ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

あなたのさとしの道をどんな宝よりも

2024-04-26 22:05:05 | 日記

今日の現場は片付けのみで、明日からは連休に入ります。私はクレーン2台を整備しましたが、そのうちの一台のクローラークレーンの隙間に、キセキレイの巣があるのを発見しました。場所はクレーンの下部フレーム本体と左側のキャタピラーをドッキングさせて固定するためのシリンダーと、そのシリンダーのカバーの隙間に。最近仕事中に、お腹の黄色い鳥が目の前をチュンチュンと鳴きながら行ったり来たりしていたのはそのためでした。卵は6個ありました。ツバメの巣と同じで、案外そのような人目につくところが外敵からは襲われにくいのかもしれませんね。でも、日中は頻繁に動くので果たして無事に育ってくれるのか心配です。皮の手袋の下の5センチくらいの隙間にです。

帰省してからは、友達と最近よく行くもつ鍋へ。また今日は、“私の宝物であるヘルメットに貼り付ける本名のシール”を頂いてから三年目になります。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

今日からの聖書通読箇所は、幾日か詩編が続きます。

今日の箇所は、まず世界に住むすべての人に向かって「これを聞け。…耳を傾けよ。」との呼びかけから始まっています。その内容は、人にどんなにお金があっても、栄華を極めても、悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい、人間一人を贖(あがな)い出すことは出来ない、とのことです。

今日の詩編には、原語でゴーエルと言うそうですが、贖いという聖書のなかの大切な概念が出てきます。

贖いとは代価を支払って買い戻すことだそうで、神様は旧約聖書の「ルツ記」(ミレーの「落ち穂拾い」の絵画は「ルツ記」に基づいておられるそうです)を通しても、その概念をとてもよく私たちに教えてくださっておられます。

また聖書は、罪が人類に入って、神様との関係が失われた状態にある私たちを、イエス・キリストを通して贖い出してくださることを示しておられます。

★"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。"
ローマ人への手紙 3章 23〜24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

また今日の悟ることがなければ(20節)、という箇所から、本日の箇所から離れてしまいますが、詩編の119編が思い出されました。そこには悟りや、さとしなどの表現が繰り返し述べられています。そのなかでも今日の宝物のに関連して、詩編119編14節のみことが心に留まりました。

★私はあなたのさとしの道をどんな宝よりも楽しんでいます。詩篇 119篇 14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

「あなたのさとし」、詩編119編の冒頭からも示している詩編のテーマ、これこそ私の一番の宝物とされているかを問われた思いがしました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

"すべて国々の民よこれを聞け。すべて世に住む者よ耳を傾けよ。低い者も高い者も富む者も貧しい者もともどもに。私の口は知恵を語り私の心は英知を告げる。私はたとえ話に耳を傾け竪琴に合わせて謎を解き明かそう。なぜ私はわざわいの日々に恐れなければならないのか。私のかかとを狙う者の悪意が私を取り囲むときに。彼らは自分の財産に拠り頼み豊かな富を誇っている。兄弟さえも人は贖い出すことができない。自分の身代金を神に払うことはできない。たましいの贖いの代価は高く永久にあきらめなくてはならない。人はいつまでも生きられるだろうか。墓を見ないでいられるだろうか。彼は見る。知恵のある者たちが死に愚かな者浅はかな者も等しく滅び自分の財産を他人に残すのを。彼らの心の中ではその家は永遠で住まいは代々に及ぶ。彼らは土地に自分たちの名をつける。しかし人は栄華のうちにとどまれない。人は滅び失せる獣に等しい。これが愚か者の道。彼らに従う者もその口のことばを喜ぶ。セラ彼らは羊のようによみに定められ死が彼らの羊飼いとなる。朝には直ぐな者たちが彼らを支配する。彼らの形はなくなりよみがその住む所となる。しかし神は私のたましいを贖い出しよみの手から私を奪い返してくださる。セラ恐れるな。人が富を得てもその人の家の栄誉が増し加わっても。人は死ぬとき何一つ持って行くことはできずその栄誉もその人を追って下ることはない。たとえ人が自分自身を生きている間に祝福できてもあなたには物事がうまく行っていると人々があなたをほめたたえても。そのたましいは代々の先祖のところに行く。そこでは永久に光を見ることはない。人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。(詩篇 49篇 1〜20節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 


