:45
外国では大騒ぎだそうで、韓国人アルバイトの多い隣のキムチ屋さんは
どんどん帰国する人が出てしっちゃかめっちゃかです。

東京はそんな心配はないと報道されているので、
ほとんどの日本人は不安ながらも落ち着いていると思いますけど。

まあ確かに不安だけど、それより自分ができることを考えなくちゃですね。

遠い昔、物心ついた時には白黒テレビはありましたが、
家にカラーテレビが来た時の感動はよく覚えています。

ああいう気持ちを思い出さなきゃいけないな~。
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がくさん。 (きま)
2011-03-18 20:05:10
自然の災害には逆らえません。
まだ、原発も何もない時代だったら、、もっと大きな被害に成っていたとも言います。

便利と引き換え、、難しいものです。

こういう時は一刻も早く復興に向けて動く事が大事だと思いますし、原発も1日でも早く沈静化するか、、廃止するかして放射能漏れを防ぐ事が大事と思います。

その後の事は、それから、、。
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