御名が聖なるものとされますように
まだまだ残暑が厳しいですが、朝晩は秋風の心地よさも感じる季節になってきました。
鳥取は地元よりも幾分か涼しく、早くから秋虫の鳴き声も聞こえ、現場近くの蒜山や大山も、一部の色づきはじた樹木からも秋の足音が聞こえ始めてきました。🍁
秋の訪れが来ると、残された時間の使い方を示唆してくれる聖書の御言葉です。
テモテへの手紙第二4章1~8節
"神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。"(聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
鳥取だけではないですが2024年夏の思い出の写真を時系列は気にせずUPします。あわせて今年ではないですが近年ずっと教訓にし続けているもの、また在日として生まれ、けっして立派な民族衣裳で着飾ってはいないけれど、それでも一歳の誕生日の「トルチャンチ」を家族親族で見守って祝ってもらえた写真を載せ、ここまで神様の恵みとあわれみ眼差しが注がれ続け来た歩みも覚えつつ。
그리스도를 위하여 !