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悲しみの人で病を知っておられた方

2024-01-17 21:57:29 | 日記

毎週水曜の朝に参加している祈祷会の帰り道、気になっていた「ウォーキングセンター」看板の写真だけ撮ることができました。

現場に向かうのに時間の余裕がなくて、実際のセンターはまだ見られていいないです。

一体どんなセンターなのか想像だけが膨らんでいきます…。

 

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【今日の聖書日記】

(マタイの福音書 8章1~17)

 

 昨日まで呼んだ山上の説教が終わり、イエス様が山から降りてこられると、大勢の群衆が従った、とあります。

 そんな状況下、ツァラアト(重い皮膚病で宗教的にも汚れているとみなされ隔離生活を余儀なくされていた)に冒された人が、みもとに来て、イエス様に向かってひれ伏し、「主よ、お心当たり一つで私をきよくすることがおできになります」と言って疑わなかった。

 この人は本来なら、人々のいるところへ来ることの出来ない人であった。しかし、イエス様のうわさを聞いたからか、イエス様だけが真の解決をくださるお方と信じ、勇気を出して群集のなかでもやって来て上記のように告白した。

 イエス様は、彼の言葉とその信仰を見逃されはしなかった。

枯れに触って癒され、真の社会復帰が出来るように、継ぎになすべきことの指示をも与えられた。(7:4,5)

 

 次は当時ユダヤ人からは敬遠されていた、ローマの100人隊長の、しもべの癒しの奇跡である。

 彼自身、ローマ軍隊のなかで、上からの指示が絶対という環境のなかで生きていたからか、イエス様のお言葉さえ頂けたら、しもべは癒される、との信号をイエス様は喜ばれた。

 ユダヤ人から敬遠されていようが、愛するしもべを思い、イエス様のお言葉さえ頂けるなら、とイエス様に働かせる信号を主は驚嘆されました。

 ペテロの姑の癒しも、ペテロの家に入り、姑の手を触れられ癒されました。

 すると彼女は熱がひき、「イエス様をもてなした」、とあります。

 今日の箇所では、三者三様、一人ひとりにふさわしく取り扱ってくださり、神様の御業が表されました。

 三者三様、一人ひとりにあったお取り扱いで、それは社会的な復帰までも願われる最高なお取り扱いでした。

 それは私に対してもその通りで、この上ないお取り扱いでした。

 

主よあなたは私を探り知っておられます。あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り私の道のすべてを知り抜いておられます。ことばが私の舌にのぼる前になんと主よあなたはそのすべてを知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議あまりにも高くて及びもつきません。

詩篇 139篇 1〜6節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。
彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。
彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。
それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」
イザヤ書 53章 1〜12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 


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