沖縄・神人・ユタ

いろんな災難・病気・人間関係の不和などで悩んでいる方に、

自分が体験した中で、何かの良い切っ掛けになればと・・!

友の夢を見て!番組「プロフェッショナル」乳腺外科委中村清吾”!

2021年03月28日 | 新たに!

☆「沖縄・神人・ユタ」の題名で始めたこのブログは、大病して一年後から投稿し始めました。今年で14年程経ちますが、いろんな出来事が有りました。

このブログを見てご連絡頂き、喜瀬様にご紹介した方も沢山いらっしゃいます。投稿を始めたばかりの頃と 今の私は随分変わってきましたが、今の自分で居られる様になって本当に良かったと思えています.
もう一度、14年前の始めたばかりの頃のブログを見て、もう一度昔の自分から今の自分を振り返りながら、新たに皆様に見て頂けたらと思っています。

 ★12年前のブログを振り返り、改めてお伝えしたい事!★

            2009年6月16日 お題<友の夢を見て!
   

10年以上昔、友達と二人で離島に一泊で遊びに行った時に知り合った、東京から来ていた女性のことです。
彼女は、いろんな事があって一人で沖縄の離島に渡りダイビングを楽しみながら、ある民宿に長く滞在していたのですが、そこに私達も宿泊したのでした。
彼女と夕食の時仲良くなり、一緒に食事しながら泡盛も進み楽しく過ごすことが出来ました。
友と私は次の日に帰るのですが、その彼女は2日後に乗る船が挫傷してしまい運行できなくなり、急遽私達の船で帰ることに成ったのです。それで那覇に安くて良いホテルを知っていませんかと相談されたので、私は「良かったら私の家に泊まったら!」と言うと、私の友が「そうよ!そうよ!」とも言い、何かの縁だしと気兼ねなく泊まることを進めたのです。
結局三人は気も合い、一緒に同じ船で楽しく帰り私の家に泊まることになったのです。れからの縁で、何度も沖縄に来てくれるようになり、私も東京に遊びに行ったりし良い友達になりました。
その後彼女とは私が大病する前から、あまり会えなくなっていましたが、ブログやメールなどで相手の状況などを知ることは出来ていました。
大病後本の出版をした事を報告した今年の3月過ぎから、私も忙しくしていて彼女のブログは必ず目を通し見ていたのですが、ブログの更新が無く観覧ができなくなってしまっていました。
多分彼女は物作りをする人で、やる事が多く忙しいのだと思っていました。しかしその後彼女の夢を見たこともあり、ブログも観覧できなくなっている事に何か不安に思い、「元気でいますか?」と携帯でメールを送ったのでした。
直ぐには返ってこなくて2日後にやっと返事が来ました。「4月頃から人間不信で病んでいて、更年期も重なり大分落ち込みました・・・」と、又私の本が読めていないようで「本も読んで感想文を書かねば!又ご連絡します。」とのことでした。
私は直ぐに「沖縄に遊びにおいでよ\(^o^)/」と返事すると、「真面目に行く事を、考えてみます・・・」と返ってきました。
私は暫くしてふと思い、彼女はまだ私の本を読んでくれていないので、もし本を読んで何か良いきっかけになるのではと思いメールをまた返しました。すると直ぐに彼女からも「私もふとそう思いました・・・読みますね・・・」との返事が返ってきました。

彼女も何年か前にお父さんを癌で亡くされていて、何かいろいろあるのではと思っていたので、本を読んでくれて何かを感じてくれればと思いました。
人間不信になって落ち込んだことは必ず意味があると思うので、彼女が本を読んで返事がきた時に、いろいろ話をして元気になって貰えたらと思っています。

          2009年6月16日 お題<番組「プロフェッショナル」乳腺外科委中村清吾”!> 

たまにNHKの「プロフェッショナル」を見るのですが、最近、乳腺外科医 ”中村清吾”さんが出演された番組を見ました。

彼が率いる乳がんの診断と専門センターは乳がんの手術数が700件という日本屈指の多さで、センターを立ち上げられたそうですが、治療には常に謙虚さを持って向かう「自分の診断は本当に正しいのか」「これで間違っていないか」.患者の声に真摯に耳を傾け、少しでも疑問が残るときは、同僚に意見を求める。そして、その姿勢を若手医師にも伝えようとしている。謙虚さを失うと、医師としての成長は止まってしまう!と考えていると。

彼は東京の浅草で生まれ育ち、父は町で名を知られたきゅう師で、いつも患者のグチや悩みを聞きながら、時には厳しく、時には優しく対応されるお父さんの姿を見て医師の道を志されました。
外科の道に進んだ彼は、いつしか病気を「治す」ことにばかり目を向けるようになってしまい、患者の「声」に真しに耳を傾ける姿勢を忘れてしまっていたそうです。そんな時、幼子を連れた再発患者さんが彼を頼ってこられたそうです。
中村医師は「一日でも長く生かせてあげたい。」しかし、抗がん剤を次々に投与しても効き目はなく、副作用の厳しさばかりが彼女を襲っていくのでした。そして彼女は、「子供の世話をしたい」と言いながら苦しみながら息を引き取られたそうです。その後中村医師は、「自分のやり方は、本当に正しかったのか!」と、深く悩まれるようになったそうです。

悩むなか、中村医師は乳がん治療の先進国、アメリカでの研修を希望し、ここで中村医師は患者をたくさんの専門家(薬剤師・栄養士・カウンセラーなど)でともに診るチーム医療を知ったそうです。彼らは治療だけでなく、患者のその後の生活まで見据えて相談にのっていたそうです。
日本に戻った中村医師は、時間をかけながら同僚を説得し、2005年にチーム医療を本格的にスタートされました。

乳がんの患者は、30代後半から急激に増えはじめ、50代にピークを迎える。この年代の女性は、母として、妻として、仕事として、会社的役割が大きい。そのため、自分の身体だけにかまけていられず、病気による悩みも深くなりやすい。
今年3月に乳がんの再発で入院してきた患者さんがいて、子供には病気の事実を伝えていないそうでした。しかし、がんの治療には家族の応援は大切で力になると!
中村医師は、彼女の気持ちをくみ取り人生に寄り添いながら、治療と人生のサポートをしようと試みたいと思っていらっしゃるそうです。
どんなことにも言えると思うのですが、人は一人では生きていけないし、周りの人の助けがあってこそ生きていけるも、医療も、医師だけではなく専門の看護士・薬剤師・栄養士・カウンセラーなどの力もあって、尚一層患者さんの大きな力と助けになるのだと思います。

沖縄では「医者半分・ユタ半分」といわれることが有り、何度かブログでも投稿しましたが、医師・看護士・薬剤師・栄養士・カウンセラーなどに加えて、神人(ユタ)も加わると、もっと人の力になり助ける事ができるのではないかと私は思うのです。

***今の私から***
友の夢を見て!」は、今でも夢はほぼ毎日見ます!よくこんな考えもしない見たこともない映像の夢を見ることも多いのですが、何かを知らせようと夢を見てくれているのだと分かるようになてきました。

** 喜瀬優様のご紹介 ***
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