信仰の証「倉吉キリスト教会Uチャペル」にて

2024-04-21 13:19:09 | 日記

今日は鳥取県の「倉吉キリスト教会Uチャペル」で証をする機会を頂きました。

YouTube配信というのは始めてで、いつも以上に緊張して噛みまくりでした…。

配信は正直言うと抵抗がありましたが、この小さき者をも祈りのうちに覚えていてくださる方々のことも、また「証が終わったら投稿してくださいね」、とも仰ってくださった方のことも覚えてアップします。

見るにたえないかもしれませんが、よければご視聴ください。次の日曜日までは視聴できます。
m(__)m

時間は20分頂いており、メッセンジャーの方が、直前に時間は気にしなくても良いと仰ってくださり、原稿に無いことも話してしまって長くなりました…。

証の時間は19分の後半から53分までです。

神様が次回も赦されるのならば今後の教訓とします。一人反省会です。一つの経験になりました。感謝しつつ。

YouTube配信のURLです。

https://youtu.be/gCAymBka2dE?si=x6Hc6j4rrig2o8kc

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【証】倉吉キリスト教会Uチャペル  2024/4/21

私の名前は「金憬晤(キムギョンオ)」と申します。

仕事は建設業で日本全国へ赴き、鳥取県には、米子道四車線化工事の一環ため参りました。

本日は、礼拝のなか貴重な時間を与えてくださり感謝いたします。

今回、この証をさせて頂けるにあたって思ったことは、私も聖書が言う“罪人のかしら”の一人だ、と思えることです。

そのため、自分の本当の事を人前で話すのは、正直恥ずかしいことです。しかしこの聖書の神様が、どんなに私をあわれんでくださったのか、また今もあわれみんで生かしてくださっておられるのかを、神様にあって、決して嘘や誇張することなく真実をお話しすることが出来れば幸いです。

ところで、先月来たばかりの者が、どうして、今日証をすることになったのかを説明いたします。

仕事で来たことが一番の目的です。しかし祈りのなか神様に導かれて来た、とも受け止めております。

そして、先々週こちらの礼拝に参加した時、受付に新年度の希望奉仕表が置いてあったので、「こちらにいる間、何かお手伝い出来ることがあったら仰ってください」とお伝えしたところ、今回この証をする運びとなりました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

それでは、今から3つのことをお話しさせていただきます。

一つ目は、罪人として暗闇の人生をさ迷ってきた私が、どのようにしてイエス様と出会ったかです。

2つ目は、私は一般信徒に過ぎない者ですが、そんな私にも神様は特別な使命をお与えくださり、今日までどのように導いてきてくださったのか、についてです。

最後の3つ目は、私は2年前の52才から、残りの人生を本名を名乗って生きていきたい、と決心しました。そのいきさつと今日までの歩みをお話し出来たらと思います

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

一つ目は、私がどのようにしてイエス様と出会ったのか、についてです。

私はこの日本に、当時父は朝鮮籍、母は韓国籍の在日コリアンの3.5世として生まれてきました。小学校三年生の頃、私は他の友達の家庭とはどこか違うことを知り、そのことを友だちに告げると、「朝鮮人」とからかわれるようになりました。

そして、青年・社会人へと成長していくにつれ、在日としての生きづらさのため、次第に自分のルーツは隠すようになっていきました。

高校に入ると、タバコですぐ停学となり、地毛まで染めていると厳しく指導され、嫌になって自主退学しました。そこからは暴走族としての青年時代を過ごし、社会には大迷惑をかけ、人様も傷つけ、自分さえも傷つけていきました。

