数日前に投稿しましたが、やはり今日アップします。今日は12月19日。
4年前まさかの白血病診断。
家族がインフルエンザになっても感染せず小学校6年生の12月まで学校を休んだことはなく丈夫で活動的で明るく前向きな娘が突然入院しました。本人の前ではあまり泣かないようにしていた母ですが、面会の行き帰りの電車でクリスマス年末年始もなく突然変わった生活に辛くマスクで顔を隠しながら泣きながら通う日々でした。前半治療中ももっと一緒に泊り込みをしてあげればよかったのですが、当時78歳の義母、小2の息子もおり、前半は怖い夢をよく見るという娘の言葉に心の中で涙しながら無菌室で話したりしながら乗り越えてきました。
小児固形腫瘍に比べればプロトコルが整備され予後もかなり改善されてきている小児白血病ですが、心配は尽きません。
前向きで気持ちが強い娘(内心ではいろいろ思っていても)は、小学校6年生12月から中学校1年生7月下旬までの入院治療を乗り越え、中学校に通いながらの通院治療、通院治療後半にソフトテニス部にも入り飛び跳ねる青春、中学校生活。今年の4月には無事に高校1年生になりました。家族にはきつーい一言や本音もぼんぼん話しつつ、女子高生活を謳歌しながら過ごしています。
2008年12月18日
夕方遅く星がまたたく寒い冬の空のなか、半分泣きそうになりながら車を走らせて地元総合病院に緊急入院。
2008年12月19日
地元総合病院には小児血液専門医が常駐していないため、県内満床で都内大学病院に救急車搬送、確定ではないけれど採血の細胞診断でほぼALL「急性リンパ性白血病」と告知。
2008年12月22日
マルク(骨髄検査、骨髄穿刺)を行い確定診断されて詳しく病状説明と治療プロトコル説明がありました。
プロコトルの詳細、使用した薬の詳細副作用説明などはまださかのぼって書けていませんが、
東京グループ(TCCSG)の治療グループに所属する大学病院にて「BFM95」プロコトル(ドイツのプロトコルですが、大学病院の先生方の治療方針のもと行いました。日本の小児急性白血病の骨格となった伝統的なプロトコルです)のIR(中間リスク)で7ヶ月の化学療法入院、その後毎夜の経口抗がん剤ロイケリンと週1の経口抗がん剤メソトレキセート服用を行う合計2年間にわたる通院治療(維持療法)を受けました。
緊急入院~診断
寛解導入療法
このブログは主に7ヶ月の化学療法退院後の日々を書いており、なかなか入院治療中のことはさかのぼって書けていませんでした。
今までプロトコル名をブログに明記することは考えて保留していました。治療方法は刻々と進歩していきますが、娘の治療経験がお役に立てればと思い、少しずつ書きため、最初の治療寛解導入療法部分をようやく書きました。この後、ぼちぼちとなりますが、早期強化療法、治療合間に書いていた中枢神経予防療法、強化療法等の入院治療中のことを補記していきたいと思います。
※わたしは医療従事者ではなく一患者の母、申し訳ありませんが医療上のアドバイスはできません。医療上の治療薬のこと、選択する治療や治験の詳細については、どうか主治医の先生と相談されてみてください。
4年前まさかの白血病診断。
家族がインフルエンザになっても感染せず小学校6年生の12月まで学校を休んだことはなく丈夫で活動的で明るく前向きな娘が突然入院しました。本人の前ではあまり泣かないようにしていた母ですが、面会の行き帰りの電車でクリスマス年末年始もなく突然変わった生活に辛くマスクで顔を隠しながら泣きながら通う日々でした。前半治療中ももっと一緒に泊り込みをしてあげればよかったのですが、当時78歳の義母、小2の息子もおり、前半は怖い夢をよく見るという娘の言葉に心の中で涙しながら無菌室で話したりしながら乗り越えてきました。
小児固形腫瘍に比べればプロトコルが整備され予後もかなり改善されてきている小児白血病ですが、心配は尽きません。
前向きで気持ちが強い娘(内心ではいろいろ思っていても)は、小学校6年生12月から中学校1年生7月下旬までの入院治療を乗り越え、中学校に通いながらの通院治療、通院治療後半にソフトテニス部にも入り飛び跳ねる青春、中学校生活。今年の4月には無事に高校1年生になりました。家族にはきつーい一言や本音もぼんぼん話しつつ、女子高生活を謳歌しながら過ごしています。
2008年12月18日
夕方遅く星がまたたく寒い冬の空のなか、半分泣きそうになりながら車を走らせて地元総合病院に緊急入院。
2008年12月19日
地元総合病院には小児血液専門医が常駐していないため、県内満床で都内大学病院に救急車搬送、確定ではないけれど採血の細胞診断でほぼALL「急性リンパ性白血病」と告知。
2008年12月22日
マルク(骨髄検査、骨髄穿刺)を行い確定診断されて詳しく病状説明と治療プロトコル説明がありました。
プロコトルの詳細、使用した薬の詳細副作用説明などはまださかのぼって書けていませんが、
東京グループ(TCCSG)の治療グループに所属する大学病院にて「BFM95」プロコトル(ドイツのプロトコルですが、大学病院の先生方の治療方針のもと行いました。日本の小児急性白血病の骨格となった伝統的なプロトコルです)のIR(中間リスク)で7ヶ月の化学療法入院、その後毎夜の経口抗がん剤ロイケリンと週1の経口抗がん剤メソトレキセート服用を行う合計2年間にわたる通院治療(維持療法)を受けました。
緊急入院~診断
寛解導入療法
このブログは主に7ヶ月の化学療法退院後の日々を書いており、なかなか入院治療中のことはさかのぼって書けていませんでした。
今までプロトコル名をブログに明記することは考えて保留していました。治療方法は刻々と進歩していきますが、娘の治療経験がお役に立てればと思い、少しずつ書きため、最初の治療寛解導入療法部分をようやく書きました。この後、ぼちぼちとなりますが、早期強化療法、治療合間に書いていた中枢神経予防療法、強化療法等の入院治療中のことを補記していきたいと思います。
※わたしは医療従事者ではなく一患者の母、申し訳ありませんが医療上のアドバイスはできません。医療上の治療薬のこと、選択する治療や治験の詳細については、どうか主治医の先生と相談されてみてください。
4年後の今日を、元気に過ごせていて本当によかったです
元気に4年迎えられたこと、励みになります。
3歳、3年先輩のス~ちゃんの背中をいつも見ています。もうすぐ治療後5年なんですね。ス~ちゃんは小児医療センターだったんですね。経過観察の血液内科は自分で探さないといけないんですか。子ども病院は入院療養時には手厚いですが、長期フォローアップでは小児と内科で転院しないといけなくなってしまうんですね。
にこさん
この日だけは忘れないですね、忘れられない日。12月は下旬になるまで日にちの感覚が微妙になります。今日は2学期の終業式、通院のための遅刻1日のみ、欠席なしで無事にクリスマスになります。
takayoさん
維持療法が終わるまで(2年前まで)は日付の感覚が2~3倍のように感じていましたが、ようやく1.2倍くらいになってきたような気がします>4年が6~8年に感じます。
小児医療センターって、いずれ日赤と一緒になってさいたまスーパーアリーナ南の電波等候補地に移る予定ですが、一部いまの所に残るというのも言われてます。ス~本人は、小児医療センターで看護師をやるために現在その勉強を4年制の大学に通ってます。ですから、成人を迎えてからの経過観察は、日赤になるのかも知れません!