つれづれなるままに

今、もっとも関心のある出来事を備忘録としてつづります。2005年から。

哲学2

2008-07-29 | 論文

三浦梅園(1723~1789)「多賀墨卿へ與ふる書」より

一節
「神鳴り、地震りたりといえば、人ごとに首を捻り、いかなることにやといいののしる。我がよりしてこれを観れば、其の雷・地震をあやしむこそあやしけれ。故いかんとなれば、其の人、地動くを怪しみて、地の動かざる故を求めず、神鳴りなる所を歌がいて、鳴らざる所を訪ねず、これ、空々の見ならずや。」
(雷や地震が起きれば、人はどうして起きるのだろうと聞くけれど、私から見れば、雷や地震が起こらない時がどうしてそうなのだと聞くし、考えてしまうよ)

また、ニュートンのリンゴにも匹敵する問答もある。

一節
「我、人に「石を手に持ちて、手をはなせば、地に落つるはいかなる故ぞ」と問えば、「それは重きによりて下に落つるなり、知れたる事也」
(人に私は、訪ねた。どうして石を手に持ってはなせば、地面に落ちるの?すると人は、「当たり前じゃないか、重いからだよ」と応えた。)

地震や雷は、起きている時より起きていない時の方が長い。
起きない理由を追究すれば、起きた時のこともわかるということだという。

話は飛ぶ。

ある記事
(2年目女子ですが、いいですか? 「女性らしさを生かして」ってヘンじゃないですか。)
http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-166159-01.html
の一節にこんなものがあった。

毎日使っている女性の方が、男性よりも要望が分かり、商品に活かせるはず。そりゃそうだと頷きそうになったのですが、よくよくその根拠を考えてみると、違和感を覚えるのでした。男性が、女性が使う商品開発に向いていない理由はどこにあるのでしょうか。

女性の声を生かした商品開発ならわかるけれど、女性が商品開発したものがよくて女性が主として使うものを男性が商品開発するのがいけないのがわからなかった。
もちろん、この逆もある。

やはり、平時の中での疑問を持つ感性を持ちたいものだ。
「え、そりゃ当たり前でしょ」と言うまえにどうして当たり前かという疑問点を持ちたい。
教えていただいた、哲学の講演であった。


哲学1

2008-07-29 | 論文
我が地域で行われる夏期大学(ほんとはこんな名前ではありません)に出席。
2日間、4講座あり、どれかひとつは出席することという制約がある。

さて、私は、前任校で本の読み合わせ(哲学)の講師であり、
講座の講師でもある、K大学のH先生のお話をお聞きした。
ここ数年ずーっとお聞きしている。

前任校は、年間5回ほど1冊の哲学の本を読み合う。
また、読み合わせの初回と最終に
このH先生をお招きし講演をいただいている。

最初(今もそうだけど)は、
「わからないこと」を「聞くこと」は、「耐えること」の修行だと思っていた。
しかし、このH先生を囲んでの宴席でのお話は、とてもすっと胸に落ちた。
だから、進んで宴席へとお邪魔してお話を聞いていた。

さて、今年度の題目は
「日本思想の可能性-特に幕末変動期に焦点を合わせて」
というものであった。
以下続く。

一報

2007-03-23 | 論文
やっと一報完成!!
郵便局にかけこみ郵送しました。

いろんな方にご迷惑とご協力をいただき、
1月から2月にかけて行った4時間の授業に対する調査と研究をまとめ上げてどうにか3月中に出すことができました。

ここ2週間ほどは、
最後の英文の要約に苦慮していました。
翻訳サービスにもメールをしたのですが、断られてしまいました。
自分で書きあげても自信がなかったので、
それこそ最後には、
若手の英語科の先生を買収し、
どうにか作成しましました。

ただ、面白いのは、インターネットを酷使して英文訳をしたのですが、
意外とその文でも通ることがわかりました。
ポイントは主語と述語をしっかり文章に入れること。
短文にすること。
だと思います。
ただ、このような日本語の文章にすると、
私でも英文にしやすいと云うこともわかりました。

N先生とのお約束(次の論文)は、
来週いっぱいと自分に決めたので、
今もって落ち着きませんが・・・・。

へこんだ

2006-07-04 | 論文
へこんだ。
出した論文が、返却されてきた。2人の査読社の内、酷評を刻んだB氏。やられた。甘かった論文の語彙に対してつっこんできていた。
前回、査読論文が突っ返されたときは、それほどのへこみがなかったが、今回はさすがにへこんだ。
この論文をこのままにしてなる者か!!
と、思ったのも家に帰ってキムタクのテレビ番組の「HERO]を見たからかも知れない。
もう5年前くらいになるカナー。この番組を見て、自分の仕事を思い返すことができた。
たまたま、今日。この番組を見ながら(録画ですよ)、査読者のコメントを見ていた。落ち込みながら見ていたが、なにくそ。という気持ちがわいてきた。
やってやろうじゃないの。査読者。