16才になった頃、家族が離ればなれになったことがあり、その時、親が「『金田』から『加藤』の名前に変えよう」、と言ってきました。

私は、そんな事が出来るとは知らず、正直、日本の方に多い「加藤」の苗字に変えられることが嬉しく、52才までの約35年間を、「加藤宏征(かとうひろゆき)」という名前で生きてきました。

イエス様と出会ったの21才の時のことです。その直前、人間関係や自分に対しての失望を経験しました。

それまでつるんできた仲間連中の一人が、仲間にからかわれておりました。私はその友をかばおうとしたところ、逆に私がその仲間や当人から疎外される羽目にあいました。

そんな時、心の支えになったのが当時お付き合いしていた女性です。まだ二十歳の若造でしたが、初めて結婚を意識するようになりました。そのため自分の生い立ちを隠し続けることは出来ないと思い、勇気を出して自分が日本人ではないことを告白しました。

すると、彼女は、“そんなことは関係がない“と言ってくれました。嬉しかったです。

しかし、そんな彼女とも、私が原因で一度距離をおくことになってしまいました。暫くして再会した時、彼女は満面の笑みで私を出迎えてくれましたが、天の邪鬼の私は、最後まで苦虫を噛み潰したよう顔で意地を張って、「さようなら」みたいなことまで言ってしまいました。

しかし日にちが経つほど苦しくなった私は、彼女を呼び出しました。ところが相手にはもう別の男性がおり、心の支えにもなっていた彼女との別れは、大きな悲しみとなりました。

けれども、そんな悲しみはひた隠し、我武者羅に働いて悲しみを吹き飛ばそうとしましたが、心は渇いていく一方でした。

当時の私はローソンにお弁当や乳製品を運ぶドライバーをしておりました。ある日、深夜の配送が終わって、明け方配送センターに帰っていく途中の出来事です。

トラックでは「東海ラジオ」をBGM程度に流しておりましたが、突然「信じるものは救われる!」という言葉が、私の耳にはっきりと入ってきました。そして話に耳を傾けました。

お話しが終わった時、真っ暗闇だった私の心には明かりが灯り、不思議なほど心が温かくなりました。それから、その時間は意識して「世の光」の番組を聞くようになりました。

ある日の放送で「ダイジェストバイブル(聖書についてや、代表的な聖書の言葉が書いてある小冊子)」をプレゼントする案内があり、プレゼント希望のハガキを出しました。もれなくだったので、プレゼントが届くのを楽しみにしておりました。

ところが、2、3週間が経って届いたのは、私が出したハガキでした。ハガキには名古屋集中郵便局のはんこが押され、「このハガキはもう使用出来ません」と書いてありました。住所は合っており、切手もきちんと貼ってあったので何が原因だったのか今でも分かりません。

しかし、諦めきれなかった私は、住所をたよりに「世の光センター」という所に行ってみました。そこは建物に十字架がある教会でした。せっかく来たのに教会の玄関にはどうしても近づけませんでした。何度か教会の前を行ったり来たりしましたが、もう諦めて帰ろうと思い始めた時、教会の方が私の存在に気づいて下さり、中へと案内してくださいました。

その日は日曜日の午後、集会はすでに終わっておりましたが、入口のソファーに座って簡単な挨拶を終えると、その方は聖書を取り出し、簡単にお話しをしてくださいました。

それはこの天地万物を造られた創造主なる神様がおられること、人間には罪があって、この神様との関係が断たれていること、私の罪からの救いの為にイエス様が十字架にかかってくださったこと、イエス様の十字架の出来事を認めてイエス様を心にお迎えすること、などです。そしてお祈りしてくださいました。

