テケの日記帳

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江川邸(旧韮山代官所跡)は先人の知恵が感じられて面白かった 2/2

2020年07月11日 18時47分38秒 | 城・神社仏閣・歴史的施設
伊豆の国市韮山旅行シリーズ第3弾です。

源頼朝が流された蛭ヶ小島と北条早雲が生涯居城とした韮山城

江川邸(旧韮山代官所)は先人の知恵が感じられて面白かった 1/2
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江川家は42代900年続く大和源氏の末裔で、江戸時代には旗本として11代(273年間)天領伊豆の代官を務めました。
幕末の万能人 英龍
36代目当主英龍(ひでたつ)は、その55年という決して長くはない生涯で、江戸幕府の旗本・代官を務めながら、工学、医学、文学、芸術など、さまざまな分野で多彩な才能を見せました。「uomo universale(万能人)」の異名で知られているレオナルド・ダ・ヴィンチように「万能人」といえる業績を残しています。

韮山反射炉 江川英龍の仕事
世界遺産 韮山反射炉は、英龍が建造を手がけ、その息子英武が完成させたものです。

台場築造 江川英龍の仕事
東京の臨海エリア「お台場」はホテルや娯楽施設が集う観光スポットになっていますが、江戸時代に人工島の「台場」を築造したのは江川英龍です。外国船の度重なる来航から海防を強化する建議を幕府に行っていた英龍は、台場築造を命じられ、設計と築造を行いました。江川邸には、その際の史料が多数保存されています。
出典:重要文化財 江川邸
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さて、重要文化財・江川邸(旧韮山代官所)の裏庭に迷い込んだテケは北米蔵の収蔵品(武器)を眺めるのであった。

人類は身を守るため、侵略するため、武器を作ることに一生懸命!歴史的にはそんなもんでしょう。色んな苦労や悲劇が繰り返されてきました。でも、それによって色んな技術や文化が発展したことは事実。。


木製施条機械ですって。鉄砲の銃身にライフルを刻むことで砲弾が回転して飛び、威力が飛躍的に増したことは多くの人が知っていると思いますが、「ライフルを刻む技術」は単に西洋文化を輸入しただけでは実用化にかなり苦心したと思います。
同時に韮山反射炉を建設し、鉄を大量に熔かして小銃や大砲を作ったわけですが、これも簡単ではなかったはずです。。

木製施条機械 江戸時代末期
江川家に伝来した工作機械。 鋳造した銃身の内側に、ライフル(螺旋状の溝)を刻むための装置であると考えられている。ライフル銃は、それまでの丸玉の銃にくらべて、射程距離・命中率が飛躍的に高いため、幕府にとってもその国産化は急務であった。 幕末の江川邸では、西洋式の小銃・大砲の生産を行っており、この機械はそうした必要性から製作されたものであろう。
台座や刃の部分などが欠けていて、完全な形ではないが、国内では他に類例のない機械であり、幕末日本における西洋の軍事関連技術受容のありさまを示す貴重な史料である。

過去記事⇒韮山反射炉 世界文化遺産へ!


上の画像が、ハンドモルチール砲台座。
下が「木砲」(西洋式の大砲を模した木製砲 全長131cm 口径6.5cm)。こうやって木で試作品を作って、部品を鋳造して組み合わせ・結合して鉄の試作品を完成させて試射となったのでしょうか。。威力があるだけに、暴発なんか怖いですね。。


韮山反射炉の写真。過去記事⇒韮山反射炉 世界文化遺産へ!


ヒュゲーニンの「大砲鋳造法」に示された錐鑽機の例。錐鑽機とは砲身に螺旋を付ける機械のことかな。。

大砲の製造は、当時ただ一つの文献(オランダの技術本)であった、ヒュゲーニンの「ライク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法」(1826年出版)を参考に造られたと考えられているそうです。


色んな砲弾を作ってたのですね。


ミニ大砲など。試作品でしょうか。


韮山笠
韮山農兵の被り物。当時、一般的に、この手のものは金属製でしたが、韮山では、反故紙でこよりを作り、それを編み込んで漆を塗って作りました。描かれている五三桐に二つ引きの紋は江川家の古来使われた家紋です。


裏庭から江川邸を撮った後、裏門をでて右手に屋敷を見ながらグルっと周り、正門に到着。


ハイッ!江川邸の正門です。流石、旗本・代官屋敷ですね。1696年に建築された「表門」だそうです。
この江川邸はNHK大河ドラマ「西郷どん」の島津家屋敷ロケ地として使用されたり、やはり大河ドラマ「篤姫」のロケにも使われましたとな。


枡形(ますがた)
 枡形と呼ばれるこの広場は、江戸時代、 代官が外出する際人数を揃えるのに使われていました。幕末には、農兵の訓練場としても利用さ れたと伝えられています。
 農兵の訓練には、「右向け、右」「気をつけ、 前へならえ」などの「鋭音号令(えいおんごうれい)」が用いられました。現在でも使われているこれらの号令は、西洋式の軍事調練におけるオランダ語の号令を、 江川英龍が翻訳し、日本人にわかりやすいよう に工夫したものです。


