清涼山寶樹寺
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『寶樹寺
清涼山に号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。
むかし、この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから橋詰堂とも呼ばれていたと伝えられている。宝永三年(一七〇六)僧聖空によって中興され、寺名を寶樹寺と改められ、現在に至っている。
本堂には、本尊の阿弥陀如来立像及び薬師如来座像を安置している。この薬師如来座像は、俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前が、今若、 乙若、 牛若の三児の生長を祈願した像と伝えられている。
また、境内には、「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり、常盤御前が大和 (奈良県)へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。
京都市』 (駒札より)
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宝樹寺へ行く。便利な場所にあって京阪本線及び JR奈良線の東福寺駅。駅前の街道を北へ歩くとすぐにある。向かい側には瀧尾神社と言う比較的有名な神社もあるので、ともに訪れたらいいだろう。もちろん駅名の通り東福寺への玄関口ともなっている。もう間もなく紅葉シーズンがやってくるが、今年はコロナの関係でどうなるだろうか。いずれにしろ駅のホームそのものが人で溢れ、危険な状態になるほどの人出となる。一方この宝樹寺の方は割と落ち着いた雰囲気。街道も一方通行なので車の数もさほどではない。
ここはいつも山門が閉まっていて非公開らしいが、インターホンで境内の撮影をお願いしたところ、快く許可していただいた。横の通用門を開けて中に入る。正面になかなか立派な本堂。境内はよく手入れのされた樹木や緑が広がり、典型的なお寺の境内といった感じ。多分京焼きか何かの狸の像が一体ドスンと構えていた。お寺の背後を電車がひっきりなしに走るのでそのぶんやや騒々しいと言えばそうなるが、この辺の人たちはみんな慣れているんだろうと思う。
門前に駒札があって由緒については書かれている通りだ。
これによれば江戸時代中期に中興されたとあるが、元々は平安時代に創建されたお寺であると言う。やはり由緒書きにある常磐御前という名は、平安末期の人物で源頼朝の側室であり、牛若を産んだとあるが後の源義経のことだ。
後年一度敗れた源氏が力を盛り返して源平の合戦にいたり、最後は平氏を滅ぼすに至る。この大きな流れの中の一つの逸話が、駒札の中に述べられている雪除けの松の話だ。なお、お寺の外側の街道沿いに、子育て常盤薬師の石柱が立てられていた。
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八王稲荷大明神
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京阪電車七条駅(地下)を出ると南側の道路を渡ってすぐに神社がある。ちょうど神社の南側から京阪電鉄の本線は地下へ入っていく。神社の周辺は車を停めるところがないのでコインパークに入れる。
敷地はかなり狭くその狭い敷地を全て利用して、拝殿・本殿その他倉庫など必要なものは揃っている。鳥居は小ぶりなものだが、真っ赤に塗られ本殿などと共に結構よく目立つ。由緒書きその他は何もなく、情報は分からないがネット上にいくつかの材料があった。
創建は何と大正四年(1915年)。これには正直びっくり。まだ100年ちょっとしか経っていない。こんなにも新しいものとは思わなかった。
資料によるとこの神社の北部一帯が一橋宮ノ内町と言う。大正四年にここで火災が起こり、その後もこの町内で火災が相次いだ。そこで宮の内町の住民たちは、少し東側にある新熊野神社の宮司さんに祈祷を依頼する。すると宮司さんはこの土地に悪い狸が憑り付いており、狸が 自分を祀って欲しいと言う。でなければもっと火災を起こすと宮司を通して告げたというのだ。
100年前といえばすでに日本でも鉄道が走り、軍艦も建造され、10年前には日清戦争にも勝利しているという時代だ。いわば日本の近代化がどんどん進められていった時代でもある。そんな時に狸が宮司さんを通してお告げを出してくるなどというのは、まだまだ迷信深い側面もあった時代なんだなと思わざるを得ない。
このお告げを聞いた人々は宮の内町の最も南側に社を建てて狸を祀ったと言う。そしてこの狸を八王大明神として崇めることになったとのことだ。そのような謂れがあるので、特に火災除けにご利益があるということで参拝に訪れる人は結構を多いと言う。
なお狸を祀ってはいるものの、神社名の通りそして祭神も「稲荷」とあるように、あくまでも稲荷信仰の神社ということになる。
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