正直その時は全く理解できませんでしたが、帰りに「四つの法則」という小さな冊子を手渡してくださいました。

神様を求め始めるようになっていた私は、そこに書かれていることを何回も読み、そこに書いてあった祈りも、そらんじて祈れるまでなっていました。祈れば何らかの御利益がある、と思ってのことです…。

ある日、運転しながら祈っていると、血だらけで顔も膨れ上がった無惨な姿のイエス様がはっきりと心のなかに思い浮かんできました。その時、“あの歴史上のイエス様の十字架は、私の罪の為であったんだ!”とイエス様の十字架と私の罪が初めて繋がり、その祈りが、そのまま私の心からの祈りへと変えられました。

「主イエス様、私はあなたを必要としています。あなたが、私の罪のために十字架で死んでくださったことを感謝します。私は、今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。私の心の王座で、私の人生を導いてください。私をあなたが望んでおられるような者に変えてください。アーメン。」

祈り終わった時、私のために命まで捨ててくださった方の愛に感動して涙が溢れてきました。愛知県の南知多道路、東浦知多インターという所をぐるりと降りる時の出来事です

(しかし運転中のお祈りは危険だと思います…、。)

そしてシフトで次の日曜日が休みになった時、礼拝に初めて参加してみました。

その現在私が通う教会は、数年前に創立60周年を迎えましたが、過去に一度だけ10名くらいの参加者で、海外研修として韓国へ行ったことがありました。

私が初めて参加した礼拝は、奇しくも皆さんが韓国から帰ってきてから最初の日曜日で、研修旅行の報告も兼ねたような礼拝でした。そんなことも礼拝とは何かも知らずに会堂に座っておりました。

牧師先生のメッセージは「十字架による結合」と題して、日韓には悲しい過去があったけれど、キリストにあって和解することが出来、一つになることが出来る、というような内容でした。

私が二十歳の頃は、朝鮮料理はニンニク臭いと敬遠され、スーパーマーケットにキムチも置いてないような時代でした。そんな時代、日本の方が日韓の歴史を悔やんでいる姿を私は生まれて初めて見ました。また礼拝後の報告では、二人りの青年女性が前に出て、それぞれ韓国のクリスチャンたちとの交流で受けた恵みを、涙ながらに証してくださいました。

礼拝が終わった時、私はもうすっかり我を忘れ、写真を見せてもらいに自分から歩みよりました。まるで聖書の中に出てきた、ザアカイさんのような心境でした。

(ザアカイさん、ルカの福音書19章1~10節)

このように、初めての出席した礼拝が、教会も60数余年という歴史のなか、日曜日だけでも何千分の一、という確率のその日に導びかれたことは、私にとって神様から特別に招待された日であり、生涯忘れられない出来事です。

そのようにして、私は教会の青年達や教会の皆さんの交わりに加えられ、一年後には洗礼へと導かれました。

ただ、かつて暴走族として生きてきた私が、果たしてクリスチャンとして生きていけるのか不安でした。しかし「今信じなさい」とのイエス様の迫りを感じ、清水の舞台から…、いや、イエス様の胸に飛び込むような思いで洗礼を受けました。

あの時イエス様の胸に飛び込んで本当に良かったと思います。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

2つ目は、私は一信徒ではありますが、それでも神様から特別な使命が与えられました。

まだ洗礼を受けて間もない頃のことです。とある女性の方が、これから宣教師としてフィリピンに行くことになり、その報告のため教会のお祈り会に来られました。

その方は、宣教師になることを示された、みことばとして、エゼキエル書の2章からお話しをされました。

まだ旧約聖書なんか全く読んでいない私は、エゼキエル書という書名さえ知りませんでした。しかし何気なく聖書を開くと一発で全く同じ箇所を開くことが出来ました。私は内心一番早開けたことに得意気になっておりました。

その内容は、神様に反抗し続けたイスラエル民族が、異国バビロンの地へ連れていかれ捕囚となっていた時代に、エゼキエルという人物に神様が現れ、あるメッセージを語られました。

