ケバル川のほとり日本でも

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天の御国に入れられる幸いな人生

2024-01-16 19:18:53 | 日記

 今日は愛知県の山間部でも時折小雪がちらつき、風も強くとても寒い一日でした。しかし、北国の大雪や能登の被災地ことを思うと、いたたまれない気持ちになりました。

 朝に金沢の知人から電話があり、一緒に現場で働いたこともある珠洲市の職人さんの自宅は倒壊は免れたけれど、断水状態でお墓は倒壊してしまったそうでした。しかし、知人たちの命は皆さん守られたようで安堵もしました。

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【今日の聖書日記】(マタイの福音書 7章15~29節)

 今日で、イエス様がご自分の弟子たちに語られた山上の説教は終わりになります。

 最後は、これまで語られてきたこと全体の要点でもあるようです。要するに、これまで語られてきた教えを聞くだけで終わってしまうのか、それとも行って生きていくのか。この二つには雲泥の差があることを教えておられます。また、その真価がはっきり現れる日が訪れることも教えておられます。

 “その日”です。

 それは聖書が教える、すべての人が死後に必ず神の前に立ち、生きてきた総精算が行われる日です。

★そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように…。(ヘブル9:27)

 イエス様のお言葉です。

 "わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』"(マタイの福音書 7章 21〜23節)

 そして山上の説教の最後は次のお言葉です。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」(マタイの福音書 7章 24〜27節)と語られ終わります。

 私は仕事で、どんな場所でも工事が始められるように、川でも山奥でも鋼材で仮設の桟橋(道路)を作っております。それによって工事車両や職人の出入りが出来、工事は進められていきます。

 その仮設の道を作る時に、何よりも重要なのは、橋脚となる柱を建てる穴を掘る際に、岩盤まで掘り進めることです。短くて数メーターもあれば、20メーターや30メーターを越える時もあります。時に、弱くとも支持層と言われる建物を建てるのに十分な強度の地層までは掘り進めます。この、岩盤まで掘り進めることが何よりも肝心な作業で、それがあって次に進むことが出来、桟橋は完成します。

 そして、岩盤の上に桟橋が建っていれば、重たい建設機械が作業していても、びくともせず安心安全なわけです。

 イエス様は27節で、人生の嵐に遭う時、“その日“に、倒れない賢い人とは、ただ聞くだけの者でなく、主のお名前を呼ぶだけでなく、主のお名前によって奇跡を行なうことでもなく、「天におられる父のみこころを行う者が」天の御国に入るのです。と教えられました。

 ここまでの山上の説教を聞いてきたお弟子さんたちは、果たしてそのお言葉を守り行うことが出来たのでしょうか?

 私を含めて(私は特に!)誰一人として出来ないのだと思います。それを行おうとする度に、山上の説教の冒頭の次のお言葉にぶち当たるのだと思います。

 "その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。そこでイエスはくちをひらき、彼らに教えられ始められた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。…」(マタイ5:1~3)

 この心の貧しさである、無力さや弱さ、罪深さを痛感するのだと思います。

 しかし、イエス様は山上の教えのなかで、「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。」と祈るべき祈りも祈りの心構えも教えてくださいました。

 例え何回も何百回も何千回も心の貧しさを痛感しても、主はご自分のもとに来る弟子たちをお見捨てにはなさいません。(マタイ18:21,22)

 失敗しても、その都度主の赦しを受け取り、主の教えを聞き、みこころにかなった祈りを祈りつつ、神様に喜ばれる生き方をしていくなら、イエス様は必ず手を掴んで助けてくださると思います。(マタイ14:28~31)

 そして、必ずや神様の約束に従って私たちを聖なる者へと整えていってくださると信じます。

 “いつもともにいてくださる”、とのイエス様のみことばの約束に立ち続けます。

★イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにパプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

マタイの福音書 28章18~20節 聖書 新改訳2017 新日本聖書刊行会

 

 

 


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