心光院
西京区大原野灰方町にある。大原野神社から南東の方向約2 km弱。周囲は丘陵地で農耕作地域が広がる。心光院は所々に広がる集落の中にあって、周辺の人々の信仰の大事な場所となっている。お寺の創建そのもの、あるいは由緒等についてはわからない。境内は緑の絨毯が広がり非常に美しく、石畳の歩道のような形で参拝できるようになっている。全体が落ち着いて心静かに物事にふけったり、邪念を取り除いたりいい意味でゆったりできる場となっている。
「灰方」については以前このブログでも取り上げており、再度ということになるが、簡単に紹介しておく。この名称は人名にしても地名にしても、日本では極めて珍しいもので地域としては、この大原野一帯となる。人名としては数十名が京都府に固まって在住しており、大阪府の島本町にも少し住まわれているようだ。新潟県の燕市にも駅名で灰方駅というのがある。関わりは分からない。
本来は農耕作に必要な肥料に使うために灰が必要だったので、江戸期にそのような灰づくりの職業から来た名前だと推定されているが、一方では室町時代の古文献資料にも、この名称が出てくる。そういった意味では江戸時代に盛んだった灰作りはそれ以前からずっと行われていたものとみられる。灰を作るための窯についても、この地域の地質調査から発見されており、ほぼ平安時代のものだと言われている。したがって最初の頃は農耕地も比較的狭く、灰を作っていた目的もやや異なったのかもしれないが、年を経るごとに規模が大きくなり、農耕作に大切な役割を果たすことがわかると、この仕事が大きな意味を持ち、特に江戸期においては随分盛んになったものと考えられる。今現在ではその職業の名前が地名としてここに残っているものだと言える。
西京区大原野灰方町にある。大原野神社から南東の方向約2 km弱。周囲は丘陵地で農耕作地域が広がる。心光院は所々に広がる集落の中にあって、周辺の人々の信仰の大事な場所となっている。お寺の創建そのもの、あるいは由緒等についてはわからない。境内は緑の絨毯が広がり非常に美しく、石畳の歩道のような形で参拝できるようになっている。全体が落ち着いて心静かに物事にふけったり、邪念を取り除いたりいい意味でゆったりできる場となっている。
「灰方」については以前このブログでも取り上げており、再度ということになるが、簡単に紹介しておく。この名称は人名にしても地名にしても、日本では極めて珍しいもので地域としては、この大原野一帯となる。人名としては数十名が京都府に固まって在住しており、大阪府の島本町にも少し住まわれているようだ。新潟県の燕市にも駅名で灰方駅というのがある。関わりは分からない。
本来は農耕作に必要な肥料に使うために灰が必要だったので、江戸期にそのような灰づくりの職業から来た名前だと推定されているが、一方では室町時代の古文献資料にも、この名称が出てくる。そういった意味では江戸時代に盛んだった灰作りはそれ以前からずっと行われていたものとみられる。灰を作るための窯についても、この地域の地質調査から発見されており、ほぼ平安時代のものだと言われている。したがって最初の頃は農耕地も比較的狭く、灰を作っていた目的もやや異なったのかもしれないが、年を経るごとに規模が大きくなり、農耕作に大切な役割を果たすことがわかると、この仕事が大きな意味を持ち、特に江戸期においては随分盛んになったものと考えられる。今現在ではその職業の名前が地名としてここに残っているものだと言える。
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