つれづれなるままに

今、もっとも関心のある出来事を備忘録としてつづります。2005年から。

最新の一太郎創についての評価

2011-02-11 | 教育
新しい一太郎が,発売日に届く。

今年度,今まであれほど嫌いだったワードを使わねばならない職場となったことで,
慣れは恐ろしいもので,ワードの癖を飲み込み,
どうにか使えるところまで上達。

本来,一太郎でやれば,苦労しないところを
どれくらい時間を使って克服したか!!!

と,いうわけで私は公ではワードを使いますが,
あくまでも一太郎派です。
やはり日本のワープロソフト会社をつぶしてはいけません。

さて,今回の一太郎で一番欲しかった機能は,
実は,文章読み上げソフトなのです。
詠太というのがパッケージの中に入っていました
そうそう使ってみましたが,
かなり使えます。

たとえば,入力直後の校正をしても,なかなかミスを見つけられません。
しかし,人に呼んでもらえれば最高なのですが,
自分で読んでみるとミスに気づきます。
しかし,校正をしても見つけられないことが多いのが私の文章です。

そこで,文章読み上げソフトがほしかったのですが,
なんと一太郎のパッケージに入っていたのです。
うれしいな~。

教えない教え方

2011-01-19 | 教育
日経ビジネスONLINEで配信された記事

人の成長は「問い」から始まるリーダー研修には限界と弊害がある」
 第1回 人をもう一段伸ばす質問とは?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110113/217923/

を読む。

***********以下引用の抜粋**************

リーダーシップ研修で,最終的に「今の時代,リーダーはこうでなければならない!」
と,まとめて,教え込み,正しい答えを提供する。

これは,
受講者のリーダーとしての成長を妨げる可能性がある。と,いう。

研修講師が「正しい答え」を与えてしまうのは、
「研修終了後に受講者がモヤモヤした感情を残したままだと、
アンケート満足度評価に響くからだ」という。

「正しい答え」で話を終わらせようとするのは、
研修講師だけに限りません。
上司も、親も、先生も、“華麗なアンサーマン”であろうとしますから、
最後は切れのいい答えでまとめあげようとする。
そうすると、相手は深く考えなくなる。


教えない教え方、というものがあります。

 「正しい答え」を教え込むのではなく、
「問い」を投げかけてみる。
そして、相手が身のまわりの物事すべてをその問いに関係づけ、
「ヘウレーカ!」がいつでも起きうる状態にする。

********************************

この華麗なアンサーマン,という表現気に入ったなぁ~。
そして,アンケート満足度評価に響く,というのも今の私の状況にはあてはまる。


iPadで何ができるか

2011-01-17 | 教育
iPadを購入することにした。
私の権限でできる部分での,
予算執行を見合わせた上でのことである。

購入に際して,
前向きに捉えてアドバイスをくれる人や
否定的に捉える人がいるのがおもしろい。
もちろん,今はいろいろなタブレットが出てきているので,
なにもiPadにこだわらなくてもいいと思うが,
教育的な利用法を模索している人が
多くいる機種となるとiPadが適当であると思う。

何ができるか,何をしたいか
未だ皆目わからないし,
使っている人に教えを請いながら,
自分なりの方向性を描きたいと思う。

と,いうわけで
御指南をよろしくお願いします。

子どもの力

2011-01-12 | 教育
ほんやりでのこと

小学校低学年の子どもは,
ほんやりの会場に集まると
闇を楽しみに遊びが始まる。
土手を駆け上ったり,
近くにあった櫓に登ったり,
犬を連れた人から犬を借りてじゃれあったり,
・・・・

現場にいると子どもの人間関係の構築が下手になった
と,思われる場面にでくわすことがあるし,
そういう方は多い。
しかし,
この子どもの姿を見ていると,
人には,本来,群れる性質は備わっていると思う。
それが発揮できない日々を,送っていることが
今の現状を作っているように思われる。

昔の学校では,学校が終われば,遊びの中で群れを経験した。
今,その遊びが奪われ,
従来の学校文化しか残っていない,
学校では,本来の遊びをマネージメントできない。
マネージメントするのは子ども自身だからだ。

子どもが自らの行動をマネージメントする
そのためには,群れる必要がある。
暴走族が群れるのもそのためか,
自主的な行動を阻害せず,子ども自らの行動をマネージメントできる
そんな活動が,学校でできれば,
年齢とともに豊かな子どもの遊びができると思われるが・・・

子どもの姿から,これからも学びたいものである。

雑木林

2011-01-04 | 教育
我が家の近くにこんな雑木林があります。
ここには,ささゆりが自生していて,
地域の皆さんが保存活動をしています。
雑木林は,生命のゆりかごです。
この写真を撮っている間も,
様々な小動物にあいました。

ササユリの保護のために,伐採が行われました。
里山と共存していた頃は,雑木林の伐採が初冬に行われているのが普通でした。
皆伐するわけではなく,薪にできそうな木を
毎年ローテーションしながら切っていくのです。
伐採後,数年もすると薪にできる木が育つので,
また木を切ります。
その切った木を森を管理する家庭や地域が薪として持ち帰ります。
そのお手伝いは子どもの仕事でした。
このようにして
人と里山の共存が図られていました。

しかし,現在は,薪を使わず,そのような活動をしないために,
人里近くの森が荒廃しています。
あるいは,針葉樹が植えられているために,
このようなローテーションができない森が多く見かけます。

今回この伐採は,単一植物の保護のために行われました。
しかし,森に見向きもしなかった地域の方が,
また,森にやってきて木を切るという行為によって,
人里の森が活気をおびました。

しかし,切った木は,そのまま朽ちるのを待っています。
それではかわいそうなので,
私がいただくことになりました。
この冬の間にできる限り運び上げたいと思っております。