切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

真蔵院 京都府綴喜郡井手町 ~ 庚申堂 京都府城陽市

2021-12-22 22:43:32 | 撮影
真蔵院

 

 国道24号線と307号線が交わる山城大橋の東側にある。ちょうど城陽市と井手町のほぼ境目になる。日蓮宗のお寺で特にこれといった特徴は見られないが、ごく普通のお寺という感じだ。境内は緑が豊かでしっとりとした非常に落ち着いた雰囲気。近くの国道は車の量が多いものの全体として静かだ。

     


庚申堂

 

 庚申堂は山城大橋の東側にある。元は国道307号線沿いに建てられていたが、道路拡幅工事により道路から少し下がった今の地に移転された。
 庚申堂の「庚申」というのは大陸から入ってきた道教と日本の神・仏教が入り混じって信仰の対象になった物を指しており、いわゆる十干十二支の中の「かのえ・さる」に当たる。日本では仏教が入ってきて以来、それまでの神道と入交じり神仏習合の形が成立した。そこに道教が入り込んだもので、種別としてはおそらく仏教の扱いとなると考えられる。
 庚申堂というのは数は少ないものの、畿内を中心に点在しており、そこそこの信仰の対象として扱われていたようだ。城陽市のこの地は名奈島と呼ばれる地域で、古来より木津川の船着き場として水運の要衝地だった。当時から暴れ川だった木津川が、毎年のように氾濫で多くの運搬船に、また船頭たちに大きな被害をもたらしその無事を祈って建てられた可能性があるのだろう。
 今の庚申堂には祠が一軒建っており、その中に石碑のようなものがある。そして祠の横に銅板の碑文のようなものがあるが、風化が進んでいて全くと言っていいほどを読めない。地域でこれを解読しようという試みがなされ、かろうじて「南無阿弥陀仏」といった語句が読み取れたようだが、それが事実であればやはり仏教寺院の僧侶達が中心になって整備されたものと考えられる。
 その一方、牛の石像があつて、一般的に考えればこれは菅原道真に関する天神信仰となるのだろうが、どうもそうではないようだ。やはり専門家の調査の手によって、この牛は岸辺にある港から荷物を運ぶために使われた牛が、急な坂を上り酷使されたことを讃える意味で、あるいはまた亡くなっていった牛を弔う意味で安置されているのだろうと考えられている。
 今現在では庚申堂の信仰についてはどのような状況になっているのかはわからない。歴史的には渡来系の人たちが仏教などとともに道教も持ち込まれ、それらが混在したということで後年、特に江戸時代には大いに広まったと言われている。しかし今の世の中においては庚申堂というものの存在自体がほとんど知られておらず、また大きな伽藍を構えている訳でもなく、あえてこれを信仰している人というのはほとんどいないと考えられる。おそらく地域密着の代々その地で受け継がれて、大切にされているのではないかというのが実態だろうと思う。


   
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