几号水準点をたずねてニコライ堂へ。
千代田線・新御茶ノ水駅を出れば、おお!今年みた黄葉で一番綺麗!!


ニコライ堂へ。


日本ハリストス正教会教団。


東京復活大聖堂は、1891年(明治24年)の建物。
設計はミハイル・シュチュールポフ&ジョサイア・コンドル。施工は清水組。
高層ビルに囲まれても圧倒的なインパクトのビザンチン様式。





敷地内の主教館とかもいい。


この小さな建物は1978年(昭和53年)に完成した亜使徒聖ニコライ記念聖堂。

300円の拝観献金をして黄色いロウソクを受け取って中へ。
内部の撮影は禁止だけど、これは買ってきた絵葉書。

この絵葉書の制作者さんには大変申し訳ないけど、ロウソクを灯してささげ見渡せば、こんなのっぺらとした空間ではない。ずしんとくる。
宗教宗派で祈り方があるから、事前に受付でお伺い。
ロシア正教会は横の十字を右から切ると教えていただいた。
外に出て、ところでロシア正教会ってなんなのだろう?
聖ニコライ氏とは何者ぞ??
ロシア正教会については、キリスト教の教義の解釈から始まるからとても私に理解は不可能。キリスト教の一派と解釈するしかない。
日本人との関りは、どうやら江戸時代初期の船乗り遭難から始まるようだ。
鎖国していたからカムチャッカに漂着した日本人の処遇などの協定もあろうはずもなかったのだけど、ロシア側はその日本人たちを救助保護した。救助された日本人たちはロシア語を学び日本語教師になりロシア正教会の洗礼を受けロシア人女性と結婚してロシアの地で生を終えたという。どうも将来の日本の開国をにらんでの動きだったと思われる。
時は流れ開国した日本にロシア正教会から布教に来たのが24歳のニコライ修道司祭。日露戦争などの時代の波に翻弄されながらも曲がることなく精力的に布教に務め日本ハリストス教団を育て上げ、1912年(明治45年)に75歳の生涯を閉じた。帰国することなく谷中霊園に眠る。
エキゾチックですてきぃいというお話ではないんだな。。
それにしても、なんでこの場所だったのだろう?
当時の人たちは驚いただろうなぁ。
だからニコラス堂から湯島聖堂への橋が聖橋なのか。


