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イエス様について行くなら

2024-01-18 18:14:45 | 日記

 設楽の現場も明日で一度中断し、来週からは再び福井県の現場へ行きます。残りの作業を二週間ほどで終わらせますが、岐阜との県境い、結構雪が積もっているそうで仕事になるのか心配です。

 そして、その前の週末には初めてハーフマラソンに参加しますが、膝が少し痛かったり、トレーニングも万全にはこぎつけられなかったので少し心配です…。でも制限時間内にだけは完走したいです。

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【今日の聖書日記】

(マタイの福音書 8章18~34節)

 

 今日の箇所は山上での説教の後、山から下りられると、大勢の群衆がイエスに従った(マタイ8:1)、とありますがその続きです。

 イエス様の教えを直接聞き、その後もイエス様に従いはしましたが、人々の信仰や覚悟や対応は様々でした。

 最初は、イエス様が弟子たちに向こう岸に渡るよう促しました。すると一人の律法学者がみもとに来て言いました。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」

 それに対してイエス様は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」

 イエス様に従っていくならば安住な生活が約束されている、ということではないですね。イエス様はこの人に、それでもイエス様の弟子として従っていく覚悟はあるのかを問われたのかと思います。

 次の人はこのようでした。

 また、別の一人の弟子がイエスに言った。「主よ。まず行って父を葬ることをお許しください。」(マタイ8: 21)

 その人の家庭の事情は分からないですが、もしかしてイエス様に従うことを遠回しに拒んだのでしょうか。

 しかし、イエス様の弟子として、今で言う聖職者のような立場なのでしょうか、その働きにしっかりと従うならば、まずは神様の働きを優先することを求めておられるだと思います。(マタイ6:33)

 イエス様は、けっして家族親族をなおざりにすることを進めているのではありません。

 "子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。"(エペソ人への手紙 6:1〜2)

 イエス様に従うならば、中途半端な思いではなく、神様を第一にすることを願っておられるのだと思います。

 "また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者はみな、その百倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。"(マタイ 19:29)

 神様は私たちの本当の必要を何もかもご存じで(マタイ6:32)、私たちのことを心配してくださり、家族のことを気にかけていてくださるお方です。(マタイ8:14,15)

 次は先に送り出した弟子たちの舟にイエス様が乗り込まれると、湖は大荒れとなり、大波をかぶった! とあります。

 漁師出身の弟子もいたでしょうに、そんな状況でも舟で寝ておられるイエス様を見ては、たまらなくなったのでしょうか。

 "弟子たちは近寄ってイエスを起こして、「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」と言った。"(マタイ 8:25)

 イエス様に従っていくならば薔薇色の人生ばかりでなく、茨の道だってあります。しかし、みそばでイエス様と行動や寝食を共にした弟子たちは、イエス様と共にいるということが、どのようなことなのかを体験出来たのではないでしょうか。

 "イエスは言われた。「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。

人々は驚いて言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」"(マタイ 8:26,27)

 最後は簡単に、悪霊につかれて、人生を台無しにしたいた人達の癒しが与えられましたが、周囲の人達は、その人達が癒され正気になったことよりも(マルコ5:15)、自分達の安心な暮らしが脅かされてしまうのか、利害関係でイエス様を歓迎することなく、むしろその地方から立ち去ってほしいと懇願した、とあります。

 これらの人々の反応を見て、果たして私はどの人々に当てはまるのだろうか? と考えてみると、正直すべての人に当てはまるように思える。

 しかし、それでも幸いなのは、こんな私でもイエス様についていき、その教えに耳を傾け続け、神様の麗しさを見上げ続けさせて頂き、たとえ人生が山あり谷ありであっても、イエス様は共におられ、必要をご存じで、始めはイエス様に耳をかそうともしなかった家族をも救いへと導びき、あえて共に働く者ともし続けてくださり、神様のご真実をも知らされ続けてきた。

 感謝。

 

 "この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。
イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。"
マタイの福音書 4章 17〜20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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