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的外れな生き方から的を射る生き方へ!

2024-01-09 19:34:37 | 日記

今の現場に移って来る前に、ここ数年とは異なった新しい道に進もうとしていました。

しかし、タイミングが合わず元の鞘に収まり、公表していただけに少し相手を困惑させ、自分も複雑な思いを持ちながら今の現場に来ました。

だけど、もし道が閉ざされておらず今の現場に来ていなかったら、今後の人生に大きな影響があっあかもしれない、と思うような出会いが三つありました。

一つ目は、早朝の御言葉と祈りの時間を持ち始めるきっかけとなった教会との出会い。

二つ目は、今の現場で出会ったお客様との再会。

三つ目は、ホテル近くにある幻の餃子屋さん「みん」との出会い。

三つ目は、笑われてしまうかもしれないが、これまでになかったそれほど美味しい餃子屋さんです。

なぜ幻かというと、営業日が火、木、土曜日だけで、しかも夕方の4時から6時まで。
6時前に着いても売り切れ御免なのかすでに閉まっている時もあるし、間に合わない時もある。

現在は持ち帰り専門店で、店内はいつも5人から10人ほど並んでいて、回転はとても早い。

値段は10個入り、もやしも入って税込550円。
熱いうちに食べようと急いでホテルに戻るか、近くに停めお茶を買って車内で頂く。

最初はそのまま食べ、数個食べたら特製の唐辛子を付けたり、専用のタレを付けて頂く。

本当に美味しい。

この感動を家族にも伝えたくて持ち帰ったこともあるが、翌日の夜になってしまっては、なんら反応もしてくれなかった…。

だから余計に幻なのかもしれない。

チャンスがありましたら、是非一度ご賞味ください!

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★今日の聖書日記
(マタイの福音書 5章21~32節)

今日の聖書の御言葉に耳を傾け率直に思うことは、とてもそのようには生きられない! と思うことです。

心の中で考えたり思ったことまで神様に裁かれてしまうなんて、もう生きてなんていられない、と思います。

しかし、聖書はけっして脅しで言っているのではなく、それが聖なる神様が人間に求めておられる基準なんだと思います。

また、イエス様を十字架へと仕向け続けた当時の宗教指導者たちは、宗教的生き方に熱心なだけで、どうやら聖書が言わんとする真意からはかけ離れてしまっていたようです。(マルコの福音書7章)

今日の箇所を読んで思い出すのは、人間はどのように生きようが、神様の御心からは的外れな生き方をしてしまう、ということです。

聖書が言う罪とは、犯罪を犯したりすることではなく、原語ではこのような“的外れ”を意味するそうです。

そもそも的が外れているから、熱心になればなるほど、周囲の人々をさ迷わせてしまうから恐ろしいですね…。(マタイ23章13~)(ローマ人への手紙2章16~)

しかし感謝なのは、先に書いたように、そんな高尚な生き方など出来ない、と思っても、それを行なって、唯一罪がな無いキリストが、私の代わりに十字架で裁かれてくださった、という事実です。

感謝なのは、それでも神の教えやイエス・キリストの愛に心を向け続ける時、自分の罪に嘆いて終わるだけでなく、このマタイの福音書の5章、イエス様が弟子たちに語られた最初の言葉にあるように、「心の貧しい(自分の罪を悲しむ)者は幸いです。天の御国(神様が支配が及ぶことや所)はその人たちのものだからです、と言われていることです。

パウロが歓喜した言葉を思い出します。(ローマ人への手紙7章)

それと同じ思いが与えられている私達は(ローマ章)、聖書を与えてくださった神様の御心に喜ばれる歩みがしたい、と願わされることです。

50才を過ぎても、まだ失敗してしまう的外れな生き方から学び、いま天国へ向かって切に願わされているのは、“相手との正しい距離感”です。

神様とのあるべき正しい距離感と隣人との正しい距離感です。

そのような思いのなか、考えているのは、銀婚式を終えてからでもパートナーとのふさわしい距離感。子供たちとも神様を畏れて生きたいと願う父親としての距離感。友人との距離感。職場での一人ひとりとの距離感。お客様との距離感等々、それぞれに神様の願われる距離感があるのだと思います。(人それぞれの生き方、考え方、性格への考慮も必要だと思います。)

それは、この地上では「地の塩、世の光」としての歩みが願われ期待されており、その生き方によって神様の御名が聖なるものとされる生き方(マタイ5章16~)(マタイ6章9~)だと思います。

最善を尽くしても、時には神様の故に人々から嫌われたり迫害されても仕方がないと思います。(マタイ5章10~)
時には距離をおくことも必要だと思います。(マタイ10章14)

主が教えてくださった祈りを祈りつつ、的外れな生き方から的を射た生き方へとされ続けてたいです。

嗚呼、長文になってしまった…。
明日からは的を射た簡潔な日記を心がけよう。🎯


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