そのエゼキエルが与えられた使命は、エゼキエルは、神様からのメッセージをしっかりと受け取り、同胞イスラエル人の所へ出て行って、神様の溢れるような悲しみや救いのメッセージを伝える、といった内容などです。

偶然開けたと思っていた私でしたが、その日から幾日経っても、同じ聖書箇所のメッセージが頭から離れませんでした。“もしかすると神様は私に対しても語っておられるのではないか”、と思いはじめました。

ある時、私の頭でいくら考えても分からないので、心を吐き出すようにして祈ったことがありました。「神様が私にも語っておられるのなら、私がはっきりと分かるように教えてください!」と。

祈り終わるとすっきりとし、そして何気なく聖書に挟んであった栞(キリスト教書店でもらったものです)に目が行きました。そこには次のように書いてありました。

"あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。"申命記 10章 17〜18節聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

“神様は、私と同じ様にこの日本の地で在留異国人として生きている同胞に、神様のメッセージを伝えることを求めておられるのだ!“と受け止めました。そしてその場ですぐ神様からの使命に従う祈りをしました。

それからというもの、洗礼を受けて間もなかった私でしたが、神様はエゼキエルに語りかけてくださったように、私にも日々聖書を通して語りかけ、私を遣わし、家族や親族をイエス様を信じる決心へと導いてくださいました。

神様からの使命を決心してから今日までの約30年間、行く先々で、また人生の紆余曲折のなかで、神様としか思えないほど在日同胞との出会いが与えられ続け、今でも途切れることなく、伝道する機会を与え続けてくださっております。

伝道は、時にはびくびくしたりします。しかし、神様の言葉通り、神様のメッセージを真っ直ぐに伝えその人と関わっていく時、「もうそんな話はやめてくれ」と拒絶されたりします。しかしそんな時こそ聖霊なる神様が一緒に働いて来てくださったことを経験してきました。私自身は弱く足りない者でも、イエス様はあえて“一緒に伝道しよう”、と招いてくださっていることを感じてきました。

そのように、個人での伝道は、決して個人伝道ではないことも感じてきました。神様が共に働いていくださり、またいつも背後で祈ってくださる方々が与えられ、私と一緒に関わり続けてくれる妻や家族も与えられて感謝します。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

3つ目は、52才から現在の「金憬晤(キムギョンオ)」という本名を名乗ることになったいきさつです。

いつ頃からか、在日の人々に伝道することが神様からの使命ならば、日本名ではなく、むしろ本名を名乗って、“より在日として生きていく”ことのほうが、相応しいのではないか、とも考えるようになりました。

しかし、5年周期くらいで、その都度考えて悩みはするものの、日本で生きていくならやはり日本名のほうが摩擦もなく断然楽で、いつも踏ん切りがつかず答えは出せませんでした。

そして、50才も過ぎ、もう本名を名乗ることは、すっかり忘れておりました。

ところが、51才になった時、思いもよらぬかたちで転機が訪れました。

当時、私はそれまでの会社員という形態の働き方から、いざこざがあって、個人事業としての形態で働きはじめたばかりでした。

両親の介護や子供達のこともあり、正直不安でした。

そんな時、その時のお客様の御好意を受け、“次は大阪府高槻市の現場に是非入って欲しい”と言われました。

同時期、同じ現場に元請け建設会社の新入社員の女性の方が、初めての現場として配属されて来ました。聞くと私の家の近所の方でした。これまで働いてきた中でも近所の方と出会ったのは初めてでした。今後の不安も覚えていた時期なので、私は余計に嬉しく、生意気にもこの人を“応援していたいのと、私が現場を離れた後も様子ぐらいは知りたい”、と思いました。

そして、私が現場を離れる前、餞別品として本のプレゼントを渡そうとしました。それが現場の外に誘って渡そうとしたものだから、相手は心配して、それ以来双方向での交流は遮断されてしまいました。

