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矢田寺
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『矢田寺(矢田地蔵)
金剛山矢田寺と号する西山浄土宗の寺で通称、矢田地蔵の名で知られている。
寺伝によれば、当寺は、平安時代の初め、大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、以後、寺地を転々とし、天正七年(一五七九)に現在の地に移されたといわれている。
本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶(満米) 上人が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。
また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑わう。
京都市』 (駒札より)
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矢田寺は三条寺町のアーケード街にある。このアーケード街はずっとお店が並んでおり、人通りも多い。そういった店の構えと同じように一際目立つような形で、矢田寺の門が開いている。多くの提灯が並び絵馬も吊り下げられ、極めて派手でいやが応にも目立つので、見逃してしまうことはないだろう。ただ周辺の店も結構派手で目立っているので、ある意味その中に溶け込んでいるような感じがないでもない。
創建等の由緒については詳細は分かっていない。伝えによると平安時代中期に、現在の奈良県大和郡山市にある矢田寺の別院として、京都に創建されたと言う。西山浄土宗のお寺であり、本尊は地蔵菩薩立像。しかし寺は京都に創建された後に、各地に移動を続け、最終的には豊臣秀吉の命により現在地に落ち着いた。本尊のご利益は、家内安全、病気平癒、安産祈願などなど、ほとんどすべての祈願に対するご利益があるとされる。寺町通りの人通りが多いこともあって、常に訪れて参拝していく人が多い。
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100円の浄財を箱に入れると、3本の線香に火をつけて立て、一本のろうそくに火を灯し立てる。そして少し小さめの梵鐘をつく。大概の人がこのような形で参拝している。私もせっかく訪れたので、この流れに沿って最後、鐘をついた。
矢田寺は室町時代作と言われる「矢田地蔵縁起絵巻」を所有しており、これは国の重要文化財に指定されている。場所柄これを保存し守っていくのはなかなか難しいようで、京都国立博物館に寄託されている。
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天性寺
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天性寺は三条寺町にある。矢田寺の隣に位置し、大きな商店街にあって入り口には山門、そしてその奥に比較的広い境内が広がる。寺町通から山門を通して入っていくと、境内はかなり下がった位置にある。これはかつて境内のあったあたり一帯が鴨川の河原であったということの証だ。お寺自体は浄土宗総本山知恩院の末寺であり、室町時代の建立となる。正式な名前は曼荼羅山当麻院天性寺。
この名称は奈良にあった当麻寺の和尚が、京都で当麻曼荼羅を紹介解説し、民衆に極楽往生を解くために開いたといわれる。奈良の当麻寺は天平時代の創建と言われ、そこで当麻曼荼羅を織ったという、中将姫の話が世の中に広まっていった。この中将姫というのは伝説上の人物と言われているが、その実在性についてはよくわからない。
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しかし中将姫の話が広まるにつれ、人々の信仰を集めるようになる。こうして当麻寺にて織られたものとして、当麻曼荼羅と呼ばれるようになった。この中将姫伝説の話は江戸時代以降、様々な芝居や文楽、浄瑠璃、小説などに取り上げられ、近松門左衛門も題材として取り上げている。
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天性寺の境内は石畳が広がっており、比較的緑も豊かで、本堂などの建物もなかなか立派なものだが、江戸時代に焼失しており、近代に再建されたわりと新しいものだ。隣にある矢田寺が派手で目立つので、大半の人々はそちらへ参拝し、この天性寺にやってくる人はあまりいないようだ。私が境内で写真等を撮っている時にわずか一人入ってきただけだった。
お寺には墨画の「白衣観音図」があり、これは国の重要文化財に指定されている。
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