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唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

責任と自由:柄谷行人『倫理21』の観点

2021-06-25 | 日記

ここに掲載するのは,「物理学者の社会的責任」サーキュラー『科学・社会・人間』2000年4号(通算69号)に発表されたものである.なお,文章中へのリンクの挿入は本ブログによる.

唐木田健一

 

1.はじめに

 私は先に,「日本社会の反倫理性と科学論の問題」と題する小論を本サーキュラーに投稿した[1].そこでは,日本社会においては時間軸に沿っての「理」の整合の追求がなおざりにされがちであること,そして時間軸に沿っての整合には断絶と継続の双方が同時に関わっているということを述べた.

 原稿を事務局に送付したあと私はたまたま,柄谷行人氏の『倫理21』[2]を読む機会を得た.そして,その内容が私の関心と大きく重なることを見出した.私などより,著名な批評家の議論のほうが,はるかに説得力があろう.そこで,その内容をここに御紹介することとした.なお,この柄谷氏の本は,彼のものとしては珍しく(!)読みやすく,また議論も大変広範なので,皆様にも御一読をお勧めしたい.

 

2.自由

 柄谷は,責任を考える上での前提として,自由な主体の存在をあげる.自由な主体に対してでなければ責任を問うことはできない.では,自由とは何か? 「自由とは,他に原因がなく純粋に自発的・自律的である」ことである.しかし,本当に自由な行為や自由な主体は存在しない.我々は,自由に振る舞っているつもりでも,「実際は,さまざまな教育や宣伝などで刷り込まれた欲望を満たしているだけ」である.「原因に規定されていない行為や主体はない」(8-9頁).構造主義者のいう通り,主体とは構造的に強いられたものである.しかし,それにも関わらず,自由な主体は存在するのであって,「それは倫理的な次元で,他者への応答response=責任responsibilityにおいてのみ立ち現れる」(10頁).それは,カントのいう「自由であれ」という至上命令に従うことにおいてのみ存在する(9頁).

 「自由であれ」は,他者をも自由な主体として扱うことを含む.カントのいうように,「他者を手段としてのみならず同時に目的(自由な主体)として扱え」が普遍的な道徳律なのである(9頁).ここでは「手段としてのみならず」の部分が重要である.大正時代にカントが流行したとき,それは「手段としてでなく」と読まれた.そんなことを実行するのは不可能である.だからカントは,昭和になってマルクス主義が隆盛すると,軽蔑されるようになった.しかし,それはカントの言葉を理解していなかったからに過ぎない(117-8頁).

 柄谷はこれに関連して,日本社会に特有と思われる出来事を取り上げる.それは「親の責任」という問題である.1972年の連合赤軍事件のとき,赤軍の人たちの親が「世間」から責められ,その中の一人が自殺をした.柄谷は,自殺に追いやった「世間」にも,そして自殺した親にも腹を立てる(16-8頁).まず,親に責任はない.そして,子供が「責任を取りうる(自由な)主体であることをあくまで認めようとする」(33頁)なら,こんなとき親は絶対に自殺などすべきではない.

 事件に絡み世間が異様に激しく親(や家族)の責任を追求するというパターンは,その後の「幼女殺人のM君の事件」(89年)や「神戸の中学生の事件」(「少年Aの事件」,97年)まで続いている.日本社会は少しも変わっていないのである(19頁).

 

3.原因と責任

 さまざまな事件の原因を追求していくと,親,学校,環境,現代社会などに遡及する.そこで,親や学校が非難されたり責められたりすることになる.その一方,親や学校や環境のせいということになれば個人の責任が問えないとして怒り出す人々も現れる.このどちらの態度も適切ではないであろう.原因の追求は重要であるが,それは責任を問うこととは別である(40頁).原因を知ることは認識の問題であり,責任を問うことは実践(倫理)の問題である(53頁).

