ケバル川のほとり日本でも

在日4Kの気ままなブログ。

あなたがたの良い行いを見て

2024-01-08 22:38:14 | 日記

新年最初のブログ、今年の抱負も含め少し長文になります。


年が明け、震災があってから家族とお出かけをしたとしても、どこか鬱々としておりました。

北陸地方で知っている方々の安全が確認できる度に安心もしましたが、このような時は、現地の電話回線も混乱する為、連絡も知人を介してそれぞれの安否確認をしたりとやきもきもしました。

また、現地に行って寄り添ったり、なにかが出来るのでもなく、悲惨な報道を見るたびに無力さも感じておりました。

それでも激震地の輪島や珠洲の方々の安否が確認出来て胸を撫で下ろしましたが、ご家族を亡くされ深い悲しみや苦しみの中におられる方々や避難を余儀なくされておられる方々の事を覚えて祈り続けます。

2024年初日仕事は、現場に向かう朝の通勤時、所々アイスバーンでハンドルの制御がきかなくなりましたが、事故からは守られました。私の後を走っていた軽自動車は事故でフロント部分が大破してしまったようですが、救急車を呼ぶまでではなかったようです。そして、現場では半日が除雪作業でした。幅員が10メーターほどの仮設桟橋の坂道を5~6人がかりで一キロ近く…。現場に除雪車が無ければ、その代わりとなるパワーショベルも無かったので人力のみで。ベテランの人もこんなのは初めてだと言っておりましたが、初日も無事に終わりました。

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★きょうの聖書日記
マタイの福音書5章11~2節

震災を受けて、私の思いは上記のような状態でしたが、きょうの聖書箇所や、同じ聖書箇所を読んでおられる方のブログを通して、一つの指針なるものが与えられたように思います。

きょうの聖書箇所は、イエス様が公生涯で、特に弟子たちに向けて語られた神様を信じる者が指針とすべきメッセージでした。

その中の一つに、あなた方は「世の光、地の塩です」とイエス様が私たちに向かって断言されていること、そして、塩が塩気を無くしたら何によって塩気を付けるのでしょうか? と。「地の塩、世の光でありなさい」と語っておられ、続いて「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」(5章16節)と語っておられることです。

能登半島の地震以来、知らせを受けて安堵した人のお一方は、輪島の教会の牧師をしておられる方でした。

私の友人である同郷の信仰の友が、入信前に南半球に旅行に行った際に大きな交通事故に遭い、一命は奇跡的に取り留めましたが、今でも傷と後遺症を抱えて生きております。

周りの方からは、外観上全く元気なように見られるそうですが、本人は後遺症を抱えたままです。

その彼の事を、その輪島の先生は聞き、現地で見舞い祈り続け、彼が日本に帰国してからも私の母教会に紹介状を送り、彼は後にイエスキリストの福音を信じて入信しました。

その友も輪島の先生の安否を気にして、私に連絡をよこし、私たちはただ祈り待つだけでした。

数日後、先生の安否は母教会の情報を収集してくださっておられる方から聞くことが出来ました。

教会も先生もご家族もご無事とのことでした。

そして、その先生がご家族を励ましておられるお姿が、地元の新聞に載せられていたそうです。

また、気になっていた母教会の方の、珠洲市の親戚のご高齢のご夫婦は、近所の人によって避難所へと助け出して頂いた、とのお話も伺えて安心しました。

私が毎日目を通している、きょうの聖書箇所のブログを書かれる方の感想は、『「人々の前で」と題して、「あなたがたは世の光」だということと「あなたがたは地の塩」だということです。ここからは、イエスの弟子であることの積極的な姿勢を覚えます。』と。
また、結びの言葉には、『被災地にあって「世の光、地の塩」として生きている、生きようとしているキリスト者たちのことを覚えて祈りましょう。』とありました。

その言葉を受けて、これまで何も出来ず無力さを覚えるばかりでしたが、今の私にも出来ること、これから先にし続けられることがはっきりとしました。

一つは、これは昨日の教会の礼拝でも教えられたことで、イエス様ご自身がイエス様の弟子である方々と共に現地におられる、という事実(マタイ1:21~23)を受け、イエス様の弟子として現地におかれている方々の為に祈ること。

二つ目は、離れていたとしても、これから共に復旧・復興に向けて関わっていくこと。

復旧に関しては、いずれ被災地の復旧工事でお声がかかるかもしれません。
また、復興に関しては本日のイエス様のお言葉を受け止め、「地の塩、世の光」として神様の御心を行って行くことが求められているのだと受け止めました。

主が弟子たちに祈るようにと教えてくださった「主の祈り」を覚えつつ。

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このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。

マタイの福音書 5章 16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


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