以下は私のために書き残します。
「校内研修と同僚性を問い直すー今教師に求められる力量をめぐってー」、
pp.38-76、信濃教育、1461、2008年8月
p40
こういった政策は、個別の教師を対象にした政策なのです。
p53
そうやってその具体的な子どもの姿について、あるいは教材についてあーだこーだと相談したり語り合っている職員室の何気ない風景「それこそ大事な校内研修だよね」というように位置づけてくれる管理職がいればいいな-と思うのです。
p72
信州の教師には「時を語る教師」が多い。初めて、何々ちゃんがこないだなになにしたんだと、それはこんないきさつがあって、こうなったんだというように「時」を語る,そういう教師にたくさんで会ってきました。「なんとか力」を付けるためにこうしたらいいっていう「力を語る」のではなくて、固有名の子どもがこういういきさつでこう変わってきたという「時を語ること」。そこに教育の問があるわけです。どんな条件でそうなったのか、なにがあったからそれば生まれたのか。そういう信州の「時を語る文化」にエールを贈りたいと思います。
「校内研修と同僚性を問い直すー今教師に求められる力量をめぐってー」、
pp.38-76、信濃教育、1461、2008年8月
p40
こういった政策は、個別の教師を対象にした政策なのです。
p53
そうやってその具体的な子どもの姿について、あるいは教材についてあーだこーだと相談したり語り合っている職員室の何気ない風景「それこそ大事な校内研修だよね」というように位置づけてくれる管理職がいればいいな-と思うのです。
p72
信州の教師には「時を語る教師」が多い。初めて、何々ちゃんがこないだなになにしたんだと、それはこんないきさつがあって、こうなったんだというように「時」を語る,そういう教師にたくさんで会ってきました。「なんとか力」を付けるためにこうしたらいいっていう「力を語る」のではなくて、固有名の子どもがこういういきさつでこう変わってきたという「時を語ること」。そこに教育の問があるわけです。どんな条件でそうなったのか、なにがあったからそれば生まれたのか。そういう信州の「時を語る文化」にエールを贈りたいと思います。