 Aという原因は,Bという結果があったときに,遡及的に見出されるものである.それは自然科学における因果関係とは異なる.一定の原因があれば同じ結果になるというものではない.AはBを規定しない.たとえば,フロイトはある動物愛護者を分析して,以前に動物虐待者であったことを見出した.このことは,いま動物虐待者である子供が将来動物愛護者になるということを意味しない(42頁).これはアルチュセールが「構造論的因果性」と呼んだものである(43頁).Bという結果があっても,Aの責任は問えないのである.

 とはいえ,原因の追求が無意味であるということにはならない.徹底した原因の認識というのは意味のある責任の取り方のひとつである(78頁).スピノザは自由意志を否定し,認識(しようとする意志)のみが自由であると考えた.これは,いわば認識することが「倫理(エティカ)」ということになる(56-7頁).あるいは,柄谷は,次の漱石の言葉を引用する(79-80頁).

 元来私はかう云ふ考へを有つて居ます.泥棒をして懲役にされた者,人殺をして絞首台に臨んだもの─法律上罪になると云ふのは徳義上の罪であるから公に処刑せらるゝのであるけれども,其罪を犯した人間が,自分の心の経路を有りの儘に現はすことが出来たならば,さうして其儘を人にインプツスする事が出来たならば,総ての罪悪と云ふものはないと思ふ.総て成立しないと思ふ.夫をしか思はせるに一番宜いものは,有りの儘を有りの儘に書いた小説,良く出来た小説です.有りの儘を有りの儘に書き得る人があれば,其人は如何なる意味から見ても悪いと云ふことを行つたにせよ,有りの儘を有りの儘に隠しもせず漏らしもせず描き得たならば,其人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る.法律には触れます懲役にはなります.けれども其人の罪は,其人の描いた物で十分に清められるものだと思ふ.(「模倣と独立」)

自己の行動の過程を徹底的に検証し認識すること,─それは自己弁護とは全く別のものである(79頁).

 

4.未来の他者と死者としての他者

 20世紀の後半になって,産業資本主義の発展が,自然史的にみて,決定的な限界に直面していることが明瞭になってきた.グローバルな環境破壊,エネルギー・食糧不足などが差し迫っている.破局を体験するのは未来の他者である.倫理学者はこれを新たな問題ととらえ,「環境倫理学」が成立した.しかし,これは本当に「新しい」問題なのであろうか.それはすでにカントの批判の中に含まれていたものである(121頁).我々が現在の「幸福」を享受するために未来の他者にそのツケを回すとしたら,それは彼らを目的としてではなく単に手段として扱っていることになる(189頁).それは非倫理的である.

 また,20世紀の終わりにかけて,世界史の見直しが始まっている.アウシュビッツはなかったとか,南京大虐殺はなかったとかいう責任を消去する方向でのリヴィジョニズムだけではない.ポストコロニアリズム,フェミニズム,ゲイ理論などがその現れである.何か新たな地点に達するとき我々は過去を見直す.それは死者との関係の変化であるといってもよい.その場合,死者は変わらない.我々が変わるのである.というより,死者そのものが初めて我々の前に出てくるのである(178-9頁).

 文芸作品においても,そのような見直しは急激に行われている.たとえば,漱石の「満韓ところどころ」という紀行文には帝国主義的な差別的言辞があふれている.ただし,それによって,直ちに漱石がだめな作家ということになるわけではない.我々が当たり前に思っていることでも傷つき悩む人たちがいる.そして,それを知った上でも読み直せるような作品が「古典」といわれるものである.古典といえど絶えず再評価の試練に遭うし,またそれを通してのみ古典であり得る.その意味で過去は少しも完了していない.いいかえれば,過去の「他者」と我々との関係は完了していないのである(179-81頁).

 このように,死者や未来の人間との関係はコミュニケーション理論において基礎的なものである.しかし,それは常に忘れられている(114頁).

 

5.「倫=理」との関係

 ここで,柄谷の主張を,私のいう「倫=理」(注[1]の文献)と関係づけておきたい.それが本稿の主たる目的である.