突然の肩透かしを食らった私は、その後余計なことを伝え続け、足を引っ張り悩ませてしまいました。自分はクリスチャンであることは伝えていたものの最低な存在となってしまいました。

それでも相手は最後まで聡明な対応をしてくれましたが、結局私は応援するどころか、逆に最後まで最悪な者、たぶん世界一迷惑をかけてしまう者となってしまいました。

現場を離れる前の出来事です。

そのように自分を制することが全く出来ず、相変わらず愚かな人間だ、と悔やんでい頃、私は通勤時の車内では、関西一円で放送されていた、「世の光」と「福音の光」という番組を聞いておりました。

ある日の放送で、その番組でお話しをされていたメッセンジャーの先生に、在日の一人の女の子が、「先生、『私たちの国籍は天にある』との聖書の言葉から、これからは本名で生きていくことを決心しました!」と言ってきたことがあり、そこからつなげてお話しをされました。

私は、“ああ、時々耳にする在日事情の一つだな”と思いました。しかしちょうどその時に読んでいた聖書の箇所は、申命記の28章でした。

そこは神様に聞き従う者に対する祝福が書かれている箇所です。そこの10節には、「地上のあらゆる民はあなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れるであろう。…」と書いてありました。

私自身、名前で悩む前に、まずは主の名前がつけられ、神様の者とされているんだ! と教えられました。そう思えた時、たとえ本名で生きていって、面倒や困難にぶち当たったとしても大したことはない、そんな困難があっても、それでも本名がきっかけで一人でも在日同胞との出会いが与えられるなら、その方がはるかによい、と思え、私も本名を名乗って生きてみたい、と思いました。

名前のことは祈ってきましたが、神様が、“今だよ”と私の背中を押してくださっておられるのを感じました。

また、自分の不甲斐なさを痛感していた私は、日本人とか在日であること以上に、むしろもっと大切な“天国人”として天の故郷を目指して憧れて生きていきたい、と思いました。

そう思った時、改めて自分には相応しい名前が与えられているのを調べてみて初めて知りました。

【金 憬晤(キムギョンオ)】

そして、家族にもそのことを打ち明けると、快く了承してくれました。

そのようにして、ちょうど2年前52才の春から、本名を名乗り始めました。

【ヘルメットの名前は「きむ」】

本名を名乗るようになって一番大きく変わったことは、現場で私のヘルメットを見て、声をかけてくれる人達が表れるようになったことです。

現場の以前からのお客さんは、変わらずに「加藤さん」と呼んでくれたり、新しく出会った方からは「金さん」と呼ばれたりいろいろなので、第三者の方からは余計にどうしてですか? と聞かれることがあったりします。また半年に一人の割合で、相手側から“私も在日です”と声をかけてくれるようになりました。

そのようにして証や伝道のための門が、さらに開かれたことを実感しております。

今回この証をさせていただき、これまでの歩みを振り返り、改めて私自身が教えられたことです。

神様を知らず暗闇のをさ迷って生きていたいた私を、神様はイエス様によって照らしてくださり、救ってくださり、こんな者でも決して見捨てず、光として歩ませ続けてくださっていることです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 

最後にエペソ5章 8〜17節をお読みいたします。

あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。エペソ人への手紙 5章 8〜17節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行

 


言動

2024-04-12 18:06:15 | 日記

岡山駅のコンコースでお団子を買ってただいま帰名中です。日も長くなったので、車窓から姫路城も少し眺めることが出来ました。前回の帰省のように目眩に悩まされることがないように願います。

来週からゴールデンウィークにかけてはバタバタしそうですが、神様の助けのなかで成すべき働きがしっかりと出来るように、祈りつつ過ごしていきたいと思います。

生まれつきの私には、次のような性質は全く備わっておりませんが、少しでもそのような歩みをさせて頂けるよう願いつつ。

★ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。(コロサイ人への手紙 3章 17節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


