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人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです

2024-03-16 15:28:11 | 日記

 昨日の休みは、滅多にない平日でもあったのでお客様のところへ営業回り。まずは前回現場のお客様と元請けゼネコンさんへ。帰りはお昼だったので近くで食事。そこでの現場にちなんだ食事が思わず食べられました。いわゆる剣スコ型のスプーンでいただきました。あまごが美味しかったです。

 夜は私の誕生日祝いも兼ねての子供の卒業前祝い。当日は近くにいてあげられないので、本人が選んだお店で家族で楽しめて良かったです。私がリタイアしてしまった学校を、上の付属? の大学まで。私の家系では大学など行った者もいなかったので、中途半端な私にはよけい誇らしく思えました。

 今日は家族でショッピングモールでお買い物。モールの名にふさわしくお店のモチーフが緑になっているイオンです。店内にはそのようなオブジェが点在しています。娘の服選びに男性の私は疲れてしまうのでいつも妻に任せ、私の買い物は終わったので一人椅子に座ってくつろいでいます。買い物も終わったようで合流しましたが、次はデザートを何にするか二人で迷っています。「何にする?」と聞かれたので「何でもいいよ。適当に買ってくれたら」とだけ言って椅子にへばり着いています。娘と半分こです。

【今日の聖書】マタイの福音書24章29-51節

 今日の箇所は、昨日までの世の終わりについての言及に続いて、何らかの天変地異が起こること。イエス様のしるしが天に現れること。救われたものが集められること。そしてこれらのことが全て終わるまではこの時代は過ぎ去らないこと。この天地は消え去ってもイエス様のお言葉は決して消え去ることがないこと。最後に時の現象を見分けて目を覚ましてイエス様を待ち望んで生活することが語られています。

 心に留まったのは37節の、「人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。」とのお言葉です。
 ノアの方舟前に語られたお言葉です。

★主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
そして主は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」
しかし、ノアは主の心にかなっていた。(創世記 6章 5〜8節)
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 天地の造り主なる神様は、ノアの時代にも神様に悔い改めて立ち返るように望まれつつ、ノアに方舟を作るように命じました。しかし人々はそんなノアの行いを馬鹿げたこととして、神様を無視した結婚観や遊興に耽ってばかりいたのでしょう(創世記6:2, マタイ24:38)。しかし神様のお言葉は実現しました。それと同じように今の時代もイエス様のお言葉は実現するのでしょう。

 ノアの当時に思いを馳せると、教えられるのは、地上に悪が増大し、人々の心がいつも悪に傾くなかにあっても、ノアは神様の心にかなって、お言葉に生きた、ということです。

★しかし、ノアは主の心にかなっていた。
これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。(創世記 6章 8〜9節)
★ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。(創世記 6章 22節)

★主はノアに言われた。「あなたとあなたの全家は、箱舟に入りなさい。この世代の中にあって、あなたがわたしの前に正しいことが分かったからである。(創世記7:1)

 そして神の裁きの只中にあっても、ノアとノアに従った家族を神様は覚えておられたのですね。

★神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。()創世記 8章 1節)

  どのような時代にあっても、キリスト者はノアのような姿勢で神様を仰いで生きることが求められており、また神様もご自身に従う者を覚えていてくださることを忘れずにいたいと思います。

 イエス様のお言葉は必ず実現することを疑わず、ノアと同じように今の時代の十字架のという救いの方舟に倣って。

★かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。
この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです……。(ペテロの手紙第一 3章 20〜21節)

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そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々には、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。そのとき男が二人畑にいると、一人は取られ一人は残されます。女が二人臼をひいていると、一人は取られ一人は残されます。ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。それでは、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

マタイの福音書 24章 29〜51節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 


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