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風と光と空の詩(うた)

~色々あるけれど、人生はケ・セラ・セラ~

そう、だから私は大丈夫

2025年03月14日 | 日記

今日は朝から作り置きの料理を作ったり、野菜を蒸したり。

鮮やかな緑のブロッコリー、赤紫のサツマイモが美味しそうに蒸しあがって幸せを感じます。

この色の見え方ですが、人によって多少異なるそうです。

見え方と言えば…

前にもブログに書いたけれど、30年前に夫が急逝して6年近く、私が見ている世界は色が褪せていました。そのことに当時の私は全然気づかなかった。

25年前の春の朝、ふと、目にした路傍のオオイヌノフグリの花の鮮やかなブルーに驚いて、これまで自分の見ていた世界は色褪せていたことに初めて気づいたのです。それだけ、夫の突然の死が衝撃だったという事なのでしょう。

色が戻ったあの日の感動は25年経った今でも忘れられません。

目の前がパ~ッと輝いて、私の周りに美しい色の世界が広がっていったあの日の経験は、それ以後も私の心のバロメーターになっていて、春が来てオオイヌノフグリの美しいブルーを見るたび、「私は大丈夫」と思えます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

寝室の壁紙を選んだ時、ピンクの模様入りの壁紙を選んで…貼ってもらってから寝室で過ごしてみると、何だか落ち着くなぁ~って思っていましたらば、リビングダイニングの壁紙に良く似ていました、気づくの遅いって

見本は小さいサイズだったから、ピンクがやや濃く見えていたのです。実際に貼ってみると少し違って、無意識に自分の心地よい色味を選んだという事かもしれません。

           

 

 

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病気が転移した夢 ☆非常ボタンの扱い方を学ぶ

2025年03月13日 | 日記

昨夜ベッドに入ったら地震で、治まったと思ったら再び揺れた。ちょっと長かったから何だか嫌だなぁ、と思ったけれど、そのまま眠ってしまった。

夢の中で、見知らぬ病院で頸部リンパ腺が腫れていると言われ、更に鼠径部のリンパ腺も腫れていると。自分で触ってみてもかなり腫大しているのが分かる。

あぁ、癌の転移だなぁと夢の中で悟る。心は妙に静かだった。

ドクターが「(聞き取れない)…半年も経っている。もう遅いね」とナースに話している所で目が覚めたら朝だった。

昨夜、左手がやたら激痛で思うように動かせなかった。癌になんてならなきゃ良かったなぁ、なんて…寝る間際に思ったのが影響したかな?

普段病気になったことを悲観したり、落ち込むことはありません。

ただここの所、薬の副作用による手の不調が酷くて、鎮痛剤も湿布も効果がなくて、昨夜は指が動かなくなってしまったので、ちょっと凹んだのでした。

今朝は痛むけれど少し動くようになったので、良かった。もうこの不調とはずっと付き合っていかなければなりません。それでも…こうして独居生活を続けられるのはありがたいことです。

独居と言えば…

近頃物騒なので、セキュリティ会社の方に改めて非常ボタンの使い方を教わりました。25年間使った事がなかったので、記憶が曖昧でした。

病気、事故、事件(あったら嫌だけれど)の時は押して下さい、電話応答がなければすぐ駆けつけますとのこと。警察も一緒に来てくれるのだそうだ。

確かにすぐ来るよね~、誤作動させた時とかもすぐ解除しなければやって来る。大丈夫だからって言っても絶対来るよね~。

娘よりも早い。それを言ったら長女は笑っていた。

             

路傍のオオイヌノフグリ。このブルーが鮮やかに見えている限り、私は元気、大丈夫。

 

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あの日を忘れない為に

2025年03月11日 | 日記

2011年3月11日は金曜日でした。沢山の大切な命が失われました、合掌…。

あの日を忘れないように、記憶していることを毎年書いています。

あの日、1回目の揺れが来て、自分の担当エリアに走って行った時突風が吹いて、その後また大きな揺れが来ました。それは震度5弱の生まれて初めて経験した大きな地震でした。