威風堂々と

2024-04-09 19:38:29 | 日記

先週末から昨日までの現場での出来事です。

今の仕事は、道の無い谷底などに工事用の道路を作っております。鋼材で仮の桟橋を架けていく一連の工事で、まず柱を建てる為に、穴の径は65センチほどで、平均10メートル以上の穴を掘り下げていきます。

先週末の金曜日、その機材の部品の先端が、深さ6メートルの辺りで破損して折れてしまいました…。

通常なら先端を取り出すためには、工法やクレーンの部品や仕込みを変えたりして、本来の作業が一週間から二週間止まってしうことも考えられます。

幸いにも前回の現場でも似たようなことが起こり、一人の人のアイディアで2日後には回収することが出来ました。

その時の経験とアイディアを生かして週末はその内容を伝えて準備をし、月曜日に作業に取りかかりました。

週末の休み間は、果たして来週は上手く行くのかな、と時々その事が頭をよぎりました。

月曜日の朝、現場はいつもとは違う「非定常作業」ということで、元請けの職員さんが作業前のリスクアセスメントの活動にも参加されました。

そして、元請け職員の一人一人が順番に注意喚起をし、最後に現場の所長さんが話をされました。

そして所長さんは最後このように言われました。「最後はクレーンのキムさんの腕にかかっています」と。

確かに仰るとおり、最後は私の操作や判断が鍵となってくることは間違いないと思います。

しかし、予想していなかった言葉だったので、所長さんには何も即答出来ず、私は隣に立っていた職長さんの顔を見つめ、二人ともただ無言で顔を見合わせて終わってしまいました。所長さんが最後に締めの言葉を仰って話し合いは終わりました…。

そして作業の結果は、金曜日の段取りや仕込みの全てが功を奏し、月曜日に一発で無事に回収することが出来ました。

前回もそうでしたが、今回もみんなでテンションが上がりました😊

(現場内のはっきり写ってる写真は避け、ぼんやり写真とこのくらいで💦)

後になって思ったのは、所長さんからお言葉を頂いた時、頼りない応対でなく、もっと威勢の良い返事をしておけば良かったな、と少し後悔しました。

どうしてその時に、「はい、任せてください!」くらいのことが言えなかったのは、やはり、それぐらいの意気込みだった、と言われても仕方がありません。

今回のことは、作業も含め一つの経験と教訓になりました。

話しは変わって、今月に入ってからの聖書は「出エジプト記」を読み進めています。

本日の7章での印象は、モーセの“威風堂々”とした姿でした。御年80才にしてです。

しかし、神様から声をかけられた最初 のモーセと言えば、逃げ腰だったり、弱音を吐いたり、他の人を遣わしてください、などと応えていました。

それも分かります。かつて40才頃の血気盛んな時のモーセは、自分こそが、イスラエルの民をエジプトから救いだすのだ、と思い行動に移していきました。

ところが、モーセは結果同胞からも、エジプト人からも受け入れられずに、外国ミディアンの地に逃れ、そこで受け入れられ、その地で暮らす決心をして家庭を持ち、羊飼いとして過ごしました。

もう、人としては新たなことに取り組むのは難しい年の80才になって、ホレブ山で神様と出会って召命を頂きました。

★今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」

モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」

神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」(出エジプト記 3章 10〜12節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

もう過去の挫折と、年老いたモーセは過去のようではありませんでした。

しかし、本日の7章までの神様とモーセのやり取りから、人を選ぶのも、長い年月を経てしても人をふさわしく整え、訓練し用いられるのも神様の主権によるものだと教えられます。

