テケの日記帳

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岡部宿大旅籠柏屋(かしばや)は江戸時代の歴史が感じられる良い所

2018年04月30日 22時17分13秒 | 城・神社仏閣・歴史的施設
東海道五十三次を旅して品川宿から21番目の宿場である岡部宿(おかべしゅく)を代表する大旅籠柏屋(おおはたご かしばや)を見てきたよ。普通の読みは「かしわや」ですが、この地方の方言でカシワのことをカシバって呼んでることからきてるようです。そういえば、テケは静岡市の田舎ですが子供の頃はカシバ餅って親たちは呼んでいました。

2000年まで、末裔のおばあちゃんが実際に住んでいて、その後、跡継ぎがいなくて市に譲渡されたそうです。なので今は江戸時代の様子を現在に伝える郷土博物館となっています。右の建物は「柏屋・本陣案内所」で、左の建物が柏屋です。


入って土間をキョロキョロしながら通過するだけなら無料で座敷に上がると300円です。テケは料金を払って見ることにしました。案内の方が丁寧に説明してくれましたよ。

左側に東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)で有名な弥次さん喜多さんのリアルな人形がありました。


土間の奥にはかまどがあり、御ひつやお膳などもあって当時、ココでバタバタと仲居さん達が忙しく働いてる風景が浮かびます。


二階に上がると庶民の泊まる部屋がありました。ここにも人形があり長旅の疲れを癒すため、酌をしてもらい一杯飲んでるような風情ですね。でも、大井川の水量が多いと足止めをくらい、最大で一人半畳も無いような状態になったみたいです。


二階には当時の旅の持ち物とかが展示されてて当時の様子が良く分かります。写真は岡部宿のある日の夕飯です。脇本陣とあるから、武士や幕府役人なんかが食べたのかな。


一階まで降りて、今度は入口から見て右側に武士階級の部屋がありました。普通は庶民と武士の宿は分かれるところでしょうけど、大旅籠ならではですね。庶民の部屋の畳には縁が無く、武士の間には畳に縁があります。階級差はこんなところにも出てたんですね。今では縁無しの畳の方が技術がいるらしくて高級みたいです。


裏手から見た武士の間ですが、縁側もあり庭も見える解放感溢れる部屋は庶民から見たら羨ましかったでしょうね。でも、武士は常に命を懸けてたから気楽な稼業では無いね。。


奥の広場には土蔵が二つ。鯉のぼりが元気に泳いでいたよ。


右側の土蔵の店で食事をすることにしました。和風れすとらん 一祥庵(いっしょうあん)ですって。


やはり、蕎麦がいいかな。店内に入ると10人位のグループと2人と4人のグループで賑わってました。


ハイッ!来ました。「冷やしとろろそば(税込み918円)」なんと、40分待ち。。「申し訳ありません。大変お待たせしました。」って言ってくれたけど何かあったのかな?まあ、蔵を改造した店は梁がしっかりしててそれなりに雰囲気もあるからまったり待っていられました。肝心のお蕎麦は、というと量があって普通に旨かったよ。


隣には岡部宿本陣跡があります。


中に入ると広場になってたけど雰囲気は感じられました。本陣って勅使、公家、大名、幕府役人などが宿泊する施設で門や玄関、書院を設けることができたそうな。まさに特権階級の宿がココにあったのですね。復元はしないのかな。


歴史が感じられて良かった~。帰り際に国道沿いに数十人で歩いているグループを2回見かけました。静岡市側から東海道や蔦の細道を通って来たかもね。テケもいつかトライしてみよう。

ではでは、またね~。

【地図】岡部宿大旅籠柏屋住所:静岡県藤枝市岡部町岡部817


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