震源地からは数百km離れていて、北の窓から見える東北の空は真っ黒でした。

その後は対応に追われ、緊急の対策会議が余震のある中開催されたりして退勤できたのは19時頃。電話はすぐ不通になって、家族の安否を確認出来たのは夕方でした。

業務が立て込んでいた為、津波被害について把握しておらず、家に帰ってテレビを見て初めて、未曽有の事態が起きている事を知ったのです。

震度5クラスの地震が来たら職場に行かなければならなかったため、その夜は階下で服を着たまま就寝しました。夜間、何度か余震がありました。

福島原発が津波被害にあって電力の供給不足となり、計画停電を経験しました。通勤時、信号は止まり、大きな交差点以外は警察官はおらず、皆譲り合って通行しました。

テレビは地震のニュース一色となり、バラエティ番組はなくなって、CMも消えました。

ガソリンが不足して購入量に制限があったり、地震発生直後からスーパーの棚から食料や水がなくなりました。どこのスーパーに行ってもお米が買えなかったのを記憶しています。この時、備蓄の必要性を痛感しました。

原発の放射能汚染に関連して、遠く離れた当地でも、職場では毎日の放射能測定が必須でした。

桜の咲く頃が来て、自粛で地域のイベントは中止になりました。

毎日、毎日揺れるので、そのうち地震がなくても揺れているような感覚になったりしました。毎日不安な思いの中で2011年の春は過ぎて行きました。

以来、9月1日と3月11日前後は、備蓄品のチェックをするように心がけています。

 

 

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色々試して学んでいます

2025年03月10日 | 日記

注文していた柿渋袋が届いたので、早速備蓄米を入れてみました。今回は脱酸素剤も入れてみました。これは玄米。 

           

お米は、何年か前に布団圧縮袋(防カビとか防ダニなどがない物)に入れると良いとyou tubeで発信している人がいたので、そのようにしていたのです。ただ、半年もするとエアーが入ってしまいます。

それでも、今食べている2024年2月精米済みのお米、梅雨とあの酷暑を乗り越え、美味しく、臭いも虫もナシ。湿気や温度対策も米の長期保存には難しい所です。

今回柿渋袋を知ったので、試してみます。

お米用のアルミの真空パックも備蓄に適しているらしいので、こちらも試してみようと思っています。圧縮して真空にするという点は布団圧縮袋と同様ですが、遮光であること、大きさが米袋に合っている事などを考慮するといいのかも??

次がお米屋さんの長期備蓄米。真空パックされているので、圧縮袋を買ったり圧縮する手間を考えるとこれも良いかも。専門家だし…ね。ただ、通常のお米よりもやや高いです。

備蓄と言えば…その言葉がまだここまでスタンダードじゃなかった頃、白熱球が製造中止になると知って、我が家の照明は白熱球を使っている物が多いので、やたら買い込みまして…調べたら、何だか生きている間は大丈夫そうな位在庫がありました

 

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それ、買い替えても元取れるのに何年?って思った話

2025年03月08日 | 日記

粗大ゴミを回収に出してスッキリしてのんびりしていたら、町の電器屋さんが来て、「蛍光ランプは2027年で製造(輸出入も)が禁止になるから、計画的にLED照明に切り替えを」とお勧めされました。

別に在庫品の販売や使用を続ける事が禁止になる訳じゃないからねぇ。環境省のHPにもちゃんとその旨が記載されている。

寝室は、壁紙を貼り替えた時に量販店で買ったLEDのシーリングライトに変えたけれど(クロス屋さんが取り付けてくれました)。

他の部屋の照明はまだ全然大丈夫だから、わざわざLEDに交換しなくもいいんじゃない?LEDは電気代が安くなるって言ってもでしょ、照明器具を新しくしたら、結局お金がかかる訳ですから。

元がとれる前に死んじゃうんじゃない?って思っちゃいましたよ

もっと言うと、25年前の照明器具だけれど、別に壊れていないんだから今のうちにランプ買って交換すればしばらく持つと思うけれどね。

なんか「禁止」とか言われると、それだけが耳に残って、使えない、使っちゃいけないって思う人もいるかもしれないわねぇ。

LEDへの交換で、どんだけゴミ出るのでしょうか?ホントに環境に優しいの?

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