モーセの、あまりにもしり込みする態度に怒りを燃やしても(出エジプト13:14,15)なお、さらに助けを与え用いられる神様の一方的な選びを覚えます。

今日のモーセの姿を見るときに、モーセも“自分が成すべき仕事”を自覚し覚悟を決めたような感じさえします。

前の章では、神様の言うことに従ったのに、事態はさらに悪化してしまったけれど、しかしモーセは神様ときちんと向き合い、神様に訴えました。

それに対して神様もモーセに向き合って、御自身のご計画を真っ直ぐに語られました。

モーセはもう、エジプトの王様ファラオ対しても、「主はこう言われます」とはっきり宣言したことでしょう。(出エジプト7:20)

そして、これから齢80才のモーセは、ただ神様の命令に従ってエジプトの王ファラオと対峙していき、イスラエルの200万人以上の民をエジプトから連れ出し、その民を約40年間羊飼いのように導いていくのです。

★しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。(コリント人への手紙第一 1章 27〜29節) 

このモーセの生涯を思うときに、一つの歌が思い浮かびました。

하니님 은혜 (神の恵み)

普段は韓国語で聞きますが、日本語では、大和カルバリーチャペルさんがアップしてくださっているものがありましたので、リンクをのせておきます。上手く移行してくれるのか分かりませんが…。

https://youtu.be/A70ai3MH1Fc?si=LvvWFHbp4E1Q4Nvo

神様は、自分の力で事を行おうとする者ではなく、どこまでも神様に頼り信頼する者を用いられます。

私も、仕事でも主の宣教の業でも何であっても、神様に祈り、訴え、従う者とされていきたいと思います。

最近は毎日ブログを更新することは難しいですが、週一回でも更新出来たら、と思います。

そして何よりも、日々聖書から神様の御声に耳を傾けて教えられる者であり、遣わされる者でありたいと思います。

自らの弱さを自覚しつつも、選んで遣わされる神様の御手を信じて「威風堂々」たる歩みへと。

★信仰によって、彼は王の憤りを恐れることなくエジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したのです。(ヘブル人への手紙 11章 27節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

米子市の桜も夜桜も、今週が見納めかもしれませんね。

 


「ドライブスルー花見」の地図を頂いて🌸

2024-04-07 18:15:20 | 日記

今日は倉吉の教会に着くと、ご婦人の方が私の午後の空き時間のため、「ドライブスルー花見」を用意していてくださいました。

昔、トラックに乗っていた頃、会社でこんな手書きの地図をもらっては、自分で地図を開いて調べながら目的地に行ったりしたもんです。

手書きと言っても簡素な物で、A4サイズの紙に、どんな道路でも一本線を引いては目標になる対象物や交差点名などを書くぐらいのものでした。

そんなことを経験していたので、今日頂いた地図はとても丁寧に書いてくださり嬉しくなりました。

ちょっと大事にしたいな、とも思いました。

以前に勤めていたクレーン会社の社長さんも、書いてくださった地図がとても丁寧だったのでファイルに入れて保管したことを思い出しました。

今日の、データやプリントアウトして頂く地図には無い、優しさを感じます。

そんな事で、今日も「ドライブスルー花見」をたよりに花見に行きました。

昼食は、メッセージをしてくださった先生の接待に同行させて頂き、はわい温泉にある素敵なお店に連れていって貰いました。

その時に、今日から新年度で、一年に向けての希望する奉仕の一覧が配られていたので、「滞在は年内までかもしれないですが、何かお手伝い出来ることがあったら仰ってください」とお伝えしました。

(少し前から、出張先でお世話になる教会でもお客さんのままではなく、何か教会の業に関われたら、と考えるようになりました)

そうしたら、話し合いのなか、また“信仰に導かれた経緯”をお話しする事になりました。

感謝な事ですが、一つだけ懸念している事は、礼拝をYouTube配信していることです。

それだけは正直敬遠してしまいます…。

今日の礼拝のメッセージは、以下の聖書箇所でした。この事も祈りつつ感謝して備えたいと思います…。

また鳥取の地ではこのようにまわりの方々にも覚えて頂きながら過ごしております。本当に感謝なことです。

★『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケ人への手紙第一 5章 16〜18節) 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会