切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

泉福寺 京都府向日市・・・不空羂索観世音菩薩

2021-12-21 21:47:12 | 撮影
 

『星氷山泉福寺の創建は延暦十五年桓武天皇の勅願に依ると伝え、京都地方には珍しい 不空羂索観世音菩薩を本尊とし、旧所在地は小字春日井にして春日明神と境内地を接し、平城京から長岡京、長岡京から平安京への遷都に由緒のある寺である 本尊は桓武天皇平安京への遷幸の途次その下に普門品を誦しつつ雷雨を避 けられた松樹を刻したものと伝えられるが、その後改 刻したものらしく現在の本尊は室町時代のもののようである 通稱三つ目観音と呼ばれ 眼疾に霊験あらたかで近郷の尊崇を受け、鰐口には寛文十三年の銘があり、手洗鉢は元禄十三年 石燈は寛延二年の寄進である 江戸時代末頃から粟生光明寺未となり、昭和三十三年に現四ノ坪の地に解体移築したが老朽甚だしく昭和六十年四月本堂庫裡境内地とも、すべて新築造営の議が決定して本堂は間口を一間廣げて木造本瓦葺に復し、春日明神稲荷社も一新造営して、昭和六十二年九月竣工した。』
  (石碑板より)

  

 泉福寺は JR 向日町操車場のすぐ脇にある。西山浄土宗のお寺で、基本的な由緒については上記の石碑板にある内容の通りとなる。しかし創建そのものの詳細については不明な部分が多いが、寺側の説明では延暦15年、桓武天皇の勅願によるとあるから平安京遷都の頃のこととなる。そういった意味ではずいぶん長い歴史を持つ由緒あるお寺ということになる。
 創建のきっかけは、長岡京から平安京への遷都の際、桓武天皇が雷雨に遭遇し、 これが止むように懸命に観音経を唱えたと言う。すると雷雨は止んで無事平安遷都が完了した。桓武天皇はその場所に御堂を建てるように命じ、これが後の泉福寺となる。当時の場所は現在の場所からは少し離れているが、向日町操車場の建設により移転したと言う。
 このような話というのは、あくまでもお寺に伝わるひとつの伝承のようなもので、史実に基づいて記録されたようなものではないのではないかと思われる。そう見るとお寺に、今で言う箔を持たせるような意味合いがあったのかもしれない。あるいは実際に御堂が建てられたが、その理由付けとして話が盛られたのかもしれない。いずれにしろ不詳であることは間違いない。
 本尊は「 不空羂索観世音菩薩」と言うかなり珍しい菩薩であり、両目の間の上にもうひとつの目があり、通称「三つ目観音」とも呼ばれている。これは室町時代の作で向日市の指定文化財になっている。またお寺は長く途絶えていた洛西三十三所観音霊場巡りの第十六番札所として復活している。札所の本尊は十一面千手千眼観音菩薩であり、これは癌封じにご利益があるとされている。
 お寺そのものは綺麗に整備されており、春の桜も美しい。本堂などの伽藍はずっと後年に再建されたものとなるが、境内にある様々な石物などに刻まれた元号には江戸時代初期のものがいくつも見られる。ひょっとすれば移転前にはさらに古い元号が刻まれたものもあったのかもしれない。


   

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