 私にとって倫理とは《倫=理》,すなわち「人間関係〔倫〕におけるコトワリ〔理〕」のことである.すなわち,他者の存在が前提である.これは柄谷が,自由な主体は「倫理的な次元で,他者への応答response=責任responsibilityにおいてのみ立ち現れる」としたことと対応する.〔責任を「応答可能性」から考えるというのはデリダの観点を採用したもののようである(202頁).〕

 また,私は「倫=理」における「理」については,時間軸に沿っての整合と時間軸断面での整合に分けて議論することが有用であり,特に日本社会では時間軸に沿っての整合の追求がなおざりにされがちであることを指摘した.柄谷は死者や未来の他者への応答の問題を述べたが,これは明らかに私と同じ意図にもとづくものと思われる.

 私はこれまで,理論変化〔いわゆる「パラダイム転換」〕における新旧二つの理論の関係や「倫=理」における時間軸上での整合の問題に関し,「のりこえ」〔「半通約不可能性」〕なる概念を提起してきた.のりこえには二つの水準AとBが関与する.そして,そこにおいて,AからBへは断絶しているが,BにおいてはAが理解できるというものである.柄谷はアルチュセールの「構造論的因果性」を引用し,Bという結果があったときのみAという原因が遡及的に見出されるが,AはBを規定しないと議論している.これは,私のいう「のりこえ」の構造そのものである.

 私はこのようにして柄谷と私の関心が大きく重なることを確認した.そして,この一致は単なる偶然ではないようである.私はこれまでサルトルから非常に多くを学んできたが,『倫理21』における柄谷もサルトルへの肯定的評価を明確に表明しているのである.

 

6.サルトルの位置

 柄谷によれば,自由に関してカントの考えを受け継いでいるのは『存在と無』の時期のサルトルである.サルトルは構造主義者に批判されたけれども,デカルト的主体や自由意志を主張したのではない.カントが自由を義務と見たのに対し,サルトルは「人間は自由という刑に処せられている」といったのである(63頁).

 サルトルは過去から現在に及ぶフランスの植民地主義を批判した.これは第二次大戦中レジスタンスを果敢に闘ったフランス共産党もやらなかったことである.

 自らを被害者としてでなく加害者として見る思想家は,フランスでは,サルトルだけでした.だから,戦前・戦中世代にとって,サルトルが面白くない存在だったのは当然です.それは,彼らに「政治的責任」を思い出させるからです.旧世代にとって,ハイデガー的存在論であれ,レヴィ=ストロース的人類学であれ,ラカン的精神分析であれ,人間は主体ではない,責任などとれない存在なのだというようなことをいう思想家がありがたかったのです.・・・・・〔中略〕フランス人の過去を問う態度は消滅し,フランスこそヨーロッパの理性と自由を代表する国だというような言説が支配的になっていきました.それに対して異議を唱えたのは,デリダやドゥルーズですが,彼らは結局,サルトル亡き後に,かつてサルトルが果たした役割を自ら果たそうとしたのです.しかし,彼らはフランスでは極めて少数派です.だから,日本の知識人がサルトルを「死んだ犬」として馬鹿にするのは,根本的まちがっているのです(172-3頁).

フランスでは,このような状況のなか,自己欺瞞的で凡庸な「新哲学者」らが登場したのである(209頁).

 

7.おわりに

 本稿では全く触れなかったが,『倫理21』においてさらに読者の興味を引きそうな議論としては,「戦争における天皇の刑事的責任」(第九章)および「非転向共産党員の『政治的責任』」(第十章)の二つがある.また,本書は今年の2月に刊行されたものであるが,それに先立って1月には柄谷の編著による『可能なるコミュニズム』[3]が発表されている.こちらの本の方も,この資本主義社会にどう対応していくべきか途方にくれていた私に,希望への足掛かりを与えてくれたということを付記しておきたい.

             (00.04.23)


[1] 唐木田「日本社会の反倫理性と科学論の問題」『科学・社会・人間』73号(2000),3-6頁.

[2] 柄谷行人『倫理21』平凡社(2000).以下,本稿本文における「(○○頁)」は,本書からの引用頁を示す.

[3] 柄谷行人編著『可能なるコミュニズム』太田出版(2000).


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