唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

サルトル『方法の問題』より「マルクス主義と実存主義」.(1)哲学と思想

2024-03-20 | 日記

 ここに掲載するのは,サルトル『方法の問題』J.-P. Sartre, “Critique de la raison dialectique (précédé de Question de Méthode) Tome I” (1960)の冒頭部分の私による要約である.文章は平井啓之訳の日本語版『方法の問題―弁証法的理性批判 序説』人文書院(1962)に依拠するが,一部表記を変更したところもある.文中の〔○○頁〕は,この日本語版における対応ページである.また,小見出しは私が便宜的に付した.

 ここでサルトルが「哲学」と呼んだものについて,私は科学史における「基本理論」(いわゆるパラダイムpradigm)と非常によく似た性質を有することに着目した.さらにこの「哲学」は,私のいう「倫=理」(人間関係〔倫〕におけるコトワリ〔理〕)の枠組みを形成するものである.

唐木田健一

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一 マルクス主義と実存主義

哲学

 ある種の人々は哲学を一つの意見とみなし,それを採るも採らぬも自己の勝手と考えている.また別の人々にとっては限界のある一分野であるかも知れない〔13上頁〕.我々にとっての哲学とは,まず興隆期にある階級が自己についての意識をもつ仕方である.この意識ははっきりしていることもあれば曇っていることもあり,間接的であることもあれば直接的であることもある.法官貴族や商業資本主義の時代には,法律家,商人,銀行家,等からなるブルジョアジーは,デカルト哲学を通じて自己について何事かを把握した.その一世紀半ばかりあと,産業化の第一段階で,製造業者,技師,学者がカント哲学における普遍的人間像の中におぼろげながら自己の姿を見出した〔13下頁〕.

 哲学はその時代の知識の全体化としてあらわれ〔14上頁〕,その時代の人々の文化中心としての役割を果たす.それはたがいに異なった種々の相のもとにあらわれて絶えず統一化作用をおこなう〔13下頁〕.すなわち,一つの哲学は,その毒性を存分に発揮する間は,決して生命を欠いた一つの対象として,あるいはすでに統一が終了したものとしてあらわれることはない〔14下頁〕.

 歴史が展開し,この知識の細目ひとつ一つが異議を生じ,すたれたものとなったときには,その総体は区分されない一つの内容として留まりつづける.哲学的対象物はもっとも簡単な表現にまで還元されて,規制的観念という形をとって残りつづける.かくして今日では〈カント的理念〉やフィヒテの〈世界観〉について語られる〔14上-14下頁〕.

 哲学は探究と説明の一方法としての性格をもつ.あらゆる哲学は実践的であり,一見もっとも思弁的と思われる哲学でさえもそうである〔14下頁〕.デカルトの弟子たちの分析的・批判的合理主義は彼らを超えて生きつづけ無名の大衆の中に移り行きフランスの第三身分の態度を左右した〔14下頁,15下頁〕.ブルジョアジーがアンシャン・レジームの諸制度をくつがえそうと企てたとき,合理主義は,それらの諸制度を正当化しようと試みる時代遅れの教理を攻撃した〔14下-15上頁〕.事情ははるかに進行して,この哲学的精神はブルジョア階級の枠を超え庶民の世界にまでゆきわたる.フランス・ブルジョアジーが自ら普遍的階級をもって任ずるに至るのはこのときである.この哲学の浸透のおかげで彼らは,第三身分を分裂させはじめている闘争を覆い隠し,すべての革命的な階級のために一つの言語と共通の身振りとを見つけてやることが可能となった〔15下-16上頁〕.

 もしも哲学が我々の考える上記のようなものであるならば,哲学的創造の時期は歴史上まれであったことは明らかである.十七世紀から二〇世紀の間で,いまそれを著名な人物の名で示すとすれば,デカルトとロック,カントとヘーゲル,そしてマルクスということになる.この三つの哲学はすべての個々の思想を育てる腐植土となり,すべての文化の地平線をかぎるものとなって,これらの哲学がその表現にほかならぬ歴史的状況がのりこえられない間はのりこえ不可能となる〔16上-16下頁〕.

