東京に残る高低几号標。
駿河台の日本ハリストス正教会教団へ。
高低几号標は主教館の階段のところと上西勝也先生のHP。
ニコライ堂の受付におられた信徒さんにお伺いしたところ、この階段はあそこです!と案内までしていただいた。ありがとうございましたm(_ _)m
かなり不鮮明になっているけどありました。
ところで。
高低几号標のところのこの装飾のあるこれはなんだろ?
どうも緯度経度に関係しているようだ。。
というか、なんか違うなぁ。。
この主教館の建築年代はニコライ堂とほぼ同時期とされている。
1884年(明治17年)起工の1891年(明治24年)竣工。
高低几号標が使用されていたのは明治初期。このイギリス式測量に使われた高低几号標はすぐに役割を終えた。
聖ニコライがロシア軍の軍艦に乗って函館へ来日したのは、1861年(文久元年)。
北海道・東北の布教をアナトリイ修道司祭にまかせて上京したのは、1872年(明治5年)。築地の借家から活動を開始して同年9月に駿河台へ来た。
伝道館が建設されたのが、1875年(明治8年)という。この伝道館が今の主教館らしい。
ということは、1875年(明治8年)の主教館と東京復活大聖堂と同時期1891年(明治24年)に建設されたとされる今の主教館は違うのかな?
いや。その1981年(明治24年)と今も違うじゃないか。
明治24年は2階建てで今は平屋。
仮に、基礎の部分だけ1875年(明治8年)だったとしても、出来たばかりの真新しい宗教的建物にいくら近代日本測量のためとはいえ何かを彫るなんて許されるものなのかな???
謎だぁ。。。
千代田線の新御茶ノ水駅には引き返さずに湯島聖堂を通り抜けて昌平橋から丸ノ内線・淡路町駅から帰った。