2011年3月11日。
地震発生時、私は職場の自分の担当エリア外にいたので、急いで担当フロアに走りました。
急に突風が吹いて、担当フロアに入った時に揺れは大きくなって、長くて大きな揺れでした。
北側の窓から遠く北の空に真っ黒な雲が見えました。
揺れが治まった後は、地震対応の業務に忙殺され、大切なスタッフが東京に研修に行っていたこと、自分の家族の安否に思いが至った時は、夕方になっていました。
もうすでに電話は繋がらなかったのでメールしました。
そのメールすら、センター預かりとなってしまっていました。
何とか連絡がとれて、家族は皆無事で、東京にいたスタッフも無事でした。
終業直前に緊急で会議が招集されて、余震を心配しながら、今後の対応を検討したのを覚えています。
19時頃にようやく職場を出て、余震が時々おきる中、家に帰りました。
道すがら、いつもならまだ開いているホームセンターやガソリンスタンド、スーパーが閉まっていて、町の中が暗かったと記憶しています。
仕事中、地震の詳細は分からなかったので、家についてTVを見て初めて、私は被害の大きさを知ったのです。
言葉がありませんでした。
夜間に職場に駆けつけることも想定して、余震もあって不安な中、非常用持ち出しを枕元に置いて、洋服のまま、リビングで寝ました。
夜間も時々揺れていたと思います。
あの日の震度は当地方は震度5弱。
かつて経験したことのない大きな地震でした。
今でもあの日の強烈な揺れとあの空の色、忘れられません。