江川邸正面玄関となります。観光客は正面から入れず、右手の小道を通って裏から入ります。この小道の先は先ほどの裏庭に出ます。


入るとまず、大屋根を支える梁の凄さにビックリ!そして、下を見れば懐かしい土間。夏でもヒンヤリした快適空間でしょうね。
パンフレットから引用しておきます。
 主屋 (552平方メートル)は高さ12メートル余の大屋根を支える豪壮な架構で有名であり、土間(162平 方メートル)からその構造を見ることができる。
 16代英親は流罪によって伊東に居住しておられた日蓮聖人を1261年に数日間この家にお迎えし、供養をつくした。この時家屋の修築を行っており、聖人から「この旧家がなお繁栄するように」と自筆の棟札を贈られた。そのご利益によってこの家は700年以上にわたって無事に保たれてきたと伝えられる。
 主屋には、その後室町時代 (1334年~1573年)に建てられた部分と江戸時代初期(1600年前後)に修築された部分とが含まれている。1958年に国の重要文化財に指定され、文化庁、静岡県、韮山町の協力を得て解体修理が行われた。その際にそれまで茅葺きだった大屋根は現在の銅版葺きに変更された。
 1993年に主屋に付属する書院、仏間、蔵、門、塀、 神社、及び敷地 (11873平方メートル)が重要文化財に追加指定され、大規模修復が行われた。現在はすべてが財団法人江川文庫(1967年設立)の所有となっている。
 代官所時代には主屋北側の現在の梅林のあたりに役所の建物があったが、主屋その他は江川氏の個人的生活の場として用いられ、また特に幕末の江川英龍の時代の塾の間では、明治時代に活躍した多くの俊英が教育を受けた。


ボートホーウィッスル砲車 19世紀後半アメリカ製
 アメリカ海軍の技術将校ダールグレンが開発した、ボートホーウィッスル(上陸舟艇用の小型砲)の砲車。安政元年(1854年)にペリーから幕府に贈られたものと推定される。
 車軸中央の砲身受座部分(青銅製)には、「NO.9」「306」の刻印が認められる。
 ボートホーウィッスルには、滑腔式(丸形の砲弾を使用)と施条式(ライフルカノン)の二種類があるが、これは滑腔式の軽量型ボート砲である。
※この砲車は、平成20年4月26日~6月22日にかけて、江戸東京博物館で開催された特別展「ペリー&ハリス」にて展示されました。
なお、砲身と砲弾は、 日本銃砲史学会常任理事 峯田元治氏 製作による模型です。


パン焼き窯と鉄鍋
 天保十三(一八四二)年四月十二日、江川英龍の命により、邸內に築かれた窯で、初めてパンが焼かれました。当時の日本にはパン食は普及しておらず、長崎出島のオランダ商館用にのみ製造されていました。
 英龍が焼かせたのは、柔らかいパンではなく、長期保存が可能な乾パンでした。これは、英龍がパンを平時の食料としてではなく、戦争時に兵が携行する兵根とすることを目指していたからです。
 ここにあるのは、パン焼き窯を形作っていた伊豆石の一部です。本来は、上に載せてある鉄鍋が入る、もっと大きなものだったと考えられます。
 なお、初めてパンが焼かれた四月十二日は、現在「パンの日」として親しまれています。

江川家の家紋
 徳川家康が伊豆北条の郷を順見したとき、二十八代太郎左衛門英長が江川酒と白餅を献上した。
 ご賞味あそばされ、「井戸清く軽く、酒に叶い、養老酒ともいうべし」と賞賛され、自ら河原の野菊を折って、これから「井の中に菊を家紋とせよ」と言われたという。
 江川家では上意であるので、五三の桐紋から井桁に十六葉の菊紋にしたという。

韮山竹については前回1/2の記事で紹介してあるので省略しますね。

土間から上がると座敷には多くの資料が展示してありました。この日は多くの人達が見学されてたけど、先を急ぐテケはじっくり見ずに出てきちゃいました。。いつかまた来よう。^^;




伊豆箱根鉄道の「韮山駅」まで戻ってきたら、「ラブライブ!サンシャイン!!」ラッピング電車「HAPPY PARTY TRAIN」が停車していました。

時間が午後1時をまわり、お腹が空いたので次は美味しいラーメン店「一匹の鯨」を目指して行きます。

ここまで長文を読んでいただいてありがとうございます。隣の「伊豆長岡駅」までレッツゴーです。(≧◇≦)

【江川邸 案内】
東名自動車道沼津インターより14km 伊豆箱根鉄道韮山駅下車徒歩20分
【開館時間】 9:00~16:30(受付は16:15まで) 水曜日は9:30~15:00(受付は14:45まで)
【休館日】 年末年始(12月31日~1月1日)・第三水曜日(但し、祝日は開館)
【入場料】
・江川邸のみ 一般500円(400円) 小中学生300円(200円)
・韮山反射炉との共通券 大人700円 小中学生250円
*()は20名以上の団体割引料金

パンフレットを掲載しておきます。








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