 

哲学と思想

 哲学の誕生ののちにあらわれ,諸体系を整えたり未知の領域を新しい方法で探究し,また理論に実践的機能を付与してそれを破壊や建設のための道具として利用しようとする人々を哲学者というのは用語上適当でない.もちろん彼らは新しい領域を開拓し,いくつかの建造物を建て,そこに内的変革をもたらすことさえある.しかし彼らは偉大な死者たちのいまだ生きている思惟によって身を養っているのだ.このような相対的な人々を我々は思想家(イデオローグ)と呼びたいと思う.私(サルトル)は実存主義を一個の思想(イデオロギー)とみなしている.その現在の野心と機能を理解するために,キルケゴールの時代にまでさかのぼってみよう〔17上-17下頁〕.

 ヘーゲル哲学においては,認識は存在と合体しそれを自己のうちに溶解する.精神は自己を客観化して自己疎外を生じ,しかも絶えず自己を回復して自己の歴史を通して自己を実現する.すべての自己疎外は哲学者の絶対知によって超克される.我々は単に意味づけるものであるのみでなく,同時に意味づけられたものである.ここで,意味づけられたものとは,現実の社会で生きている人間である.知は我々をつらぬき,我々を溶解するに先立って我々を位置づけ,我々は生きながら至高の総計へと統合される.かくして,悲劇的経験とか死に至る苦悩とかの純粋経験は真に具体的なものである絶対に導く一過程として体系に飲み込まれてしまう〔17下-18上頁(および19上の注*)〕.

 キルケゴールはこのヘーゲルの〈主知主義〉に対し,断固として体験の還元不可能性と特殊性とを主張する〔19上頁〕.現実存在としての人間は観念の体系によって同化されることはできない.苦悩について何を語り何を考えようと苦悩は知の手をまぬがれてしまう〔19下頁〕.人間とは意味づけるものである.人間はたとえ神によってさえも意味づけられるものとはならない.アブラハムに対しある日天使があらわれ,「汝はアブラハムなり.汝の息子を犠牲にささげよ」と告げても,彼は自分がアブラハムかどうかを知りはしない〔19上頁の注*〕.

 このように,キルケゴールはヘーゲルから切り離すことはできない.この一切の体系の否定は,ヘーゲル哲学圏の外で生まれることはありえない.しかし,その時代の枠の中に身を置きなおして注目すべきは,ヘーゲルがキルケゴールに対して正しかったとまったく同じだけキルケゴールはヘーゲルに対して正しかったということである.ヘーゲルは主観的な逆説に固執することなく,その概念によって真に具体的なものを思念した.一方,キルケゴールは人間の苦悩・情念・苦痛は知によってのりこえられることも変えられることもできない生の実在であることを示した.もちろん彼の主観主義は観念論のきわみとみなされるであろう.しかし彼はヘーゲルに対し,現実主義の方へ一進歩をみせた.なぜなら彼は,ある種の現実は思惟に還元不可能であることとその優位性を主張したからである〔20下-21上頁〕.キルケゴールはおそらく,ヘーゲルに対抗しそしてヘーゲルのおかげで,現実と知が互いに通約不可能であることを示した最初の人であった〔21上-21下頁〕.

 全然別の観点からではあるが,マルクスがヘーゲルに対しキルケゴールと同じ非難をあびせていることは注目を引く.マルクスにとってヘーゲルは,人間の客観化を自己疎外と混同してしまっている.客観化とは人間の物質に対する働きかけであり,人間に自分がつくり出した世界の中に自分自身の姿を眺めることを可能にする〔21下-22上頁〕.ところが,歴史の現段階においては生産力は生産関係と矛盾しており,その結果として自己疎外があらわれている.したがって,これは歴史的現実であって,一つの観念には還元できぬものである.人間が自己疎外から解放されるためには意識が自己を思惟するだけでは足りず,物質的労働と革命的実践が必要である.マルクスは行動と知の異質性と同時に,知に対する行動の優先権も示す.ただし彼は,キルケゴールとは異なり,人間的事象を空虚な主観性と混同しようとはしなかった.彼が哲学的探究の中心にしたのは具体的人間――その欲求・生活の物質的条件・労働,すなわち事物と人間に対抗しての闘争の性質によって自己を決定するあの人間であった〔22上-22下頁〕.

 かくて,マルクスはヘーゲルに対してもキルケゴールに対しても等しく正しい.彼はヘーゲルとともに具体的人間をその客観的現実でとらえる.またキルケゴールとともに人間実存の特殊性を確認するからである〔22下頁〕.

〔「(2)マルクス主義の問題」につづく〕